2008年10月31日

つかみが大切

スピーチをする立場にある人はいいスピーチをしようとか、受けるスピーチをしたいと考えて、その方法を探します。そして誰もが行きつく答えが、「つかみ」の勝負だとするのが一般的です。

 物事って何でもそうなんだと思う。人は第一印象でその相手の人のほとんどを決めると言われている。

 スカンジナビア航空のCEOであった、ヤン・カールソンも「真実の瞬間」という著書でお客様は「その最初の15秒の印象でほぼその航空会社への評価を決める。」と語っている。多くの講演会のプロ講師を育成してきた安宅 仁(あんたぎじん)氏も著書でカリスマ講師の特徴を次のように語っておられる。「カリスマ講師の話を聴いてきましたが、必ずしもロジカルな組み立てというわけではありませんでしたし、話し方も特徴的というわけではありませんでした。しかし、明らかに人を惹きつける話術を持っていました。私はそれを「つかみ力」だと思っています。

 話が苦手な方も、話し方や声の改善よりも自分の特徴を活かした「つかみネタ」で目の前の人の心をわしづかみにしましょう。」

 「でも?」と私はふと考えてしまう。私はよく本を読みます。自分として本を書こうかとか、本を書きたいというような著者自身の思いの力によって書かれたというより、売れる本づくりとか、どのような構成をしたら売れるかとか、装丁や刺激的な題名でその本を手に取らせようという仕掛けを強く感じる。若手の漫才師も女の子にもてたいとか、有名になりたいという思いが強く前に出て、本当に漫才をしたいとか、漫才師という職業に誇りを持っているようには思えない。

 売れるため、有名になるため、女の子にもてるために漫才師を選んでいる感じだ。でもそれでもいい。それを欲するお客様が居るのだから。しかしまたその一方で本物を指向するお客様が居るのも真実だ。

 本の話に戻ろう。最近の本はだいたい前の20%、つまり本の5分の1くらいを読めば、その本の内容のほとんどが理解できるように思う。1500円の本なら、せいぜい300円くらいの値打ちしかない。昔はこのようなことを龍頭蛇尾(りゅうとうだび)と言ったものです。最初は龍のように勇ましいにもかかわらず、最後は蛇のしっぽのように弱々しいことを言う。

 本も年間にかなりたくさんの本が出版され、早いものでは2週間で店頭から消え返却されるらしい。
だからこそ、最初から最後まで起承転結を持って書かれた本が、心ある人に見出されてジワジワとその部数を伸ばしてゆくとも一方では思ったりもする。

 孤高の名人と言われている江戸落語の柳家小三治師匠が、先日テレビで言っていたのが印象的だった。

 若い頃は落語を徹底的に勉強し、若いながらお客さんを笑わすことに秀れ、真打への昇進もあっという間だった。その有頂天の頃に師匠に呼ばれて師匠の前で落語をするように言われた時、それを聞き終わった時、ポツリと「おめえの噺はちっとも面白くねえなあ。」とたった一言。何が面白くないなんて教えてもらえない。というより教えられないんでしょうね。本人自身で気づかなければならないのです。それからというもの「面白い落語とは?」を考える日々。
そしてある時、大先輩の落語家の言葉にハッとする。

「おもしろい落語を話すコツは、おもしろく話そうとしないことなんだ。」お客さんに受けようとか笑わせようとするとどうしても媚びた落語になってします。本物の落語ファンにはこの媚が鼻についてしまう。何十年何百年もかけて語り伝えられてきた噺というものは、そのままちゃんと噺せば誰がやっても面白いから今日まで語り継がれてきたわけで、小手先の技はむしろ滑稽でさえある。柳家小三治はそれからというもの、噺家と噺のバランスを考えて、できるだけ変な色を付けずに話そうと心がけたというようなことを言っておられた。

 私は「つかみ」を意識し、「うける」ことを意識するあまり、何のために話すのか、ちゃんと内容のある話をできているかがおろそかになってはいけないと強く思う。

以上、この内容のつかみで私の講演を始めようと思う。やっぱりつかみは重要ですからね。


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2008年10月20日

「坪庭」文化論

京都という街に多いもの。和菓子屋さん、喫茶店、町屋。この3つ以外にも、ひょっとして他の街より多いものは有るのかもしれませんが、私にはこの3つが目立ちます。

 私も町屋を活かしながら現代に再生してきた人間ですから、どうしても町屋とのセットのお庭にも興味を持たないわけにはいきません。
 ここTOKI-WA-SOHに隣接する英徳舘にもお庭があります。京の町屋とお庭について少しレクチャーをしましょう。

 京都はその昔、豊臣秀吉が天下を取っていた時代に、それぞれの家に税がかけられました。そのときの税のかけ方の基準が今とは異なり、屋敷の広さに関係なく、それぞれの家が道路に面しているその間口の広さに対して税をかけたのだそうです。ですから京の町衆はその税を安く抑えるために、間口が狭く奥に長い、いわゆる「鰻の寝床」という町屋に住むようになったのだそうです。この「鰻の寝床」の町屋は隣とは壁が接しており、空気が流れる余地がありません。

