2008年05月15日

男は強くなければ生きてゆけない。優しくなければ生きる資格がない

 昔は武士は成人になると名前が変わりました。魚でも大きくなるにつれて出世魚と呼ばれ、名前が変わる魚種がある。実は男という生き物について以前から思っている事がある。男は、生まれただけでは男になれない。生まれたままならただの雄。ヒモかマザコンで、生殖だけ果たしているような奴。ところがこの雄が、いろいろな冒険を通じて自分を磨き、男へと成長してゆく。まぁ大体、この辺りで普通は終わる。ところが、もう一歩成長すると、男から大人へと変わる。この大人の男となるとその数がぐっと少なくなる。
 レイモンド・チャンドラーという作家が、小説の中で主人公のフィリップ・マーローに語らせている台詞が秀逸だ。「男は強くなければ生きてゆけない。優しくなければ生きる資格がない」というものだ。素晴らしい。ブラボー。男はまず雄として、肉体的にも精神的にも強くなるべき時代がある。ちょうど高校野球の球児のように自分を痛めつけて強い男になってゆく。そして、強さというものを持つが故に、それを振り回すのでは無く、強さを後ろ盾に周りの人々に優しくする。ここで判るように、優しさは強さの裏返しのようなもので、我が儘を無理に聞いてあげたり、女々しい事を指すのでは無い。私はいつも思う。愛する人と2 人で歩いている時に暴漢に襲われ、ボコボコにされた後、彼女に「大丈夫か?」と優しくしても、それを優しいと感じるだろうか。やはり相手と戦って守る事が優しさだと思う。
 私は男の成長と運が実はとても相関関係があるのでは無いかと、最近感じている。運とは偶然に天から与えられたり、気まぐれに訪れるものでは無く、時間をかけて理屈通りに育ててゆくものだと考えている。いずれこれを集大成として強運学なる学問大系を創り上げたいと思っているのだけれど、その骨格を少し話してみよう。
 動物も植物も自然の摂理によって生かされているのなら、人間界で起こる様々な出来事も、それを包み司っているものは、やはり、大宇宙の摂理の範中だと考えられる。だとするなら、人間界における運、不運も、大宇宙の摂理で説明出来ると言えよう。
 植物は種が運ばれて来て、芽を出し、成長し、花を咲かせ、実を実らせる。そして次の世代の種をつくる。人間もおおよそ、その流れで考えられよう。とするなら、人間界に生ずる運も又然りと考えられる。まず、運のなる木の種としての自分が居る。これは誰でも同じ。しかしどれほどの運を持っていたとしても、殻を破って芽を出さなければならない。これを開運という。この殻を破って開運するためには、考え方と行動を必ずある決められたものへと変化させてゆかなければならない。これは企業秘密なのでここでは言えないのですが、私はこれを「開運の秘法」と名付けている。これは申し訳ないが、高額の受講料をいただかなければなりません。それほどの金額を払っても、その何倍や何十倍の実りを得るし、又それ位支払っても学ぼうという熱い気持ちがなければならない。少しお金の話になって興奮してしまった。女性と縁が無かった奴が久々に恋人が出来た時みたいに、お金に縁のなかった私がお金の話をして、つい興奮した。私は帝王に帝王学を教える師のように、本人は帝王では無い。私は皆さんに強運学を教える強運学の師であって、強運でもお金持ちでも無い。本題を戻そう。開運した後は、芽が天に向かって伸びてゆくように、運も天に向かって伸びてゆく。それを昇運と言う。
 しかし、大きな木になるためには、根を張っている土に栄養が無いと枯れてしまう。無事大きく成長した木には花が咲き、いずれ実がなる。その時期を私は強運と呼んでいる。強運になると、奇跡とかミラクルと呼ばれる事が頻繁に起こる。その人が人生における果実を得ている状態です。このようになると独りでは消化しきれない福で溢れ、ご近所におすそ分けしなければならなくなる。このようになってこそ、人は大人の男になったと言える。
 強運学の理論通りに日々を過ごせば、誰もが必ず運の強い人になる。例外なく、なる。これが理論というものです。
 「天は自ら助く者を助く」自分でしっかり勉強・努力(ただし老荘思想を、という事)しなければ、天はその人に運を与える事は無い。運とは、自らつくるものであるようであり、又天から与えられるものでもある。正に「空」なる世界の産物のようなものである。


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2008年05月08日

子供の人生は母の思いの一滴から始まる

 又々タイガー・ウッズの登場でーす。最近は年度替わりだからか、テレビでも新番組というのをやっている。何気なくテレビを見ていた。たまにはテレビも良い事を教えてくれる事がある。「タイガー・ウッズの真の強さの秘密」というような内容だった。それは質問形式で投げかけられた。以前に、ゴルフの世界的なタイトル戦の時の事。3日間のプレーを終えて全く同じスコアでホールアウト。タイガ-ともう1人のプレーオフの決着だった時の事。プレーオフ3ホール目、タイガーがほんの少し残して1アップ。相手は1m位のパター。プロはまず外す事の無い距離。それを相手が入れたら、プレーオフは4ホール目に場所を替える。ここで普通なら万一でも良いから、「神様、何とか相手がパットをは外しますように」つい心で祈ってしまうだろう。ところが、タイガーは次のように祈るのだそうだ。「何とか入ってくれ」と。相手が最善のプレーをする事を望むのだそうだ。彼は勝敗よりも、相手が最高のプレ-をした上で、それに自分は勝ちたいという事だ。だから彼は相手の凡ミスでチャンピオンになりたくない。この心の持ち方がタイガー・ウッズをタイガー・ウッズたらしめている理由だという事だ。私は「成る程」と唸った。タイガーには以前から何かが違うと見込んでいたが、このメンタリティーが彼の強さの原点かと合点がいった。
 もう少し説明しよう。どうして相手のパターが入れと願うのか?もし外れろと願って、相手がそのパターを入れたら、ほんの僅かでもメンタルに影響するからだという事だ。目に見えない様なモチベ-ションのダウンが次のホールのティーショットに影響を与える場合がある。ゴルフとはそれ位メンタルなスポーツらしい。相手は入れているから平常心である事は言うまでも無い。
 囲碁の世界にも「取ろう取ろうが取られのもと」という格言がある。これはお子供を育てるお母様には是非知って貰いたいと思った。
 タイガー・ウッズはタイ人のお母さんとアメリカ人(黒人)のお父さんとの間に出来たハーフなのです。私も初めて知ったのですが、この精神をタイガーに教え込んだのはこのお父さんだったのです。何とタイガーの父は、アメリカ軍の多分海兵隊だったと思うのですが、その中の猛者達で編成されている特殊部隊グリーンベレーのしかも大佐だったというのだ。
 そして、相手の最善を願うこのタイガーの心理術は実はグリーンベレー式心理術と呼ばれるものらしい。世界一強い兵隊になるための心懸けとは。「常に相手の最高の戦いを祈りながら、尚かつその相手に勝つ心」という事になる。彼らは言う。「心の中に理想の自分を持つ事」そうする事で心にいつも願うと行動自体がそのようになる。そしていずれは自分の思っている最高の自分になってゆく。
 人生も勝利も好運も全ては、最高の自分の心の中に持つ、大河の一滴からしか始まらない。


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2008年04月07日

たった一杯のお茶

 「常在戦場」という言葉をご存知でしょうか?
 これは武士としての心得を語った言葉です。実際に戦が有る時はもちろん、戦場にいる訳ですが、そうで無い日常で在っても、武士たるものは戦場に居るのと同様に、緊張感を失ってはならないという事と、命を惜しむなという教えです。これはとても厳しい事には違い有りません。何故ならそれは武士の義務だからなのです。しかし、一方で武士は身分制度の最高位に位置し、政り事を行ない、又、唯一刀という武器の携帯が許されていた。つまり大きな権力に対して、とても厳しい義務が課せられていたと言えます。
 今日、私がブログに記そうと思っているのは、このような権利と義務の話では無く、「お茶」の話なのです。日本には茶道というものが有り、始祖は千利休という堺の商人ですが、武士階級の嗜みとして広がり、後には武士の宗匠、古田織部が武家の茶道を確立している。彼等武家の基本に「常在戦場」が有る訳ですから、その茶一杯、この出会い全てが今世での最後のもので有るという心得で交わりをしたものです。「一期一会」という言葉は、そのような心情を表した言葉として、今日も使われる事が有る。
 私は訪問客を迎える時には、いつも自らお茶かコーヒーを入れる。それも心を込めて、コーヒー等は豆から挽いてお入れする。言葉だけでは無く、1杯のお茶にも1杯のお茶にも命が宿ると考えるのが武士道の考え方です。
 松下幸之助先生は、経営者とは一言で言うと「方向指示器付き茶汲み業」だとおっしゃる。つまり、会社の行く方向を指し示し、後は1人1人頑張っている社員の皆様に有り難うの気持ちを込めて、1杯のお茶を入れる。これが社長業だと。私が心に深く受け止めた言葉です。
 でもそんな事を理解している会社勤めの事務員さんは少ないです。薄くてぬるいお茶を平気で出して来る。こちらから言うとわざわざ取引先に足を運んでいる訳です。その相手の気持ちを感じ取る美しい感性が失われて来た。わざわざ来ていただいた先様に対し、口は出さなくとも「どうも有り難うございます」の気持ちは伝わるものです。まぁ、お茶が出るだけマシで、そんな事すら気が付かない無礼な会社も有りますね。
 或いは、こちらからわざわざ時間を空けて訪問している時にも関わらず、話の途中に携帯にかかって来た用件で長々と話をする無礼な奴。わざわざ訪問している者より電話の相手が優先されるならば、全て電話ですれば良い。人間関係とはそんなものでは無いはずだ。私はそういう社会常識を大人になる前の子供にしっかりと教えなければいけないと思う。
 自分の魂を込めて作った作品は美しいオーラを放つし、一瞬一瞬を命懸けで生きている人は何処か凛としている。こういう輝きを放つ事が出来るためには、勝てば良い、儲かれば良い、金を持っている者が偉いという経済の枠組みの中で生きるのでは無く、名誉や誇り、恥を嫌う美意識の枠組みの中で生きるしか無い。
 しかし、この美意識の枠組みで生きるという事は、こうして記すには簡単だが、実はとても難しい。やってみればすぐに解る事だが、まず経済的に恵まれない。そもそも経済の枠組みで生きていないから当然だが、もっと辛い事は私が出会う殆どの相手は美意識の世界で生きてはいない。という事は、いつも無造作に傷付けられるのは美意識のある側となる。凛として生きようと覚悟する事は中々の難題で有る。しかし、そのような覚悟が出来た者が、稀にこの世に存在する。そんな人との出会いこそが珠玉なのだ。 
 私の塾生で岡山から足を運んでくれるY君はそんな若者だ。しかし彼も職場の問題で傷付いている。ほとほと美意識の枠組みの中で生きるのに疲れる国になったなぁと思う。


