2008年05月15日
男は強くなければ生きてゆけない。優しくなければ生きる資格がない
昔は武士は成人になると名前が変わりました。魚でも大きくなるにつれて出世魚と呼ばれ、名前が変わる魚種がある。実は男という生き物について以前から思っている事がある。男は、生まれただけでは男になれない。生まれたままならただの雄。ヒモかマザコンで、生殖だけ果たしているような奴。ところがこの雄が、いろいろな冒険を通じて自分を磨き、男へと成長してゆく。まぁ大体、この辺りで普通は終わる。ところが、もう一歩成長すると、男から大人へと変わる。この大人の男となるとその数がぐっと少なくなる。
レイモンド・チャンドラーという作家が、小説の中で主人公のフィリップ・マーローに語らせている台詞が秀逸だ。「男は強くなければ生きてゆけない。優しくなければ生きる資格がない」というものだ。素晴らしい。ブラボー。男はまず雄として、肉体的にも精神的にも強くなるべき時代がある。ちょうど高校野球の球児のように自分を痛めつけて強い男になってゆく。そして、強さというものを持つが故に、それを振り回すのでは無く、強さを後ろ盾に周りの人々に優しくする。ここで判るように、優しさは強さの裏返しのようなもので、我が儘を無理に聞いてあげたり、女々しい事を指すのでは無い。私はいつも思う。愛する人と2 人で歩いている時に暴漢に襲われ、ボコボコにされた後、彼女に「大丈夫か?」と優しくしても、それを優しいと感じるだろうか。やはり相手と戦って守る事が優しさだと思う。
私は男の成長と運が実はとても相関関係があるのでは無いかと、最近感じている。運とは偶然に天から与えられたり、気まぐれに訪れるものでは無く、時間をかけて理屈通りに育ててゆくものだと考えている。いずれこれを集大成として強運学なる学問大系を創り上げたいと思っているのだけれど、その骨格を少し話してみよう。
動物も植物も自然の摂理によって生かされているのなら、人間界で起こる様々な出来事も、それを包み司っているものは、やはり、大宇宙の摂理の範中だと考えられる。だとするなら、人間界における運、不運も、大宇宙の摂理で説明出来ると言えよう。
植物は種が運ばれて来て、芽を出し、成長し、花を咲かせ、実を実らせる。そして次の世代の種をつくる。人間もおおよそ、その流れで考えられよう。とするなら、人間界に生ずる運も又然りと考えられる。まず、運のなる木の種としての自分が居る。これは誰でも同じ。しかしどれほどの運を持っていたとしても、殻を破って芽を出さなければならない。これを開運という。この殻を破って開運するためには、考え方と行動を必ずある決められたものへと変化させてゆかなければならない。これは企業秘密なのでここでは言えないのですが、私はこれを「開運の秘法」と名付けている。これは申し訳ないが、高額の受講料をいただかなければなりません。それほどの金額を払っても、その何倍や何十倍の実りを得るし、又それ位支払っても学ぼうという熱い気持ちがなければならない。少しお金の話になって興奮してしまった。女性と縁が無かった奴が久々に恋人が出来た時みたいに、お金に縁のなかった私がお金の話をして、つい興奮した。私は帝王に帝王学を教える師のように、本人は帝王では無い。私は皆さんに強運学を教える強運学の師であって、強運でもお金持ちでも無い。本題を戻そう。開運した後は、芽が天に向かって伸びてゆくように、運も天に向かって伸びてゆく。それを昇運と言う。
しかし、大きな木になるためには、根を張っている土に栄養が無いと枯れてしまう。無事大きく成長した木には花が咲き、いずれ実がなる。その時期を私は強運と呼んでいる。強運になると、奇跡とかミラクルと呼ばれる事が頻繁に起こる。その人が人生における果実を得ている状態です。このようになると独りでは消化しきれない福で溢れ、ご近所におすそ分けしなければならなくなる。このようになってこそ、人は大人の男になったと言える。
強運学の理論通りに日々を過ごせば、誰もが必ず運の強い人になる。例外なく、なる。これが理論というものです。
「天は自ら助く者を助く」自分でしっかり勉強・努力(ただし老荘思想を、という事)しなければ、天はその人に運を与える事は無い。運とは、自らつくるものであるようであり、又天から与えられるものでもある。正に「空」なる世界の産物のようなものである。
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