 そこで人々は、中庭と呼ばれる小さな庭を真中に作り、奥に本格的に庭を作って通風と採光を確保してきました。建築家の先生のレクチャーだとこのようになるのですが、実際に庭を眺めて私が感じるところは、どうもそれだけではない、もっと深い意味を持っていると思えるのです。京都人は裏地に凝ると言われるように、外からは見えない部分にお金をかけます。それは、自分だけが、自分という人間の尊厳やプライドを人知れず壌成するための仕掛けのように思えるのです。町屋にしても、大きな屋敷を構える財力があっても、時の権力者の圧力によってそれを抑制されてきた京都人は、燈ろうや石など、一見何でもないようなものひとつひとつにとんでもない贅を尽くすことで、その自尊心を満足させてきました。この庭を大切にして愛でる(めでる)ことによって、京都人は京都人としての自分の殻を持ち得たのだと思うのです。

 時の権力者や現代の東京のお金持ちが羽振り良く振舞うのを横目に、自分の壺中居(こちゅうきょ)に身を置き、「成り上がり者には文化や教養が無いよなあ。」とか、「この侘び寂びはちょっとやそっとじゃあ理解できないだろう。」と心の中で独りつぶやきながら、抹茶を立て和菓子をほおばり、時を過ごす。京の坪庭というものには、こんな恐ろしい力を秘められていると、庭を眺めていてつくづくと思った次第である。

もっとも、このように文章で説明されて、実際にその坪庭と対峙してもそれでもたぶん京都人でなければそこのところはわかんないだろうなあ。
なんて考えながら私は今日もお気に入りのコーヒーをすすっている。
いやはや京都人という人種はほとほと付き合いにくい人種ですねえ。

P.S:『坪庭の作り方講座』
 まずお庭に関する本を読む、見る。そして実際のお庭に触れにいく。それが十分できたところで、自分で坪庭を設計する。そしてその坪庭の物語を考える。実際に坪庭作りに直接自分も関わる。縁側でお茶菓子の用意をするだけでも良い。そして完成したら、毎日手入れをする。そして、庭と向き合いお茶ないしコーヒーを飲み庭と語り合う。それを繰り返しているうちに庭の恐ろしさを肌で感じられる。


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2008年06月24日

ホーム&アウェイ

 最近TOKI-WA-SOHにはめっきり来訪者が増えた。これは人気という人々の気が集まってくる事を意味するのだからとても喜ばしい事である。一方、受け付けの方を雇う資格も無い状態の亭主は、ポットの水を足したり、お茶の葉を替えたり、灰皿のタバコを捨てたり、コーヒーの豆を挽いたり、お話をしたり、後片付けをしたり、スリッパを揃えたり、観葉植物の世話をしたり、庭の植木の剪定をしたり、来訪者へのお礼状を書いたりと、それはもう忙しいのなんのって。殆ど正にバタバタして時間に追われている。これは私が亭主、所謂ホストなのだから仕方がない。一方、来訪者とはゲスト、ホストとゲストの呼び方が違うように、立場が違う。これはきちんと区別して理解するのが礼儀というものだ。
 昨日の日本対バレーンのサッカーで、ロスタイムで日本が1点取った力も、ホームだったらとも言えなくもない。日本が初めてワールドカップに出場出来る権利をほぼ手中にしながら、ロスタイムに1点を取られ、ワールドカップ初出場の夢が散ったあの「ドーハの悲劇」はやはりアウェイでのロスタイムに起こった。もしもあれがホームだったら、カズはワールドカップに出場出来ていたかも知れない。出させてあげたかったと今のカズを見ていて思う。
 私達の子供の頃と違って、今の若者は、いろいろな所へ気軽に出かけて行っている分、「晴れと褻(け) 」の区別が無い。だから、他人様のお宅を訪問する時の礼儀がきちんと出来てない人が多い。これは年輩の人でも結構多い。
 お金持ちだとか仕事が出来るだとか、有名だとかは別として、この辺りの手順をちゃんと踏めない人は、東京ならいざ知らず、京都ではこの位では京都の一流どころのおメガネにはかなわない。
 京都人は、細かい事が実はとてもひっかかる人達なのだ。と言うよりも、細かい事こそ実はとても大事な事で、これが出来る人でなければ、次の中位の話さえも投げかけて貰えない。ましてや大きな商談等、とてもとても有り付けないと思った方が良い。
 わざわざ私がこんな事を書くには察しの良い読者なら、とっくにお見通しのはず。そう、そのような、所謂無礼な事をよく見かけるからなのだ。
 今日も、私がある方とお茶を飲みながら会話ししている最中に、途切れを待つのでもなく、「すみませんが…」と断りを入れるでもなく、自分の都合で話に割って入る無礼者に出逢った。こういう人には京都人はとてもぞんざいな対応をする。覚えておいた方がよい。儲かる相手とか、人脈がどうのという観点ではなく、美しいかどうか、相応しいかどうかで決める。ぞんざいな態度を取られた方は、「京都人は~」と言う前にご自分の態度を見つめ直す事をお勧めする。
 私にとっては、お金はそれ程までの意味を持たない。自分を卑下して金持ちになるなら、美しいまま飢え死にする。経営者には実は不向きな性質だと思う。
 最後に、ビジネスにおいてホームとアウェイで戦い方(営業)を変えられる人は、仕事が出来る人だと思う。そんな事も考えずに仕事をしてきた人、このコラムを読んでめっちゃ得しましたね。こちらこそお読み頂きありがとうございました。これからも末永くよろしくお願い致します。