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2008年03月19日

TOKI-WA-SOH展覧会について

 TOKI-WA-SOHでは、3月20日から4月6日まで、デザイナーを目指す若者達が、TOKI-WA-SOHをギャラリー替わりに、作品の発表会を催す事になった。私は彼等と2年位のお付き合いになるのだが、正直その技術とレベルの高さに驚かされる。特に私は歌と絵は恐ろしい程の音痴だから、尚更なのかも知れない。
 逆にどの若者もその技術やセンスが高い分、デザイナーの世界で生き残るのは大変だろうと、つくづく思う。
 そんな中で気付かされた事をここに少し記述しようと思う。私も小さな企業の経営者である。小さいと言っても、デザインと無縁である訳では無い。例えば名刺1つ取っても、所謂CIというものでも、やはりカッコイイものを創りたいと思う。クライアントの立場からデザイナーを見ると、一番大切なのは技術力より対人関係。そのデザイナーと話をしていると楽しくなって来るか?こちらの希望をちゃんと理解してくれるか?約束はきちんと守れるか?等々…、実はセンスや技術的な事とは別次元の事がとても重要な要素なのだ。ところが、若い学生さん達は、デザインの勉強が殆どの部分で、次はデザイナーとして生きてゆけるかどうかを決めるパーソナリティーの部分が疎かになっている。自分だけの思い込みが激しく、人を平気で陥れたり裏切ったり、世話になった恩師を適当に利用したり等、目先の問題しか見ず、価値観がおかしく、それでも表面的には上手く態度を繕うものだから、信頼出来にくい。でも、これは仕方の無い事だ。デザイナーを志して社会に出て、食べてゆけないとしたら、そしてそれがデザイナーの能力とは違うところが決めているとしたら、皮肉な事だと思う。
 何度も言うが、クライアント自身はあまりデザインに詳しいはずは無い。だから、デザイナーが独りよがりに創り出したデザインを押し付けるのでは無く、クライアントにとってどのデザインが最適で、HAPPYだと心から思い込ませて貰えれば、それに愛着という思いが入り込んで、実はとても素晴らしいものになってゆくような気がする。昔の仏師の諺で、「仏作って魂入れず」というものがある。デザインという世界も実はそうなんじゃ無いかと思う。一流とそうでも無いものを分けるものがあるとするなら、デザインに魂を込める力を持っているかどうかという事だと思う。
 決して精緻な仏像では無い「円空仏」が多くの人々に愛されて止まないのは、その意匠以上にその仏に宿る魂に心が揺さぶられるからに過ぎない。
 老婆心ながら、一生懸命頑張っている若者達を見ていて、つい書いてしまった。
 彼、彼女等は、本当にとてもいい子達だ。真面目で頑張り屋さんだ。だからこそ、これからの人生でも成功していって欲しいと願う。
 私の目から見ていると、「いい子達だよ。本当にいい子達なんだ。でもね…」という感じ。
 人間は「いい人」で終わる事が多い。「いい人」から「出来る人」に飛躍して欲しいと願う。
 
 どうか是非一度、TOKI-WA-SOHに足を運んで、若者達の作品に触れてあげて下さい。
 大人達の批評批判、叱咤激励が必要なんです。


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2008年02月19日

京都って?

 最近、“京都”という事について考える機会が実に多くなりました。先日東京の友人に、「京都ってブランドだよね。でも本当のブランドとしての京都は伝えられてるのだろうか?」と話していたら、じゃあ「京都ブランドって何?」って聞かされて、彼のブランド論を披露してもらう機会に恵まれた。なるほどなるほど、と考えさせられて、自分の明確と思い込んでいたブランドなるものが、曖昧化してしまった。もう一度、京都についてちゃんんと考えなきゃって思った次第です。
 そんな中、先日のコラムにも書きましたが、イギリスの歴史家トインビーが「日本は中国分明の一亜種としてとらえるのではなく、日本独自で一文明と考えるのが、その実体を正しくとらえる。」という説がヒントになりました。考え方、価値観、物の見方の転換をする事で、よりその疑問に対する答えが見えてくるという視点です。
 今、京都でブームになっているのは「町家ブーム」。これは京都の町屋を利用した数多くのショップの総称がその主たる部分です。あと一部には若者が町家生活に憧れているというものです。私は、この町家ブームという事について、街並や、屋敷が保存されてゆく一助に「町屋ブーム」が位置する事においては、大賛成なのですが、その町家という入れ物だけを京都に置いて、商売をするという、この商行為については、はなはだ疑問に思ってきた。ところが、雑誌やテレビというマスコミは、町家、あるいは京都人気という位置に立脚して、報道・宣伝をしているので、その入れ物の中で営まれている精神や文化という事にあける京都ブランド性にはあまり目がいっていないように感じます。
 分かりやすく言えば。東京に全ての資材を京都から持ってゆき、京都の町家を建てたら、その中で営業するものは何であれ、京都と言えるのか?という事です。
 このように各と分かりやすいでしょ。ちょっとおかしい気がしませんか?私は次のような式を立ててみました↓
 京都=ブランド
 ↑この等式は京都という冠名や、京都という場所に存在する事で京都ブランドとなる考えで、似非(えせ)が生まれ易くなる。京料理、京呉服、京タコ、京吉相墓、京飴などなど、品物の前に冠といsて“京”というブランドを付けているものの考え方と言えるでしょう。
 一方私はブランド=京都という等式で全ての事象にフィルターをかけて検証する事を思い付きました。
 この考え方だと、まず、京都があるのではなく、その建物や商品や、サービスが、私の考える京都というものに相ふさわしいものかどうかという、品定めが先にあるのです。その事によって常に京都にふさわしいという事に主眼が置かれ、似非が生まれにくくなる。つまり、本物指向よいう事が言えるのです。
 私はブランド=京都をDNAと考え、細胞には必ずDNAが存在するという理論から、その細胞が分裂して増殖したとしても、必ずどの増殖細胞にもDNAが内在するというアプローチが正しいと考えます。
 最初に、一番最初にそのビジネスが“何か”にとりかかる時点に、ブランド=京都というDNAがなければ、どれだけ大きくなったとしても、そこにはDNAが存在する事はない。これは生命における理論なのです。
 私はこれから、この京都というものの本質について追求をしてゆこうと思っています。