2008年06月12日

ベトナムの赤ひげ先生

 今日、「ベトナムの赤ひげ先生」と呼ばれる眼科医の服部先生とご一緒した。先生は無償でベトナムの眼の不自由な人々に光を取り戻す事に尽しておられる。聞くところによるとベトナム国民は9000万人。その国でちゃんとした眼科の施設が整っている病院はたった2つだそうだ。殆どの眼の病気を看っておられる方は失明してゆくらしい。ベトナムも格差社会が拡がっている。
 ベトナムはフランスの植民地として虐げられ、戦後はベトナム戦争という大きな戦争で疲幣し、今もその後遺症がある。私達が出来る事をアジアの同胞に差し伸べる事に躊躇は要らない。
 後援いただける方々に先生をご紹介するのが今の私の役目だった。
 そんな先生から、移動の車内で「経営者として大切な事を3つ挙げてください」と突然質問された。この突然の質問というのはとてもその人の本質を知る良い方法だ。私は嬉しかった。スーッと答えられるなら、自分が経営を自分なりに見えている証拠になるし、答えられないなら、又経営者として未熟だという事が分かる。さて、その結果は如何に?私はスーッと答えられたのでした。
「1つは、仲間、友人を愛する事。2つめは、平常心を保てる自然体でいる事。3つ目はよくよく観察する事」お金という経済の中で、お金や効率で無い仲間や友人を愛する事、これが一番難しいかもしれませんが、実はとても貴重なのです。
 でも、私にとって一番難しいのは、平常心を保つ事です。曲がった事が大嫌い。まるで「素浪人月影兵庫」に出てくる相棒の焼津の半次みたいなところがある。なんて言っても分かる人はいないだろうな。主役は松方弘樹の父親近衛十四郎、相棒は品川隆次。まぁどうでもいいのだが、つい横着な奴が居るとそこで喧嘩をしてしまう。おまけに負けず嫌い。だからこそ逆に誰より平常心の大切さを実感しているとも言える。
 私の話は置いておいて、宣誓は、たった1人でベトナムで孤軍奮闘されていた時から、徐々にお弟子さんや理解者が増え、今では後進を育成する立場に居られるようだ。それで経営者の私にその心構えを質問されたようだ。やはり苦労人で現場から今日の立場になられた方は違う。肌で感じる。その人と仲良くなって親交を深めるというよりも、まず相手は何者なのか?自分と肝胆相照らせるのか?ズバーッとその人となりを見抜かれる。先生は多分無意識なのだろうけれど、体を張って生きてきたような人は自然とそうなる。久しぶりに心地良い時間が流れた。6月23日夕方より大阪で先生の講演会がある。もしご興味ある方は主催のかざか証券にお問い合わせ願いたい。マンツーマンにより国交がより素晴らしいものになる事を心から願う。


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2008年06月09日

最近のTOKI-WA-SOH

 こんなに忙しい毎日を過ごすのは何年ぶりの事でしょうか?会社所有不動産の売却と所有不動産の利用計画の実行。TOKI-WA-SOHのヒ-リングカフェ計画もその一環なのですが、このTOKI-WA-SOHという建物は、今まで私が手に入れた不動産の中ではどうもかなり異質なもののようだ。とにかくいろんな方が訪問する。仕事関係の方が多いのだが、単なる見学者の方もある。殆ど一日接客、応待で終始する。
 特に最近多い来訪者の特徴は霊感の強い人々だ。良きにつけ悪しきにつけ何だかいっぱい居たり観えるらしい。ある霊感の強い発明家の方が来られた時は、話をする事もままならないで、「フーッ、フーッ」と言いながら「九の字」を切られる。こんな建物は何年振りだろうとの事。
 いやはや私は至って鈍感なので何が何やら目を白黒するだけ。その方は終日各部屋分にと11個の丸い金物を下さった。ある高僧の「気」が入っており、それを吊るしておくと静まるらしい。まぁ、こんな事は実は日常的に有ったりする。実に面白い建物だ。
 今日、TOKI-WA-SOHでお力添え下さるある霊能者の方も面白かった。その方は大阪の方なのだが、「こんんな企画があるから参加できますか?」と問い合わせたら、「私にはTOKI-WA-SOHが観えます」「こんな風な建物ですよね。多分私はそこに行く事になっています」との事。「え!」これって企画じゃないじゃん。もう始まってる~。こんな感じ。それから後の事、「ここにたくさんの人が訪れている光景が見えます。」なんて感じ。
 世の中の経営者の方。右脳というか「霊感企画」っていうのいかがですか?
 統計とか理論とかは全く関係なし。企画を霊感で判断する、っていうの。今、私が実際に大金を使って試しますから、上手くいったらどうぞTOKI-WA-SOHの力をご利用になってヒット企画を連発しましょう。
 TOKI-WA-SOHの次は清水寺の近くで、京野菜をメインにした京町家の料理屋さんを開店します。10年以上も前に京町家を使った「ノスタルジックカフェ」という、カフェとレトロ雑貨の店を開いていたのを知る人も今は少なくなりました。どちらかと言えば、10年位前はまだ京町家企画の走りでしたが、今は逆に「えー!今さら京町家でごはん?」と時代遅れにも見えます。
 それでも敢えて今回やります。今回の料理屋さんに際して、私は根本的にこだわった事。
 「京都イコールブランドではない。ブランドイコール京都だ」という事です。今日の京都の評価は1200年余りに渡って連綿と積み上げられたこだわりと技の上に創り上げられたものであって、何かの物やサービスの頭に「京」を付けただけで京都ブランドを語るものとは根本的に違うという事です。
 京都とは何か?料理とは何か?おもてなしの心とは何か?この事を全員が毎日毎日考えに考え、行動に移し、失敗し、そしてより良い明日を創る。このくり返しの先にしか「京都」を語る資格は無いと考えています。
 まだまだ忙しい毎日が続き、コラムのペースが落ちたままになりそうです。悪しからず。


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2008年05月27日

IKEAへ行けや!

 TOKI-WA-SOHの内装を準備するのに、IKEA(イケア)という超大型家具店へ行った。関西では神戸のポートアイランドだけらしいが、近々大阪の南港にも出来るらしい。
 はっきり言って私はイケアをよく知らなかった。若い人に教えて貰い、ガイドとして付いてきて貰った。何でも今、話題の店らしい。とにかくでっかい建物のガレージに車を駐車して店内へ。たくさんの商品が展示してあるのだが、それは展示だけで、そのタグに記された場所に自分で取りに行ってレジに並ぶ。何だか合理的だが、全く人間味は無い。ちょっとこの辺で、イケアというものを私同様ご存知無い方のためにイケア豆知識を。

 IKEA(イケア)はスウェーデンの大手家具店
1943年、17歳だった創業者が設立した安売り雑貨店だった。意外に歴史は古いのだ。1951年以降は完全に家具販売に集中する。しかし、その後ライバルの存在によって深刻な状態になる。ここで、ピンチがチャンスになりその事態に対し、自社で独自のデザイナーを抱え、企画・製造・販売まで、全てまかなう現在のイケアスタイルを誕生させた。
 日本には1974年に千葉県船橋市に第1号店、横浜市に第2号店を出店している。日本出店に関しても意外と歴史は古い。しかし1986年に撤退。後に 2001年に日本へ再進出を決定し、2002年に日本法人「イケア・ジャパン」を設立。現在国内には3店舗がオープンしており、今年の8月には大阪にもオープンが予定されている。

 イケアのビジネスモデルは、自社開発の家具やインテリアの商品を大規模な施設に多数展示し、店員数を徹底的に少なくしぼって人件費をカットし、それを商品価格に反映させて他社よりも安く販売するというもの。加えて、家族連れでかなりの距離をかなりの時間をかけて品定めをするので、どうしても休憩が必要となる。そこで又大きなフードコートを設置して、飲食事業も合わせて行うというもの。世の中の事業モデルは次々に変遷してゆく。
 アルビン・トフラーの「富の未来」に書かれてる事を思い出した。世の中という大きな道をいろいろな車が走っている。それぞれかなりのスピード差がある。世の中を一番速いスピ-ドで駆け抜けているのは「企業」。時速100km時代の変化に素早く合わせて、その対応を瞬時に行う。次に「社会団体」。これは時速90kmとされている。以下、「家族のあり方」時速60km、「労働組合」時速30km、「政府官僚機構」時速25km、「公教育制度」時速10km、「国際機構」時速5km、「議会、政治」時速3km、「法律」時速1km、とトフラーは言う。

 21世紀の情報社会はますますその変化のスピードを上げてゆくのに、時速10kmの「公教育制度」の中にいる教師が、社員で役立つ若者を育てて世に送り出せる等とは到底考えられないと、ふと思った。ビジネスをやっていて事実感じる。
 学校の教師、政治家、医者、職人、「ビジネスの社会では」と誤解があるといけないので限定的に話をするが、応々にして彼らのビジネス感覚やビジネス常識はおかしい。これは何にも人間的におかしいものでは無く、遅い車に乗って社会で生きてきた人々に、速い車に追走する事がどだい無理な話なのは至極当り前な事なのだ。ただ、ここで大きな問題が1つある。この遅い車でも間に合う社会で生きていながら、自分達が遅い車に乗っていると思う事も無く、むしろ物知り顔で一段高い所から世の中を見ているというこの矛盾が、世の中に大きな歪みを生んでいる事に気付いていないという事だ。無知とは実に恐ろしい。ソクラテスは言った。「わたしは自分が無知であるという事を知っている分だけ、あなた達より賢い」と。

 イケアの話に戻そう。平日金曜日ならお客さんも少ないだろうと考えて行っただが、まだ開店効果が続いているのか結構お客さんは多い。10列ほどレジがあるのだが、何と待ち時間が30分位。ほんの少しの商品を買うのには適していないと思った。ただやはりデザインは良いし商品点数も多く、ビジネスモデルは又1つ新しい段階に入ってゆくのだろう。携帯やパソコンの発達に社会や法律が全く付いて行けていない現状を考えると、もう少し世の中の流れがゆっくりだったらと思うのは私だけなのだろうか?忙しい時代になったものです。