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2008年01月15日

タイルという産業廃棄物

 TOKI-WA-SOHの外観は大正時代のタイルの外装そのままです。五條楽園様式というコラムでも触れましたが、ここ五條楽園の地には、当時のタイルをとても可愛らしく貼ってある建築が実に多い。とにかくタイルというものは、建築の資材の中でも特別に可愛いと思う。ただ、建築という世界は男の世界で、とにかくタイルの使い方が男性的なのです。現代建築の最近の流行りも、モノトーンで有るとか、機能美とか、すごく車のデザインの発想と似た感じがある。そんな車の中でも、ほんの少数だけれども可愛いデザインの車がある。昔のニッサンのB- 1、スバル360、エスカルゴ等々。極め付けは私の愛車ミゼット2。これは可愛い。理屈抜きに可愛い。全ての不都合も、たった1つの“可愛い”という価値の前では色褪せる。
 『TOKI-WA-SOHは可愛い』、入口玄関前に小さなタイルを貼るなんて発想が出来るデザイナーははっきり言って、現代にはいない。だって、カッコイイデザイナーの先生は多いけど、可愛いデザイナーの先生を私は知らない。
 玄関を入って正面受け付けにも可愛いタイルを貼っている。入口右側のカフェは色とりどりのタイルが貼り詰められている。ところでよく写真を観て欲しいのですが、このカフェ一面のタイル、タイルがいろいろな種類で溢れています。実は、建築の現場では、タイル屋さんはタイルを必ず少し多めに発注しておく。それは将来タイルがはがれたり傷んだ時の補修用に敢えて余る分の発注をかける。そして余ったタイルを倉庫に保管しておく事になるのですが、実はこれが大変困った問題なのです。中途半端で使えない大量の余りタイルは、全て産業廃棄物として、わざわざお金を払って捨てているのが現状なのです。私はこの美しき産業廃棄物をせっせとトラックで集めて倉庫に貯めておき、現場現場でイメージに合うタイルを探して来て、コツコツと1人でタイルを貼っていくのです。この TOKI-WA-SOHカフェもそんな廃棄されていたであろうタイル達が、自分の生き場所を与えて貰って、喜びのハーモニーを奏でているのです。命の恩人の私の為に。
 いつもいつも私は何故か強く思う事がある。こんなに可愛いタイル達を産業廃棄物等と勝手に決め付けているのは人間なのです。私がもし、今この様に人間として生まれる事無くタイルとして生まれていたら、まだまだ働いて世の中の役に立てるのに、半端な枚数だという理由だけで、その命を奪われたら、悔しくて悔しくて死んでも死に切れないだろうなって思うのです。
 リサイクルの商品もそうです。もし、この家具に生まれていたら、まだまだ使えるのに、捨てられたら無念だろうなあっと思う。私の周りではほんのほんの少しかもしれないけれど、何とかその物達の命を任うさせてあげたいと、私に命を救われた物達が、安堵の溜め息をついているのです。そして、自分達を捨てずに、大切にしてくれている私のために、その命を輝かせてくれているのです。
 そもそもデザインの原点なんて、何なんでしょうね。私はデザインにおいて先生等と呼ばれる勉強は一切していませんから、私にはデザイン術等と呼べるものは有りません。ただ、その建物や建具、タイル、電燈、家具等等、建物を色どる全てのものが可愛く、そして愛しい。あまりにも今更という感じに聞こえるかもしれませんが、私は、建築も、家族も、人生も、全ての原点は“愛する事”だと改めて言っておきたい。このTOKI-WA-SOHを創る事にあける愛のエネルギーだけは、どこにも誰にも負けない。来てみれば分かる!!


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2008年01月12日

淡交(たんこう)という距離感

 1月5日アップのブログ「人間の器と時間軸」において、物事に取組む時に、人々が無意識の内に各々が設定する時間軸の長短について触れました。この「無意識」の内に成される自分の尺度というものが、実は人生を形づくる重要な要素なのです。
 今回TOKI-WA-SOHを改築するにあたって、自分の中にある美意識を形に表わすと、どの様になるのだろうかという観点から、取組んだ作品とも言えます。美意識と無意識は少し違うかも知れませんが、いずれも意識という目に見えない層に隠れているものが、目に見えるものとなって現れて来るという点は同じと言えます。今回は、人生を形づくる内なる無意識の中でも時間軸と同様に大切ではあるのに、しっかりと意識されていない“距離感”についてのお話を書こうと思います。

 この距離感については、長年に渡って作られた、その生まれた土地土地によって“良”とされてきた固有の距離感というものを、1人1人が無意識のうちに尺度として身に付けています。例えば“大阪人”と“京都人”の場合。本当に隣接するしかも同じ“府”同志でありながら、これ程距離観に違いがある文化も珍しいと思います。私はこの距離感を説明するのに、次の様に例えています。
 大阪人は、親しい間柄になると、例えばプライベートな生活の場面等(日光浴を一緒に楽しむ、ジャクジーやプールを楽しむ等)において、パンツを履いて現れた場合、「俺とお前の間柄でパンツを履くとは水臭いじゃないか!!」と怒られます。京都人は同じ様に家族同様の間柄で、やはりプライベートな場面でもパンツを履かずに現れると、「例え家族同様の間柄とはいうものの、親しき中にも礼儀ちゅうもんがあるやろ。」と言って怒られます。
 大阪人の距離感は本当に親しくなったら、例えどんな事でも隠し事はいけないというのが文化ですし、京都人は、本当に親しくなっても、それ以上は入ってはいけないという最低の距離感を礼儀として称して維持する事が良い事だと考えています。
 この礼儀としての距離感というものの測り方が慣れていないと少し難しいので、これを「京のぶぶ漬け」等と称して揶揄するのが一般的です。どちらが良い悪いの問題では無く、文化による距離感の問題なのです。もう1つ、今度は関東と関西の距離感比較論の比喩のお話です。飲食店において、関東では店を気に入ると「この店は良いね。僕好みだよ」と言って毎日の様にやって来て、お金を気前良く落として行く。ところが、ある日を境にフッツリと来なくなる。一方関西人は、「こんなしょうもない店、ようやっとるなぁ~」とか「もうちょっと気の利いた音楽流せへんのか!!」と文句ばかり言う。ところが、何年にも渡って、忘れた頃にはフラッと現れて又文句を言って帰る。いわゆるしぶといのが関西人らしい。店側としては、どちらのお客様も有難いのですが、私はこの距離感が友人関係にも当てはまるといつも考えます。
 それぞれに自分の好きな距離感で生きなければ、それで良い訳なのですが、政治家や経営者等の、リーダーと呼ばれる人々はどの様な距離感で生きれば良いかとなると…、これをはっきり指南しているものとしては、中国思想しかありません。「およそ君子の交わりは淡交(たんこう)をもって良しとなす。」としております。出典は何だったか忘れてしまいましたが、私は安岡正篤先生の著書にて学びました。
 この淡交を現代風に言うと、時折、季節の手土産や採れた海の幸等を持参し、フラッと友を訪れる。友は心を込めたコーヒーやお茶でもてなす。何を求めるでも無く、ただ最近の出来事等を思うままにひとしきり話をして、頃合いを見計らって又訪れると言い残して辞する。亭主は心ばかりの品を土産に渡して、表玄関迄“身送り”、友の姿が見えなくなる迄“見送る”。さしずめこういった事が淡交というものです。茶道というものは、この淡交を非常に重んじ、形式化した文化と言えます。
 私もつくづくこの“淡交”における距離感が大切であると実感しております。これは人と人の交友において、語られますが、ビジネスにおける損得が絡んだ場合に、淡交を意識している人がどれだけいるでしょうか?
 私は利害損失の渦巻く人生の時期を過ぎ、老境に入った時、男は女と違って寂しい生き物だと思うのです。子があっても父とはどこか距離感があるし、孫の扱いも何かを買ってやる事でしか関係性が維持出来無い様な気がするのです。かと言って長年社会で働いて、最後は女房とだけというのもとても寂しい気がするのです。そんな老境を淡交でもって多くの友と過ごしてゆけたら、どれ程幸せな事でしょうか。私はこの様な多くの“人脈”では無く“友脈”というものを持つ事が、実は全ての人生において多くの実りを生むという、逆説的な生き方の様に考えています。利をもって交わる人脈と徳をもって交わる友脈。ちょっと意識してみてはいかがでしょうか。


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2008年01月09日

神通力は人通力

 神通力という力をご存知ですか?神通力とは、霊能力や摩訶不思議な超能力の事です。一般の私達にはまず縁も無いし、知識も無いので、ちょっとここで一般教養としての神通力を説明したいと思います。神通力と言ってもいくつかその種類がある様で、主なものを六大神通力と称するのだそうです。

1.天眼通力
天眼・霊眼で見える事。例えば、相手が何をしているか、将来はどうなるか、それらを神様が霊眼で見せてくれる事を言う。

2.天耳(に)通力
耳で神の意図がキャッチでき、人の聞こえないものが聞こえるというもの。神様の声が聞こえ、神様の言う事が分かり、神霊とお話が出来る事。

3.自他通力
相手の思っている事がすぐ読めるという通力。黙って座ればピタリと当たるという様に、相手の心を写す事が出来る。

4.運命通力
運命を予知する力で、過去にはこういう事が在ったとか、未来にはこういう様になっていると当てる事

5.宿命通力
その人がどういう天命を持って生まれてきたのか、前世とどういう因縁があって何故こういう運命になったのかという前世・今世・末世の事が分かる事。

6.漏尽(ろじん)通力
人の悩み、苦しみ、様々な問題を解決する能力の事。

 これから神通力について説明したらゆっくり本が書けるでしょうし、そんなつもりでお話を始めたのでは有りません。実はこの中でたった1つだけ、仲間外れの神通力が有るのです。答えは、“漏尽通力”です。漏尽とは漏れなく尽くすという意味で、人の問題点や苦しみを漏れなく尽くして解決し、幸せに導く能力をいう。この通力だけは、苦しんでいるという事実を当てるというだけでは無く、具体的にそれらの苦しみを解決する事が出来るのです。勇気を持って乗り越える。或いは、慰めや叡智を持って乗り越えるべく、具体的な救済力を発揮して苦しみと煩悩を解決する事が出来るのです。お分かりでしょうか。この一点において、この漏尽通力は、神通力の王様なのです。
 本当にその人の心の痛みが我が痛みの如くビンビン響く力。若い時に辛酸をなめ、人の道で苦労に苦労を重ねてきた人は、誰よりも人情の機微が分かる。下から積み上げてきた苦労人の社長は、下の社員の苦しみ、悩みがよく分かる。例えば、豊臣秀吉は、戦をする時も、征服された人の気持ち、敗軍の将の気持ちを汲む事が出来ました。戦わずして勝ち、無益な殺生はなるべくしなかった(晩年は必ずしもそうでは無かったのですが…)正に漏尽通力の達人と言えます。そもそも神通力というものは、人を幸せに導く行いが出来る様に与えられた能力なのです。「神界からの神通力(深見東州参照)」
 私がこの本に出逢ったのは、随分前の事です。そして、要約すると、「人生で苦労に苦労を重ね、人情の機微を理解し、人々に解決策を提示出来る力が一番高級な神通力なんだ!!」と理解したのです。「面白そう?」「苦労して苦労して漏尽通力の使い手を目指してみよう!!」これが私のその時の感想でした。こうしてブログを書いているのも、少しでも何かの悩み解決に役立ちはしないかという私の思いからもあるのです。肝心のTOKI-WA-SOHの事をお伝えするよりも、ついこちらの方に力が入ってしまいます。でも、こんな思いを形にしたものがTOKI-WA-SOHですし、又、ここへ集って下さる入居者の皆様に、“館の主として”出来るだけの事をしてあげたいという私のお節介な心でもあるのです。
 話を元に戻しましょう。
 では漏尽通力を身につけるには、日々どのように生きたらいいのか?以下、私の実践している方法を述べたいと思います。