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2008年05月25日

ヒーリング・カフェなるものを始めますので。

 最近、私はかなり忙しい。今、このコラムを読んでいただいているTOKI-WA-SOHの事業モデルを全く変えるからです。
 当初は、町家という独得の環境の中に、ひとりひとりのクリエーターが共同で入居するクリエーターのソーホーを企画した。
 何処にでも有るようなビルの一室に入居してデザインを考えるという事が、私にはナンセンスに感じたから。それに、クリエーターと呼ばれる人は、環境へのこだわりはかなりのものがあるだろうと考えた。そう、私は考えたのだ。頭の中で。そして実行した。「クリエーターズ・ソーホー」TOKI-WA-SOHと銘打って世に問うた。結果は、そのような人は少ないという事だった。日本においてクリエーターが、ご飯を食べるというのはとても難しい環境にあるようです。クリエーターは貧乏なのだ。仕方が無い。経営とは自分の頭で考えて、世に問うことの連続だから。私は経営者としては全然優秀ではないので、ヒットの確率がとても低い。とても低いからこそ、いつも退路を確保してから一歩を踏み出す。失敗を前提にビジネスに着手する習慣となっている。だからあちこちかすり傷を負うが致命傷には至らない。会社も大発展はしないけれども、倒産もしない。ところが、今回のTOKI-WA-SOHだけは何故かブレーキが外れた。かなりの資本を投下して作り上げた施設なのだ。ところが、これがもうすぐで2年間塩漬けとなる。クリエーターのソーホーの案が外れたから。しかし、今回は退路を絶っているので、前に出るしかない。そんな情況だったところ、思いもよらない形で事業のモデルが閃いた。閃いたのは1人で閃いたのではない。正に TOKI-WA-SOHが目指していた、クリエーター同志の触れ合い、ぶつかり合いによる「創発」が発生した。
 古くからの私の友人と別件で話をしている時に、どちらという事なく、TOKI-WA-SOHの住人をクリエーターからヒーラーに置き換えたらどうなるかと投げかけた瞬間、「ハッ」という顔でお互い見つめ合った。言葉は一言も発せられなかったが、お互いが同時に「イケル」と確信した。それからというもの、正に一気にという感じで物事が前に進み始めた。今回、新しいコンセプト。「ヒーリング・カフェ」TOKI-WA-SOHとして出発する事となった。コンセプト作り。ヒーラーの方々の募集、各部屋の内装等々、それは忙しい。
 正直コラムを書く事と、ヒーリングカフェの事業を前に進めるのとでは優先順位がかなり違う。誰かが既にやっている事業をやるのと、全く新しいものを立ち上げるのとでは、その労力は段違いに差がある。
 そんなこんなでコラムを書くのはとても厳しい今日この頃という事で、今日のコラムはおしまい。


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2008年05月18日

今日もイヤシロチという事で

 最近運の事についてよく考えている。ここでも取り上げる事が多くなっている。運を強くするには大きく分けると2つに分ける事が出来る。1つ目は「自らを強運体質にする」2つ目は「自分の身を出来るだけイヤシロチに置く」この2つだと言える。先日「まず自分の身をイヤシロチに置くように心掛ける事が大切なんですよね」って話を他者にしていたら、「イヤシロチ?」「何だか難しいですねぇ」って言われた。でも、こういう何気ない言葉には引っ掛かる必要があると思っている。引っ掛からない人に対しては、「イヤシロチっていうのはね…。」と説明するか、「この人、イヤシロチを知らないんだ」と思うかどちらかなんですね。引っ掛かるという事は、すぐにその場で反応しない事。「どうしたらいいのだろう?」とか「どう言えばいいのだろう?」とか宙ぶらりんで頭の中に吊るしておく。そうして頭の片隅に置いておくと、何かの時に解けたり気付いたりする。ちょうど謎かけのような事だ。
 例えば、「最近の若者」とかけて「自動販売機のジュース」と解く。「そのココロは?」「最近熱いのがめっきり減ったな」なんて感じ。何かの疑問の種を解決しようとせずに、頭の片隅に置いておくと、謎かけのように閃く事がある。
 今日はイヤシロチをもう少し詳しく書こうと思う。まず私達が1日の殆どを過ごす場所を考えてみたい。働く大人にとっては、「職場」と「家族」と「交友関係」、主婦にとっては「家族」と「お付き合いしているご近所・友人」、子供にとっては、「学校」「塾」と「家族」それと「友達関係」。こういったものが主な「場」となる。そして、私達の住む街、祖国というものまで広がってゆく。
 人生をより良いものにしたいと思うなら、まずこの「場」を良くしないといけません。自分を強運体質にするには少々努力が必要ですが、場をイヤシロチ化する事は最も楽に出来る開運法ですね。かく言う私も、「場」をまだイヤシロチ化する決定的な方法というのは見い出している訳ではありませんが、何となく自分が心懸けているような事を今日は書いてみようと思う。
 例えば、ある方のお宅を訪問する。玄関の戸を開けて中に入ると何となく感じるその時の感覚、とか、夜店ですくった金魚がすくすくと育つとか、お祝に貰った植物がイキイキと育つとか、風がよく吹き抜ける家だとか、何故か困った時には友人が助けてくれるとか、子供が喜んで塾や学校へ通うだとか、何となく感じるもので、良いと思われるものを取り入れる工夫をすると良いと思う。職場でもビートルズを流すと仕事の効率が上がるらしいが、これもイヤシロチ化の一例だろう。
 こんな風に、実は、イヤシロチという事は難しい事では無いのです。「人は陽気を好み陰気を嫌う」という言葉がある。何故かここ一番赤い下着を身に付けて行くと、仕事がうまくゆくジンクスがある。何故だか判らないが、きっとこれは私の下着のイヤシロチ化なんだろう。
 とても漠然と書いてきましたが、これからいろいろな分野のスペシャリストのお力を借りて、「強運学大系」なる書物を編簒しようと思う。乞うご期待を。


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2008年05月17日

強運の科学

 今日は久々にゆっくりとして休日だ。昨晩から頭痛がひどかったので何処にも出掛けず、散髪を済ませて、ゆっくりとお風呂に入った。入浴剤を入れて楽しむ。これは小さかった頃からの夢だ。その理由は以前に書いたから繰り返さないが、私には本当に夢だった。
 最近ゆっくりとお風呂に入って、読書をする習慣が出来た。これが実はこんなに凄い事だとは、人生50年気付かなかった。悔しい思いでいっぱいだ。お風呂という場所は、体を洗い、清潔にする、体を温める場所だと誰もが思っている。人間が生きてゆく上で無くてはならない「機能的」な場所という考え方だ。私は、それだけにとどまらない、実は家の中で 特にその効果が強い「イヤシロチ」だという事が判った。「イヤシロチ」とは、その場に身を置くと、人や植物が元気になり、実りを生む「場」の事を言う。西洋のお風呂事情は日本よりより一層機能的なシャワー室であるという事は、文化や情感が豊かな日本との違い等も含めて、お風呂の有る無しも影響があるかも知れないとまで思えてしうまう。
 この「イヤシロチ」にゆっくり身を委ねていると、いろいろなヒラメキがやって来る。その中でも特に、最近の私は「強運の科学」というものに取付かれている。何だか、変な宗教みたいに思われるかもしれませんが、実は広い意味において言うなら宗教の一種とも言える。
 ここで、宗教の定義のおさらいをすると、宗教は、「その人間の魂の救済にのみ主眼を置き、その事だけを追求する世界観」の事で、それが社会的にいかがなものか?はある意味関係無い。社会との関わりにおいて、社会の幸福や救済を追求するものは「思想」と言う。そういう意味においては、今、私が四六時中考えている「強運の科学」というものは「1人の人間が強運な人間になるにはどうすればなれるのか?」という一点だから、宗教とも言えなくは無い。
 まず、運というものを人生をかけて探求しようという事が、ナンセンスだと心のどこかで思っている人には、ここから先は読まなくても良い。
 「私は運の強い人間なの」と言う人も居るが、運には段階のようなものがある事までは気づいていない。運はあるけれども、二流の運位人の事を私は「開運」と言う。晴れ時々曇りだ。一流の運のある人を「昇運」と言う。晴れだ。そして超一流の運といえば「強運」の事を言う。天気で言えば、正に雲1つ無い快晴だ。強運になるとどのようになるかは今日の内容では無く、運も出世するという事を再度書いておこうと思う。
 本来、雲に覆われている事が多いので、殆どお目にかかれない快晴だが、飛行機という文明の利器を用いて高度1万m以上の上空まで達すると、そこはいつも雲1つ無い快晴だ。この文明の利器としての飛行機のように、上空まで行く事が出来る力を私は「強運の科学」と名付けた。このように説明すると解っていただけると思う。世の中にはいろいろな飛行機があって、少しは地上より高く飛べるが、旅客機のような高度まで行けるものばかりでは無い。同じように、世の中には開運のレベルの話はいたるところにあるが、強運レベルというと殆ど無い。漠然としてこの世に存在するいろいろな開運法のようなものの中から、或いは全く私オリジナルに考案して体系化して、誰でも強運になれる法というものを残したいと思う。
 実は今見上げている空も、雲の上には、快晴の青空があるように、誰の中にも真っ青な本然の自生というものがある。ただ、成長するに従って身に付いてしまった諸々のもので曇ってしまって、本然の自生が見えなくなっているだけなのです。
 私の会社で、昨年業績と支出がアンバランスになり、社員の皆と泊まり込みで話し合いをした事があった。その時、通称「近ちゃん」と呼ばれている近藤社員が言った言葉が忘れられない。近ちゃんは会社の厳しい状況の中で「この会社は奇跡の起こる会社だから、大丈夫です!!」と胸を張って言うのです。会社の重要な会議で、まず、このような意見を吐く事は有り得ないし、仮に吐いたとしても、「そうは言うが現実は厳しくてそんなもんじゃないよ。もっと真剣に考えろ!!」なんて重役が諭してしまうのがオチだ。しかし、私は思う。近チャンの意見が「正しい。」と。理由は、「経営者たる私に、心の底からそう思わせてくれたから!」私達の会社はイヤシロチだ。この会社がイヤシロチである限り大丈夫。現に、その近ちゃんのひと言の頃から以降、私達はとてもより良き方向へ導かれている。