1.時間という有限の資源を出来るだけ多く考える事(読書も含む)に投入する。

2.好奇心を持って日々の人生に体当たりでぶつかってゆく。

3.押し寄せてくる難題や障害は、かわそうとせず、真正面から迎え撃つ(例えばイチローは良い球を打とうと考えるのでは無く、相手投手の自信のある一番難しい球を打とうと考えて打席に立つ)。

4.自分には出来るという自信を持つ。

5.大器晩成と信じ込む(あまり早くに芽を出したものはウソくさいと思いましょう)。

6.学びや実体験で身に付けたものを全部投げ出しても良いという気持ちで、いつも耳を澄ましている(既成疑念を疑う。賢くなりすぎない)。

7.神様はどうやらS、それも“ドS(ドスケベでは無い)”なので、神様に指導して貰いやすい人はM、それも“ドM”らしい。“ドM”の時代を過し、神通力を身に付けると“ドS”になっても良い。

8.“魅力”というものは漏尽通力の一種だと思う。“魅力”の神髄は、本人の能力の高さでは無く、「私がそばで支えてあげなければ!!」と周囲の人達に思って貰う力の事。そういう意味において、通常「~力」と言われる能力とは全く違う力という意味で、人間力の中の漏尽通力と言えます。その人の欠点さえ可愛く受け入れて貰う力と言えるでしょうね。

 「神通力の王様が漏尽通力であるなら、人通力の王様は魅力だ!!」この両方を持ち、自在にこなす人が超一流なのです。しかし、超一流は“一流を超えちゃってる”から凡人から見ると凡人にしか見えなかったりする。本当に良い映画がヒットせず、派手なアクションやSFが目立ったりする。ま、日本という国が超一流とするなら(?)アメリカなんて一流どまりだね。これからは日本という国を深掘りして世界に発信してゆきましょうね。その聖地は京都で、その中心はTOKI- WA-SOHですよ~。


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2008年01月05日

人間の器と時間軸

 京都、大阪、神戸、これを「三都物語」なんて、とある鉄道会社では観光キャンペーンの名称にしている。何となく林英臣政経塾塾生の佐々木君が先日話していた、ロンドン留学の話を思い出した。ロンドンに彼が居た頃、同じアジア系の人間からよく「ニイハオ」と挨拶される。「ぼくは日本人だから“こんにちはって挨拶してよ”」と頼んでも、しばらくすると又「ニイハオ」。あまりにくどいので怒ったら、「じゃあ、お前はインド人とパキスタン人を区別出来るのか?」と反論された。「ムムム、確かに出来無いかも…」しかし彼等には違いが分かるらしい。同じ事だろうと主張。妙に納得したと語ってくれた。面白いやん。ではここで問題です。先の「三都物語」の三都の中で、京都人をバッチリ当てる方法は?一体?
 顔・形では有りません。まず無理です。
 …このブログを読んでいるあなたにそっと教えちゃいましょう。京都人だけの特別な言い回しが有るのです。これは外来京都人は殆ど使えませんから。
 はい。では答です。「京都人は何かを強調する時に接頭語を二度繰り返す」以上。
 え?分からない?ではもう少し詳しく説明すると、その二度の言葉は微妙にイントネーションが異なる。「え?何何?分からないよ~」って???じゃ、例を挙げましょう。「とても寒い」→「寒い、寒い(さぁ~むい、さむい)」、「とても美味しい」→「う~まい、うまい」。他にも「暑い、暑い」「しんどい、しんどい」「辛い、辛い」等々。この点をしっかり観察すると土着かそれ以外かがよく分かる。思うに代々京の都では、ずっとずっと、とてもとても、何年も何年も続いて来た歴史がこの言い回しを育んだんでしょうね。
 TOKI-WA-SOHが出来てから、今迄よりずっとずっと「京の都」について考える時間が増えました。兎に角、「京の都」という町は、自然、建物、工芸品、文化、作法等々上等なおもちゃがぎっしり詰まったおもちゃ箱の様なものだという事をしみじみ感じます。そしてその理由を考えると、「それはそれは数限り無い人々人々が永遠の時の中で、工夫に工夫を重ね受け継いで来た、その時間の長さ」という結論に達しました。「今更お前になんかに言われ無くても分かってる!!」という声が聞こえて来そうですが、もう少し、そうおっしゃられずにお付き合い下さいね。
 私が尊敬する松下幸之助先生は「志とは?」とう問いに対して「自分が生きている内にはその完成を見る事の無い様な目標に対し命を賭ける事が出来る事」と答えておられます。
 昭和7年5月5日に、建設時代10年、活動時代10年、社会への貢献時代5年、合わせて25年間を一節として、これを10節繰り返す壮大な250年計画という崇高な使命、遠大な理想を第1回創業記念式で発表されておられます。ご存知の様に松下幸之助先生は「経営の神様」と迄呼ばれ、「松下政経塾」の創立者でもあります。
 松下幸之助先生は幼年期、明治32年に父君が米相場に失敗して家が没落し、明治37年の満9歳の時にはもう大阪へ丁稚奉公へ出されているのです。今の世間の高学歴第一という考えで言うなら、真逆の人生のスタートと言えます。多くの学者が後に人間「松下幸之助」を研究しておられますが、私は一点松下幸之助先生と他の人々の違いは「物事を計画する時に設定する時間軸の長さ」、これに尽きると考えております。
 私達日本人、京都人、そして松下幸之助先生、人間としての能力は特別驚くべき大きな差が有るとは思っていません。ただ、日本は万世一系の神代の時代から創られて来ましたし、京都は1200年という年月をかけて受け継がれて来ましたし、松下幸之助先生はとても長い時間軸から構想を練り上げられた訳です。例えば、6ヶ月という時間で自分は何が出来るか?という視点で計画を立てるのと、3年という時間で立てるのとでは、同じ自分なのにその広がりと深さは全く違うものとなります。その「広まりと深さ」=「人間の器」となると私は考えています。その長い時間軸の中で努力を怠らず、コツコツ努力を重ねて行くと、結果として「京の都」となり、「世界の松下」となって行くのです。
 これは正に1人1人の人生にも丸々置き換える事が出来ます。つまり「普段物事を考える時に何気無く無意識で設定している時間の長さをもっともっと長くする事によって導き出される目標や答の違いをしっかりと比べてみて、時間軸を長くした結果を検証する事によって、自分の可能性を大きくして行けると思うのです。
 小学校の時、どうしても私が勉強で勝てない女の子が居ました。それが悔しくて仕方が無かったのですが、私の脳ミソではどうする事も出来ませんでした。しかし、その時思った事が、彼女はいずれお嫁さんに行って子供を生んで、家庭に入ったら勉強する時間が無くなるかも知れない。この方法で行こう!!
 今年50歳になる今の私は彼女に勝てるだろうか??分からない。ただ1つ明らかな事は、今日もサボらず勉強し続ける事。


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2007年12月30日

TOKI-WA-SOH忘年会

 このブログやTOKI-WA-SOHサイト制作でお世話になっているアートディレクターの吉本さんが、教鞭を執っているデザイン学校の生徒さん20人程を連れてTOKI-WA-SOHに来られました。年の瀬の忘年会という訳です。たまたまその日、私の同級生仲間3人と仕事についてのミーティングが有り、その流れでおじさん達も加わった合同鍋パーティーと相成りました。25日から続いていた様々な面々との TOKI-WA-SOH忘年会でしたが、最後は若者達との賑やかな締めを迎えました。その人数もさる事ながら、締めにして初めて女性も混じった忘年会。とにかくおじさん3人はただただ嬉しいのです。お酒を飲んで、鍋をつついて、話がいろいろ繰り広げられ、TOKI-WA-SOHと英徳館はいっぱいいっぱい「良い気」を吸って、きっと幸せだったに違い無いと思う。こうしてたくさんの人が集う場所は間違い無く「イヤシロチ」(イヤシロチのお話はコチラ)なのです。皆さんありがとうございました。