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2008年05月13日

われら動物みな兄弟

 私は自然豊かな環境で育った。小さい頃は野山が遊び場で、趣味が昆虫採集と渓流釣りだったので、いつも近くの牛尾山に登っていた。小学校の適応遠足でも、中学の牛尾マラソンでも一番かそれに近い運動能力でした。ところが20歳で大病をしてからは、安静が療養の唯一という事で、殆ど運動をしない習慣に慣れてしまった。最近はめっきりその衰えを実感している。
 そんな時、NHKの「病の起原」という番組を見ていて考えさせられた。今、お年寄りの骨が弱くなって、平坦な道で転んだだけで足の骨が折れるという事例がとても増えているという。それは、外に出て日光に当たる時間が減ったため、カルシウムを骨に取り込むお手伝いをするビタミンDが欠乏し、骨がとても脆くなっているのだそうだ。人間はいつもある一定量の日光に当たっていないといけない、という事が最近判ったのだ。
 ちょっっと又話が変わるが、人類は元々アフリカに生まれたらしい。アフリカは赤道直下のため、太陽光線がとても強い。人類はその太陽の光を調節するために、肌の色を黒くしたらしい。その色素がメラニン色素という。太陽の光は人類に大切なものを与える一方で、紫外線という有害なものも届ける。そこでメラニンが、皮膚の奥深くまで届いて癌細胞を作るのを防いでいる。それから何万年もかけて、人類は北へ北へとその生息域を広げて行った。北へ行く程に太陽の光は弱くなる。そこで人類はメラニン色素を減らして黄色人種となって、必要な日光を取り込む事に成功した。それから更に北へ進出すると、殆ど太陽の光が差さないような場所まで来てしまった。そこでメラニン色素を無くして白色化(これをアルビノ種という)して、日光の出来るだけ多くを取り入れる事に成功した。そもそも肌の色とはこのような違いだけなのである。
 これ又余談になるが、イギリス人がオーストラリアに移住して200年ほどになるが、元々北欧の人種でメラニンが少ないのに、赤道に近い所に来たために、紫外線が奥深くまで到達してしまい、皮膚癌の患者が世界でも異常に多く発症するという、皮肉な現象に悩まされている。
 私は少し怖くなった。というのも、殆ど日光に当たっていない生活が長く続いていたからだ。
 気候も良くなった事もあり、久し振りに東海自然歩道を歩く事にした。
 藤の花の薄紫がとてもきれいだ。少し登ると小川があり、カエルが鳴いている。“アカガエル”だ。小川に近付いてみると、たくさんの卵が産みつけられている。雄が卵を守って鳴いているように見えた。小川の一部が1m位の円状になっている。粘土が露出して水溜まりになっている。これは“イノシシ”の「ぬた場」だ。“イノシシ”は寄生虫が体に付くため、時々この「ぬた場」で体をこすり付けて寄生虫を取るのだ。近くに“イノシシ”もいるのだろう。今度は緑色の金属色に光る小さな虫が飛んで来た。“メドリセンチコガネ”だ。緑色の金属光沢がとても美しいコガネ虫だ。特にこの牛尾山系の種は亜種で、とても美しい事でマニアには有名だ。こんなに綺麗な虫なのにセンチの名前が示すように、雪隠し(せっちん)の意味で、動物のウンコを食べて生きている昆虫なのだ。う~ん。何ともアンバランスな奴だ。実に久し振りに出会った。でもやっぱり私には可愛い。
 少し行くと、木々の擦れ合う音に混ざって、少し違和感のある「カサカサ」という音がする。耳を澄ましてその方向を探し、よく見ると、1mを少し超えるくらいの“シマヘビ”が林の奥へ進んでいた。先程の“アカガエル”等を補食しているのだろう。蛇を見るのもとても久し振りだ。この遊歩道には実に樫の木が多く生えている。以前はこの樫の木は、みんな切り出して炭として貴重な火力になっていた。この樫の木で作った炭が備長炭という最高級の炭となる。
 杉の木も雑木も樫の木も間伐を全くしていないので、日の光もあまり差し込まず、風の通りも良くないため、森林浴とは少し遠い山登りではある。道端に珍しく“ドウダンツツジ”が咲いていた。どちらかというと南方の樹種だったような記憶がある。
 そんな観察というか、昔の知識を楽しんでいるというか、子供の頃に戻って楽しい時間を過ごした。
 でも、たった1つだけ昔と違っていた事がある。息切れと足の疲れ。昔は飛び跳ねるように登り下りしていた山道を何度も立ち止まり休みながら、やっと少し進むような状態だった。それでも私にはとても気持ちの晴れる楽しいひとときだった。又出かけようと思う。


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2008年05月11日

蓮の華

 この間の5月1日、何でもいいから着いた時間に始まる映画を観ようと思って近所のパルコへ行った。毎月1日は「映画の日」なので1本1000円で鑑賞出来る。おまけに私は映画館の会員なので、ポイント加算までして貰えて、これは大変お得なのです。さて、行った時間がぴったりだったのは、もうすぐ上映が終わる『ライラの冒険』だった。まぁ、あのニコール・キッドマンのアップを大画面で観られるなら、それだけでいいやという感じで席に向かった。やっぱりニコールのアップは美しい。それだけでめっちゃ嬉しい私でした。
 そんな話はどうでも良くて、さて『ライラの冒険』の事。主人公のライラが、自分のお父さんの事を話すセリフに感動した。ライラは「お父さんは乱暴だけれど高潔な人よ。」と話した。実は自分に重ね合わせて聞いた。
 私は今どき稀なる乱暴な父であり、社長でもある。最近はこんな私も「消しゴムの独り言」を言うようになってきた。「最近めっきり丸くなってきたなぁ」…、実は先日桂三枝のお弟子さんだった夏川さんに教えて貰ったのだが…。
 又脱線したので本題に戻る。乱暴というのは決して褒められる事では無いのだけれど、高潔であるという事に対して、世間は評価をしなくなったなあと改めて思わされた。食品擬装は後を絶たず、あの吉兆において、食品擬装のみならず、先客の残りものを後客に出していたというヒドさだ。現代社会は一言で言うと「優しい」が時代を表す言葉のように思う。戦前までの日本を表す言葉は「高潔」だったんじゃないかとつくづく思った。
 「優しいけれど低俗(ずるい)な人」の時代、戦後。「乱暴(厳しい)けれど高潔(頑固)な人」の時代、戦前。現代は優しいという事だけが重視され、高潔であるという事に目が向けられていないんじゃないかな。慈愛ばかりが取り沙汰されて、厳愛の無い国ニッポン。
 私達日本人は仏教徒が殆どです。お釈迦様や仏像は蓮の華の上にお座りになっている。どうしてあの蓮の華の上なのかご存知ですか?蓮の華は最も尊い華で、その生き様そのものがお釈迦様の説く生き様と同じだからなのです。少し説明しましょう。蓮の華は腐って汚れて、しかも淀んだ水に体を浸し、根は悪臭を放つようなヘドロの中に根を張っている。それほど汚れた所に身を置きながらも、何1つ汚れの無い神々しいまでに美しい華を咲かせる。この汚れた水や泥が人間界に身を置いていても、自分はそれにまみれずに高潔に生きようとする事が尊いと教えている。
 何一つ汚れの無い、清らかな水の中で美しい華を咲かせる事が尊いとはおっしゃっておられない。そのように考えると、お釈迦様が一番大切にお考えになっていた事は、ただただ「高潔に生きなさい」という事だったと思う。
 高潔に生きている人には、たった1つだけ共通して言われる言葉がある。それは「あいつは信用できる」という言葉です。
 「お金を失ったと大騒ぎをするが、信用を失ったといって大騒ぎをする人は今、殆どいない」
 でも私はつくづく思う。信用のある人は実はとても運の強い人で、その人が信用を守るために失ったであろう多くの人やモノを差し引いても、実は遥かに得ているものは大きいと。信用の大切さを伝えてゆきたいとつくづく思う。
 私の子供達は、「うちのお父さんは乱暴で我が儘で怖いけど、高潔な人だった」と言ってくれるだろうか…。