 明け方になってもまだおじさんの話にお付き合いして下さった数名の皆さんに対し、私は「どんな夢を描いているの?」という質問を1人1人に投げかけました。デザイン学校に来る迄国民休暇村で働いて
いた男の子は「何となく自分としては違う事をしてみたくて、26歳にしてデザインの勉強を始めて、デザインに関わって行きたい」と言い、鳥取から来た女の子は「鳥取ではデザインの勉強や仕事が無いので、関西に来たけれど、いつか地元でデザインの仕事でご飯を食べられる様になれたら…」と言い、又違う男の子は「伝統工芸師のお父さんの仕事を世の中に知らせて行ける様、デザイナーとなって手を貸したい。そのために来年東京で就職する」と言い、「デザインの勉強をする事で、デザインだけでは無い、様々な事を知ら無ければならない。その過程で視野が広がるのが嬉しい」と言う女の子がいたり。デザインを通じて世の中の役に立てる人間になりたいと言う、彼、彼女。今はデザインよりも人と関わる仕事をしてみたくなって悩んでいる彼女。皆皆とっても美しい心の持ち主。感動、感動。ウルルンウルルン。ちなみに私が若者達と同い年だった頃の目標→「学習院大学へ行って、べっぴんのお金持ちのお嬢を口説いて婿養子(でも姓は変えない)になって、それを足がかりに花の都大東京で立身出世をして、ひと花咲かせたる!!」でした。
 当時は「逆タマ」と云う言葉もまだ無い時代。「水呑み百姓の小せがれが成り上がる方法」等と悦に行ってました。正直、学習院大学法学部を受験しました。その時の試験助手のお嬢様を見て、「やっぱり俺の考えに狂いは無かった。ファーストコンタクトで、やったー!!」と心の中で呟きました。そして試験の結果は「合格!!」。私の成り上がり作戦は見事第1関門を突破したのでした。その後訳有って、次のステップには進めず「チーン」。未だに京都でこうしております。
 若者達と向き合って認識した事、1つは「やっぱり時代は動いている」。マグマは明らかに入れ替わりつつある、と云う事。そしてもう1つが「やっぱり若者は魂の大先輩だ」と云う事。大抵の大人は若者に対し「後ろから付いて来る」と先入観を持っていますが、ぼくは魂の輪廻を信じていますから、肉体は大人の方が若者より先輩だけれども、魂は大人より若者の方が300歳は先輩なのです。私事で恐縮ですが、長男が生まれた日に病院で初体面した時、「あ!!!俺はこの人の部下として生きていた過去がある」と感じました。私は女房に向かって「おい!!これは俺達の子供じゃ無いぞ。真面目に頑張って生きて来た夫婦に対し、神様が授けた尊い宝だ。大切にお守りしないといかん」と真顔で言うと、女房には「こんな親バカ有り得へん。世界イチの親バカとはあんたの事や!!」と言われてしまいました。修行の足りない女房には私の事を理解するにはちょっと無理が有った様です。
 子供や若者から気付かされる事って、やっぱり本質的な事ですね。おじさんは口は達者でも、ピュアなハートには到底かなわないですね。心地良いサプライズに出逢えた年の瀬でした。

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2007年12月25日

Do You Know「五條楽園様式」

私は「TOKI-WA-SOH」の原型の不動産を買い求めて初めて知った事があります。正直言って京都に約50年住んでいながら…なのです。それ程迄にこの五條楽園という地は、ミステリアスで発見と感動に満ち溢れたエリアなのです。友人達はこんなに私がこの地に入れ込んでいるのを見て、「お前、さては河原に眠っていたベッピンの霊に取り憑かれたなあ~」と笑いながら言います。『憑き神』なんて映画もある様に。実は私は本心では、「憑かれた!」と感じているのです。なんて言うのは「ウソ!ウソ!」
ひとえに私の「可愛い美意識がビンビン反応するのです!!!」
 前置きが長くなりましたが、この私が「ビンビン」来るもの、それは「五條楽園様式」という単一属単一種の何とも言えない様式美なのです。その昔、そう大正から戦前にかけて、この地のみに多数存在したであろう、五條楽園というパラダイスのみに存在した様式なのです(ある週刊誌の戦前の日本の風景という写真に五條楽園というのがありました。そこにはやはりその様式の建物が灯りに照らし出され、その前に洋装の女性が3人立っていました。五條楽園様式=洋装だったそう。一方は京町家=和服の構図でしょう)。
 その様式を殆ど手を加えられる事無く、今日迄保存している館は、外観だけで有れば数軒、その内装迄含めると、「TOKI-WA-SOH」が唯一なのでは無いだろうかと内心思っています。「確信している。」が正しいかも知れません。前にも書きましたが、長い長い日本の歴史の中で、ほんの一瞬でも存在した私達の歴史、少数であってもちゃんと京都の歴史を生きた館を残してあげたい。持主のご主人に申し入れた時、「往時の偲ばれる様に復元して使いたいので是非お譲り下さい」と伝えました。「嬉しいね。あなたにお譲りします。完成したら案内下さいね!」とのご返事。私は又少し京都のお役に立てると思いました。
 「五條楽園様式」についての詳細な記述は差し控えます。ホームページ上でご覧頂く事も出来ますが、正しくはこの地に足をお運びいただいて、「TOKI- WA-SOH」をじっくり味わっていただいた後、このエリアを散策していただくのが良かろうと思います。和でも洋でも無い、この地だけの五條楽園様式の現存建物を見つけたら、きっと「カワイイ!!」と叫ばれる事でしょう。私だけでは無く、後5名程の「取り憑かれる」幸運な方を現在募集しております。
 この気持ち良さを独り占めする事への罪悪感から渋々情報をご提供する気になりました。この情報は正にとっておきの内部情報につき、決して決して他言されませんよう、くれぐれも宜しくお願い申し上げます。


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2007年12月24日

五條楽園歌舞練場と初デート

日頃は忙しい私、珍しく今日は夕方から比較的時間の余裕があった。友人に会おうかと電話すると、都合が悪いらしい。そういう時は流れに決して逆らわない。すると案の定、その後2人の来訪者を迎える事となった。そして何気なくポストを開けてみると1通の案内状。以下はその案内状の文面「たからづくし」。
 「心せわし心おどる師走がやってまいりました。いかがお過ごしでしょうか。ひと・もの・ばしょに出会いながら、さまざまな挑戦を続けてきた今貂子 (ima-tenko)+倚羅座(kiraza)は、今年『五条楽園歌舞練場』に出会いました。時の流れの中で、今もひっそりと息づくパラダイス。“年わすれ年むかえ めでた目出度や たからたち 天晴れ ハレ舞台に舞い踊る!”にぎにぎしくご来場賜りますよう、心からお待ちいたしております。」とあった。
 今日の私の夜の予定が空いたという偶然、私も一座も五条楽園歌舞練場は初対面という一致。これはいつもの“ミラクル”の臭い。今夜、ここで公演を観る事は全て「必然」だったはず。
 私はいそいそと、まるでデートに出かける感覚にも似た軽い高揚感でお出かけ、と言っても雪駄履いて徒歩1分。今の人々には経験がないだろうが、映画や盆踏り、みんな近くの講会堂へ出かけて行って町内で鑑賞したものだ。そんな芸能と村々の原風景を思い出した。
 TOKI-WA-SOHのご近所の五条楽園歌舞練場は、どちらかというとさびれた感でひっそりとした佇まいで、とても華やかな五花街の歌舞練場とも異なり、ましてや劇団四季のミュージカルを公演する京都駅の大ホールとは真逆、対極に位置するような場所だ。
 歴史的に少しこの五條楽園を説明すると、9世紀末頃、嵯峨天皇の皇子であった左大臣源融(とおる)が造営した邸宅で、『河原院』と称するものがこの一帯に建てられたのが最初。それまでは鴨川の河原の荒れ地であった。その後は荒れるに任されたが、その後、江戸時代に遊廓であった京都島原が大変に栄え、その京都島原の飛び地としてこの地に五條楽園の前身として艶街が造られ、今日に至っているのだ。今では遊廓もなく、かなり寂れた感があるが、往時をしのぶ街並みがまだ残っており、京都の中でも風情のある場所となっている。今でも1100年前くらいの楠が1本ある。
 公演の舞台は2階にある。ここは今ではとても珍しい木造の3階建てなのだ。会場は20メートル四方くらいで、前の3分の1くらいが1段高い舞台となっている。暖房設備なんて気の利いたものはない。座布団を敷いてせいぜい100人が限度くらいのホールという感じ。
 そこで繰り広げられた芸能は、全身を白く塗り、主に1人、ないしは2人の踊り手が、自分の肉体という道具で表現するというもの。少なくとも全身真白で、滑稽とも言える身のこなしは、三条河原で出雲の阿国が阿国歌舞伎を披露し、当時の都人を驚かせた歌舞伎の原初的な風景のようだった。演者が塗った粉が舞い散り、その踊りに込めた情念が力を持って迫ってくる臨場感は感動的だ。そしてそれを包み込む歌舞練場という入れ物が、より一層その雰囲気を盛り上げている。
 「TOKI-WA-SOH」におけるクリエーターと入れ物の創発を感じた。劇団四季のミュージカル『ジーザスクライスト・スーパースター』というものを最初観た私には、動きの速さ、人数、入れ物、情念等々、日本ならではの日本人的表現にその文化の色を見た。阿国が我国の歌舞伎の原点となり、今日の隆盛を迎えたように、これとは言えないまでも、このような現代における未来の日本の歌舞伎のプロトタイプにならないとは誰も言えないのではないだろうか。
 五條楽園歌舞練場と初めてデートをして、その魅力に取り憑かれたかも知れない。これからもこの魅力的な五條楽園歌舞練場とともに素敵な時間と思い出を築き上げたいと思った。
 
 有難うございました。お誘いいただいた事に心から感謝致します。やっぱり日本はいい。京都はいいと心から思った。


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2007年12月21日

「ハリセンボンとネタ帳」

 五條TOKI-WA-SOHへの出社前にダラダラとテレビを見ていたら、ハリセンボンとデブカワの女ピン芸人(名前忘れた)が年末年始大忙しらしいとの事。「世の中の流れは変わった!」僕の子供の頃に、年末年始の番組と言えば“スタア”しか出られなかったもんだったような気がする。まぁ、そんな事はどうだってよくて、ハリセンボンは芸歴が5年、しかも濃いキャラで売っているので、「キャラが飽きられた時は芸歴が短いためネタ不足になって長く人気は続かないだろう。」とプロの批評家がコメントしていた。今後のハリセンボンは見てゆきたい。
 昨晩、友人の福丸さん(次回の茨木市議選に出馬しま~す)に、「福ちゃん、僕のブログっていうの読んでくれてるぅ~?」って電話をしたら、以外なる答え。「読んでる!」「読んでくれてんの?ほんまにー?」「読んでるよ『息子の実印』。」「ほんまや。読んでくれてんのや。ありがとう。」話はここからなんですが、「ちょっと気になる事があってね。このペースで毎日書いたらしんどいよぉ。ネタがもたんやろ。」と。「もうちょっと短かめにしたら。」とご意見をもらいました。私は他の方のブログというのを読んだ事もないし、そもそもブログが何なのか良くわからない。ホームページを管理して頂てるデザイン事務所ペーパーウェイトの吉本さんに、「できるだけ毎日書いて下さいね。そうしたらTOKI-WA-SOHのファンの方が増えますから。そうすると注目されますからね。」とだけ聞かされただけ。毎日せっせと万年筆で書いた原稿を先生の事務所にFAXするだけ。ネタの事なんか考えた事もなかった。
 どうやらこのペースで書いている人は少ないようなので、ずーっと続けたら他の人とは違った味が出せるだろう。単純にそう思ったので書き続ける事にする。
 要するにこのペースで書き続けても尽きないだけのネタ帳を持っているのかという事が、私もハリセンボンにもポイントである事がわかった。肝心のネタ帳の話なんですが、ネタは涌いてくる。ポコッ、ポコッっていう感じ。ただ、涌いてくる場所が限られている。30分間。いや、正確には15分、15分の合計30 分間。それは自宅と事務所の往復の、それぞれ車中なのです。これが不思議と車の中だけ。何でだろうなぁって考えていたところ、理由を見つけたのです。事務所の蓄音機でビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」を聴いていた時の事、ホワイト・クリスマスだからムードを出そうと電気を消したところ、音がはっきりと際立って聴こえたのです。もう一度電気をつけて聴いてみて、また消して聴いてみた。「な~るほど。」目に余計な刺激が入らないので、自然と音に集中するからだとわかったのです。そう言えば、コンサートホールも映画館もバーも、みんな暗かった。
 多分車の中は、走る事に集中しながら頭が自然にカラッポになっているのでしょうね。いろいろな雑念が取り払われたところに、埋もれていたネタがポコッ、ポコッと吹出してくる感じなんでしょうね。と言う事は、ネタ帳の有無というよりは、どれだけの資源の鉱脈が埋もれているか、それが今後のこの私の人気を左右してゆくのでしょうね。と言うかぁ、今後の人気も何も、今まだハリセンボンのように人気も出てない状態という事が明らかになったところで、テンションがダウンしました。お終い。

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「思い出のお金持ち」

 以前、私は不動産業を専門にしていた時代があります。その屋号は「有限会社親切な不動産屋さん」と言います。もう一度言いますよ。「有限会社親切な不動産屋さん」です。「ほんまかいなー?」この名前は、かなり一世を風靡しました。
 ほとんどの業界の方々は、「こんなん有り得へんで。いったい何が親切なんやね。」「何て言うて電話口にでるんやろ?」住宅情報に当社の名前が載るや電話が鳴る鳴る。「ハイ、親切な不動産屋さんでございます。」電話の向こうで「オイ、ほんまに親切な不動産屋さん言うて出とるで。」ガチャ。プーッ、プーッ。ほとんど無言電話。友人の業者さんに「この屋号にして、ほんまかどうか確認するための無言電話がめちゃくちゃ多くて困ってんねん。」とポツリと漏らしたら、相手が「ゴメン。その中の1本俺やわぁ。ガンチャンの会社やて知らんかったから、ほんまかいなぁ思てかけてみてん。堪忍堪忍。」「え!あんたもかいな。」という事がありました。
 極めつけは高校の国語の教師と名乗る女性からの電話。「もしもし、私、高校の国語の教師をしておりますが、おたくの屋号はおかしいと思います。自分には呼称としてのさんをつけるのは文法的に間違っていますので、お教えします」ガチャ。「あ、あの~、これって呼び名というか屋号なんで~。」と心の中で呟きました。こんなネタを披露できるのも、いっぱい面白いエピソードがあるからに他なりません。先日も様式美のお話をしましたが、これも私が決めた生き方のスタイルが生み出した楽しいエピソードなのです。
 私達の明治の先哲で尊敬すべき後藤新平先生(台湾総督)が「上なる社会は人を残し、中なる社会は名を残し、下なる社会は財を残す。」という言葉を残しておられます。私はこの言葉に感銘を受け、以後そのような気持ちで会社経営をしてきました。これが会社のスタイルとなるのです。これについてはいずれ詳しく別の機会にお話したいと思っています。
 私は若い頃に余命何年と告げられた過去があるのです。そしてその時考えた事が、どうせ長くない命なら「思い出のお金持ちになって死んでいこう」という事なのです。これも「思い出」と「お金持ち」と相入れない単語を使っていますが、思った事は、いい思い出も、苦い思い出も、どうせ死ぬ時には思い出しか持って行けないのだから、いっぱいいっぱい思い出を持って旅立とう、という事なのです。お金も愛する人々も連れて行く事はできませんもんね。
 「あ、借金だけは連れて行けるなぁ。」ま、そんな事はいいとして、それ以降、思い出づくりには誰よりも熱心に励んできました。今回の「TOKI-WA-SOH」も「五條英徳館」もそのひとつなのです。
 人生とはなかなか思い通りに行かないもので、「35歳までには絶対死んでやるぞー。」と意気込んで(?)せっせと思い出づくりに励んできたのに、困った事に予定が大幅に遅れてしまい、いったいいつまで思い出をつくれば死ねるんだろうと有難い悩みの今日です。
 「誰よりも思い出いっぱいの人生」こんなスタイルの人生もまた楽しいものです。今日もまた楽しい思い出がひとつ増えました。有難う。

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2007年12月20日

来年の話をすると何故鬼が笑うんだろう?

今日の明け方、24Hのイオンにお買い物に行きました。行幸2年目の私にとっては、本当に嬉しいお店なんです。まず大型駐車場、らくらく駐車OK。行きたい時に自分の欲しいものをあれこれと探す探検気分が味わえる。で、何を探すのかというと、割引きシールの商品。“割引きハンター”ってやつですね。ご飯のメニューも何とかハンティングした割引き商品で工夫します。とにかく幸せがいっぱいある事に感謝、感謝なのです。
 で、今日はイオンのお話がメインなのではなく、このイオンで流れていたBGMがつかみです。よく自社の宣伝歌を永遠に流し続けているお店ってありますよね。私あれ大嫌い。何か自分の事しか考えてないお店のようで買い気大幅ダウンしてしまいます。ところがイオンはジングルベルを流していたのです。“ジングルベール、ジングルベール…”「あ~、もうそんな季節なんだなぁ。」ってただそれだけなんだけれど、ほのぼのとしてしまいました。
 年の瀬が過ぎたら新年、私も50歳という(記念すべき?)歳になります。「来年かぁ~?」いっぱい、いっぱい計画があります。今年「TOKI-WA- SOH」と「五條英徳館」が完成し、来年は期するところがあるのです。「えーっと来年は~。」と考え始めたところで、ふと止まってしまいました。そう言うと昔から“来年の話をすると鬼が笑う”って言いますよね。「何で鬼が笑うの?」誰か理由を考えた事あるのだろうか?

 そこで、イワタ式定義の始まり始まり。
 「鬼」を辞書で引くと1.想像上の怪物 2.荒々しく恐るべき人 3.物事に精魂を傾ける人 4.鬼ごっこの鬼 5.死者の霊魂とありました。このことわざに言う鬼の意味するものは「未確定で予測ができないから、怖いとか恐ろしいという災難を擬人化したもの」ではないかと思う。これは基本的には宗教観であり、その先は自然環境に行き着く。砂漠の宗教であるユダヤ教やキリスト教、イスラム教には絶対神がある。そりゃそうだよね。砂漠にオギャーと生まれて死ぬまで、毎日毎日見る景色が、ほとんど変わる事なく死んでゆくとするならば、そりゃ誰だってその背後に絶対神があるって考えても至極当然ですよね。ところが、一方、東洋の宗教は諸行無常という「無常観」に覆われている。つい先日まで暑い暑いと行っていたかと思うと、もう雪が降っていたり、昨日までいいお天気だったのに、急に台風が襲ってきて風景までも変えてゆく。「ああ無常」来年の事どころか明日すらわかったものじゃない。だから人々は心の救いを求めて八百万の神々に救いを求めたのでしょう。これくらい環境によって人々は左右され、考え方も形づくられてゆく事に、今一度考えを巡らせた方がいいと思う。
 ま、要するに、ここ「TOKI-WA-SOH」と「五條英徳館」の環境をPRしたいだけなんですがね。とてもまわりくどい話なんですが、実はこの“能書き”ってやつがとっても大事なのです。京都という町は、はっきり言えば“能書き”で食ってる町ですから。でも馬鹿にしちゃいけませんよ。“能書き”って言えるもんなら言ってみろって叱られちゃいますよ。

 さぁ、やっと一番言いたい事に辿り着きました。
「来年の1月10日号のCasa BURUTUS(カーサ・ブルータス)にTOKI-WA-SOHが1ページで掲載されます。」


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2007年11月26日

「業」を考えるきっかけとして…

「この世は時間と空間と業でできている」
インファナル・アフェアー テロップより

 このTOKI-WA-SOHと英徳館の建築に携わってから、この「業」という言葉を強く意識させられる様になりました。そんな折り、吉本隆明氏の「真贋」という本を読んでいて改めて考える機会を得ました。このコラムを読まれた方にも思い当たる事は誰にでもあると思うので、少し長いですが、「業」について書いてみたいと思います。


 「業」を考えるきっかけとして…1
 「我は哲理をするように罰せられている」デカルト

 「本を読む人も全然読まない人も、それぞれいます。本を読むのが好きな人でも、昔で言えば「一杯のかけそば」みたいに人に涙を流させる様な本を読む、という人もいます。いや、そんなのはあまり高級ではないと言って、難しい本を読む人もいます。本を読む事が、人をどう変えるかという事に関しても、人様々でしょう。ただ、そこで多くの人が見落としているのは要するに、本を読むという事には、“利”と共に“毒”があるという点です。例えば、本をよく読む様になってから、実業的な利益に対してあまり関心がなくなるという事があるでしょう。情念の移り変わりや感覚の素晴らしさに惹かれて現実離れしたものが好きになっていく人はよくいます。確かに、高度な感覚や心を持ち帰る事で、人間として良くなるという観点もありますが、その一方で、毒がまわっている事にも注意しなければなりません。」吉本隆明「真贋」より(P.30)

 「ある時、親鸞が唯円に『おまえは俺の言う事なら何でも聞くか』と言った。唯円は『お師匠さんの言う事は何でも聞きます』と答えると、親鸞は『人を千人殺してみろ』と言った。唯円は正直に『いや、千人殺せと言われても、一人の人間さえ殺すだけの気持ちになれないし、それだけの度量もないから、それはできません』と答えた。親鸞は『今俺の言う事は何でも聞くと言ったのに、もう背いたじゃないか。そういうふうに業縁がなければ、一人の人間さえ殺せないものだ。だけど、業縁がある時には、一人も殺せないと思っても千人殺す事もあり得るんだよ』と言った。一人の時にはたった一人も越そ施ないのに、例えばせんそうになると百人、千人殺す事はあり得る。それはその人自身が悪くなくても、業縁によって千人も殺すという事はある」吉本隆明「真贋」より(P.57~58)

 吉本隆明氏というより、吉本ばななの父君と言う方が世間的にはわかり易いのかもしれませんが、いずれにしても、私に「業」を考えさせるきっかけを久々に与えてくれました。
 今年私は、自らの会社の仲間に向けて「IWATAという会社」-経営者大学卒業論文-というものを書きました。私は起業をして18年、「経営とは?」「経営者とは?」を探究し続けてきました。友人はそんな私を経営者という名称より経営思想家という名称がぴったりだねと言っておりました。その時の私は、何となく友達はよくその本質を見抜いているなぁ、なんて悦に入ったりしておりました。
 しかし、「本を読むには毒がある」という一文に出逢い、最近私の中にあった疑惑が解けました。「経営を探究しすぎて、その毒が自分にまわっている」と。経営とは、経営者の人格も重要ですが、社員やアルバイト、お客様、その多くを支えている皆さんは、そこまでの探究を要していない。むしろ、もっと現実的な関係で物事を運営する方が実社会では上手くゆくと。
 私は経営者でありながら、経営者向きの性向と、価値観は希薄であると納得した次第です。この事を自覚するのに18年を要したのです。
 では、何故人生とお金という大切なものを賭けて、一生懸命に経営をしながら、そのような結果に終わったのか?答えは「業」なのです。「合理的な理由はないけれども、そうせざるを得ない自分」と私は解釈しています。
 余談ですが、私の名前は「岩田哲」親が付けたこの「哲」という字がいつも子供の頃格好よく書けないで、母に文句を言ったものでした。後にデカルトの言葉に出逢って、あぁ、僕はこの名前を付ける様に罰せられていたんだ。そして「若年寄」とあだ名される様に、同じ事を理屈っぽく考える様に罰せられているんだ、と妙に合点をした事を覚えています。
 これを偶然と見るのか、必然と見るのか、まさに人の世は不可思議であります。
 言葉を持ち、意識を持った人間だけが業を背負っていると学者が言っていた…。

 「業」を考えるきっかけとして…2
 「あなたの後ろには二頭の青い龍が見える」

 岡山県の誕生寺という所へ法然上人の俗世の法を授かりに行った時の事、ある女性が私を見て「あなたの後ろに二頭の青龍さんがとぐろを巻いている」と告げました。そんな事は、よくあるかもしれないですが、私が驚いたのは「あんたも見えるか!実は私も見えててなぁ。ただ、黙ってたんや」とまた声が…。当の私は面喰らって、この人ら何やね?という感じ。ただ黙っていてくれたおばあちゃんは古い付き合いで、別に僕を導こうとかそんな感じではないから、なおさら驚きました。
 そして二頭の青龍の意味は、何か人々を気づかせたり導いたりする宿命に生まれているらしく、だからいくら経営をしても、経営では上手くいかず、宿命の方へ導く様に出来事が起こるらしい…
おばあちゃんは、若くて経営者として頑張っている僕を見て、とてもその事実を告げる事は出来なかったそうです。
 「業」とは、1は自分という視点から、2は人間界という視点からは「天が私に与えた今世での宿命」というものなのか?私は心の底から経営者の道にはまだ決別する事はできないでいる。

 「業」を考えるきっかけとして…3
 「自宅浪人をしているうちに、国立理科系が私立文系に変わってしまった」私の大学受験

 「大学受験の意味は?」人生全てに言える事なのですが、その事に対し、どの様な「初一念」を持つかで後々の行動が決められます。ほとんどの受験生は「志望大学に合格する事」と決めますが、ところが私は「学びを通し自分を高めるため」と決めました。この様に決めると、勉強は大学受験に出題されるかどうかは問題ではなくなる。結果として、全教科を完璧にやろうとすると国立理系に一年はあまりに短い。好きな教科から完璧にやり始めると、気付くと私立文系になっているのも必然というもの。今の経営者としての私が、社会が利益を上げるという事について、自分としての理由があっての利益でなければ納得できません。利益より、まず納得できる理由が必要。根本は少しも変わっていない事に気付きます。私にとっての学びと経験の30年は一体何だったのだろうか?
 これを「業」、私に宿った「業縁」と言わずして、何と言えば良いのでしょう?「性格」いや、そんな軽い言葉で納得できない自分がいます。

  「業」という事で考えてきた訳ですが、最後は自分で決めて人生を歩むもの。私はこの「業」の光と影の両方を見つめて、その良い面を愛してゆこうと思います。「一見さんお断り」の京都で、私が一番言われたくない言葉「あのお人は、物の値打がわからんお人どんなぁ」。一番言われたいのは「あの人、ああ見えても、物の値打をよう知っといやすなぁ」。
 私は、西洋は砂漠に生まれた宗教や価値観を背景にした「掟」の社会であり、日本は四季のうつろいに生まれた宗教や価値観を背景にした「美」の社会だと考えています。日本人がして良い事と悪い事の判断基準っっは、法に触れるかどうかではなく、そうする事、そう生きる事が美しいかどうか?
私は「美しく生きよう」という「業」を背負ってしまった京都人という宿命を心から受け入れて生きてゆこうと決めています。西洋の価値観がブラックバスの様に幅を利かせている今日に、不器用と言われても、けったいと言われても「美意識」というものを伝え、残してゆきたいと決めています。
 この私の「業」の上にこのTOKI-WA-SOHと英徳館は築かれています。よくこの建築に携わっていただいた職人さんに私が発した言葉があります。
  「もういい!後は私がやるから、もう帰ってくれ」私の「業」というものがそう言わせて、そしてその言葉全てに自分で責任を取りました。この15ヶ月、振り返ると私は「業」に動かされて生きていたと言えます。ここに私の美意識があります。
  社員の皆様。こんな社長で本当にごめんなさい。これから、必ず、こんな社長だったからできたという未来を一緒に見ていこうと思っています。乞うご期待。
 それから、TOKI-WA-SOHにこれから入居される仲間の方へ。各お部屋は普通に作っておりますのでご安心下さい。まぁTOKI-WA-SOHは完成していますから、ご自分で確かめて頂けるので問題はないですが…


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2007年11月19日

「なるようになる」という言葉の本当の意味

よく世間で、どうしようもなくなったり、追い詰められたりした時、開き直って気持ちを切り替えて「じたばたしても最後にはなるようになる」というセリフを聞きます。この「なるようになる」の「なる」を、最後まで追跡調査した者は誰もいないと思いますが、一般に使われている意味での「なるようになる」という意味では、結果はあまり芳しいものにはならない様な気がします。何故なら、ここで言う「なるようになる」とは、とても他力的な意味だからなのです。物事が最終的に「なるようになる」と、実際に結果として姿を現わします。私はこの現われた形あるモノは、現われるべくして現われた形そのもので、結果は以前から決まっているものだと思っています。
 少しくどい内容になりましたね。もう一度分かり易くまとめますと、「なるようになる」というのは、その人の心の中にある心象風景そのものが、なるべくして時を経て形あるモノとして、人々の前に姿を現わす事。つまり、桜は放っておいても、4月には満開の花を割かせるのであって、「なるようになるさ」と他力に委ねても、決して8月に咲いたり、4月にひまわりとして開花するはずもありません。
 この度、15ヶ月間という期間を経て、京都五条河原町の地に「TOKI-WA-SOH」と「英徳館」を作りました。多くの方々が建物を見る度、その外・内装が当初の計画とはかけ離れた、想像出来ない出来栄えに驚かれます。とても嬉しい瞬間です。ただ一方でこの今の風景は、私には15ヶ月前にも心象風景として見えていたのです。全てのモノは初めに形ありきではなく、全ては創造主の初めに想いありき、という事をもう一度しっかり確認したかったのです。
 「なるようになる」とは、他力的な弱いニュアンスで語られる言葉ではなく、強く「なるようになる」と想い“人事をつくして天命を待つ”という意味での「なるようになる」として使う時、未来は明らかに開かれるのではないでしょうか。私はこの「なるようになるんだ」という強い想いを持った仲間に出逢いたい。そして未来に形を持って「なるようになった」雄々しい姿を見てみたい。そんな仲間の集う場所が、今日本ではここ「TOKI-WA-SOH」だと自負しております。


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2007年11月08日

イヤシロチのお話

イヤシロチに該当する何らかのエネルギーを持った場所というものは、世界各地に有る。日本では神社などが主らしいが、私の知っている外国のものとしても、イギリスに、なぜかその場所で作物を作ると巨大化するという場所や、フィリピン・ルソン島北部には、神霊治療という超能力を使った治療のできる多くの人々が生まれる場所というものがある。そこに私もその治療を受けた日本人の先生がおられるのですが、元々はその先生は普通の方であったのですが、その超能力者の方と結婚され、その場に住むことで徐々にその能力が開化したとのこと。場のエネルギーによるものと思われる。
 このような場に身を置くと、知的活動が極めて活性に働くということも起こる。その場所は人々にとって、何か新しい事柄の情報を生み出し易い所である。言い換えると、新たな知慧とか、新たな思考法や思想が湧いてくる。
 日本の神話にも、マメノヤスノカハラという聖域において、多くの神々が神集(カミツドヒ)して、いろいろな更に高度のカミツドヒという神知を得たとある。
 イヤシロチで、複数協力すれば、個々の有する知識を超えた、高度の知的生産が得られることは古くから知られていた。それを最新の科学がやっと創発という理論として到達したにすぎない。
 私は、このTOKI-WA-SOHをイヤシロチであると確信している。その理由は、「私がそう感じるから」。
 最後に、人間は天性か環境かという、二元的に優劣を考えているが、これは正しい捉え方とは言えない。天性とは、「天与の性分」のことであり、私達は自然性とか、自然与という言葉は持ち合わせていない。即ち、個人に属する性質としてのものは、自然の理を超えた天から与えられるものであり、環境というものは、自然の理で解明できるものである。自然の理で考えられる最高の環境がイヤシロチなのである。従って、天性は自分ではどうすることもできないのであるが、しかし、一方で、自然理を極め、自らをイヤシロチに置くようにすることで、天性を最高度に引き出すことができることを考えるならば、天性もやはり環境に明らかに左右されるということができる。

 私は男であり、私から見た最も身近で大きな影響力を持つ場としてのイヤシロチは、広い意味で、女性がそのイヤシロチの最たるものである。人は成長することで知識を得、その一方でみずみずしい直感を失ってゆく。よく、男は理性的というが、そのことによって、女性からエネルギーを受け取りにくくなっているようです。子供のように素直な心で女性から天与のエネルギーをもらうことで、自分の能力をはるかに超えた奇跡を目のあたりにすることができるというのに。
 さぁ、場としてのイヤシロチと、素晴らしい女性としてのイヤシロチから、無限のエネルギーを補給し、楽々と奇跡を起こそうではありませんか。


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2007年10月01日

「TOKI-WA-SOH」を世に問う

創発。
創発を起こす。創発が起こる。
京都以外の人々と京都の出逢いによる創発。
他の分野のクリエーター同志の創発。
学びの場から生まれる気付きという創発。
起業家へ変身することから生まれる向上心による創発。

情報や作品の文化を送受信する未来型のSO-HO、
それが「TOKI-WA-SOH」。

 狼に育てられた少女は死ぬまで狼として生きた。

 人は環境の動物だと言えます。環境が人に与える影響は想像以上に大きい。もし人生の大半を過ごす家の環境がよくないものだとしたら…人生や家族を支える仕事をする、その環境が自分にとって素晴らしいものだとしたら、どんな人生が開けるのだろう…。

 2005年の暮れに私は自分が読書をしたり考え事をしたりする為の場所を作りました。
 そこでは、色彩と静かさと窓からの景色にこだわりました。例えば、柱の何本かは朱塗りで座卓も朱塗りの天板を使いました。階段は階段ダンスをインテリアを兼ねてはめ込みました。壁は柔らかいベージュと「真朱(しんしゅ)」という日本の伝統色でJカラーという特殊な塗料で仕上げました。窓からの景色はスギごけの緑と白川砂の白のコントラストで目に明るい庭を作り。私の座る位置から真正面に見えるようにしました。この空間は、私が建物にこだわりがあるからという理由だけで作ったわけではないのです。
 会社経営を17年間続けてきてここ数年、何となく会社も私も伸び悩んでいたのです。いろいろな理由があるのでしょうが、私は私が思考する空間にもかなり原因があるのではないかと考えたのです。それはある言葉がきっかけでした。
 その言葉は、「人は環境の動物だと言えます。環境が人に与える影響は想像以上に大きい。もし人生の大半を過ごす家の環境が良くないものだとしたらいったい…。」と最後は「…。」で終わっていました。私はその言葉にしばし考え込んでしまいました。「経営者という重要な立場におりながらも、自分の思考する空間については不十分な環境に身を置いていたのではないだろうか?」と。そして自宅とは別に思考するだけの空間を作ることとなったのです。
 1年余りこの空間に身を置いてみて、心がとても落ち着いたこと(余談ですが、20年余に苦しんだ病気が全快したとお医者様に言われました)。思考の深さが深まったことに気づきました。会社もこのあたりを境に大きく動き始めました。改めて人の住む環境の持つ力に驚かされました。
 
 そのような経験から、ご縁があって購入した大正時代の洋館を、クリエーターの方々に私の書斎のような快適な環境に生まれ変わらせたいという思いから、「TOKI-WA-SOH」を世に問うことにしました。
 このような思いのバトンを受け取っていただき、羽ばたいていただきたいと心より思っております。


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2007年09月04日

「TOKI-WA-SOH」に寄せる想い

「人はみな、何かの天才だ。その天才の部分を人と人との出会いの中で引き出さねばならない。」赤塚不二夫

 東京の山手線、目白駅かたどんどん目白通りを哲学堂へ向かっていくと、大通りがあって、電話局があってその近くにオンボロアパート「トキワ荘」がありました。
 豊島区椎名町5-22253というのが正確な住所。このアパートから、現在でも人々の心を捉えて離さない巨人達、児童マンガの人気マンガ家達が巣立つとは誰が考えたでしょうか。昭和30年から37年迄の間に、このアパートの2階に、手塚治虫、寺田ヒロオ、石森章太郎、赤塚不二夫。藤子不二雄、水野英子、鈴木伸一、森安なおや、横田徳男かが住んだり出たりし、つのだじろう、長谷邦夫、園山俊二等が毎日自宅から熱心に「トキワ荘」に通いつめたものでした。
 皆20代でした。貧乏で、夢だけはいっぱいあったのに、懐は空っぽでした。仲間の誰かにちょっとお金が入ると、皆でそれをアテにして、ラーメンを食べたり、映画館に通ったりしました。それでもマンガを描く事は止めませんでした。

 現在は「トキワ荘」は老朽化したため取り壊されて残っていませんが、今も尚、人々の間で語り継がれている伝説の聖地なのです。それは偶然の物語では無く、トキワ荘での共同生活そのものが彼らを相互に刺激し合い、それぞれの中の天才性を掘り起こし、巨人へと導いたのです。
 ここで私は「創発」という言葉を思い浮かべます。人間はある事に疑問や探究心を持ちながら生きている中で、他の能力の高い人の考えを会話を通して吸収する事によって、自らの中に閃きが起こり、疑問や探究心にきっかけを与え、発想のステージを次々と高めていく事を「創発」と呼びます。

 我が国では、ある時代のある場所で集中して人物が輩出した歴史が何度もあります。その理由を探って行くと、単に優秀な人物が偶然同じ時代の同じ場所に会したという様な単純なものではありません。この「創発」という概念自体は近年の研究によって、やっと明らかになって来たに過ぎません。そういう意味では、歴史上の「創発」もやはり偶発であったとも言えます。この歴史的事実と現代の研究成果を用いて計画的に仕掛けて「創発」を起こし、21世紀の「Made in Japan」を京都五條から産み出そうと考えています。その中心となる施設こそ名を同じくする「TOKI-WA-SOH」です。「創発」という導火線に火は着けられました。
「歴史はくり返される」
 歴史の舞台へようこそ!!


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