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2008年05月10日

生霊(いきりょう)

 私の会社では、古物の買い取りも業としてやっています。まぁ正直言うと、古い物を捨てるのが嫌いな性格で、それが高じて古物商を始めたのです。おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなられた後のお家のゴミや古物を買ったり、捨てるお手伝いなんかをしたりする。この仕事、実はとても大変なのです。まず、埃がすごい。鼻の穴が真黒になる。それから、時には腐ったゴミやお仏壇等もある。実はこのお仏壇というのがやっかいで、何も知らない方は、お仏壇に入っている先祖の魂を他に移さず、そのまま処分を頼まれる方があったりする。それを私達が知らずに捨てたりしたら、子孫に災いが及ぶから要注意だ。
 これは以前に私が経験した本当の話だ。あるお家のお仏壇の処分を頼まれた。私はお仏壇を運んで来て、その中の仏具がまだ綺麗だったので、仏具に値段を付けて古物を売るための自分の店に並べていた。まだ仕事があったので、仏壇は捨てずに店とお家を往復していた。戻ってくると知り合いのおばちゃんが遊びに来られた。店の中を見てまわっている時、「社長!!」とおばちゃんが呼ぶ声がする、行ってみると、「この店何かピリピリする」と言われた。店内を廻ると仏具の前で止まって、「これがピリピリしてたんや」との事。「この仏壇は先祖の供養が出来ていないから、もう一度その家に持って行ってちゃんと供養させなさい」との事。
 言われるままにその家に行って尋ねると、何とおばちゃんの言う通り。これには正直驚いた。
 人様の道具には、使っていた人の愛着や執念が死んだ後も残っている。それは私もいつも感じる。ただ、私はそのご家族に代わって手を合わせながら、いつも成仏を願い仕事をさせて貰っている。
 死んだ人の思いや執念は私も少しは修養した身ですから、それ程障りが出る事は無い。しかし、私がもっともやられて、2週間ほど寝込むくらいの経験を一度だけした事がある。
 それは、ある管理会社からの依頼でした。何も家賃を払わずに居た借り主が追い出されて、鍵を替えたという部屋でした。3DKのそこそこ広い家に家財道具がそのまま。おはしはそのままで、鍋の中味もそのまま。カビが生えている。時間が止まっていた。何でも管理会社が突然来て、そのまま退去させたとの事。依頼は家財道具を持って帰って貰うかわりに、部屋の中をすっかりカラッぽにして欲しいとの事。さっと見渡した所、仕事として合いそうなのでお受けする事にした。
 そしてある日、仕事を始めるとしばらくして50過ぎの男女2人が血相を変えてやって来た。そしてそこにあるものは全て私達の物だと主張するのだ。そう、突然追い出された兄と妹だったのです。私は執着のある物は嫌なので、それではという事で「持って行って貰う物をどうぞ」と言うと、殆どの金目の物を持って行くと言う。私は困った。トラック2台とスタッフ8人用意した手前、管理会社からは一円も貰えないので、それらを持って行かれるとなるととても困る。かと言って執念の残った物を扱うのも困る。相手の方とお話をして一部道具を残して貰う事で納得していただいた。
 問題はその後だ。私が荷物をトラックに積んだところ辺りから気分が悪くなり、会社でトラックの荷台で荷物を降ろしていると、何か臭いがあるようで、生温かくて、息苦しくなってきた。それから原因が分からないゲップが次々と出て来て、しまいにはしんどくて気持ちも鉛のようになった。その後もずっとその状態が続き、しばらく寝込む事になってしまった。病気とは全く違う霊的な障りだと感じた。今までに無い厳しいものでした。
 私が分かった事は、生きている人間の執念や怨念の障りは、死んだ人間の怨念の比では無い、という事だった。
 如何に生きている人間の生霊が強い、又恐ろしいかをまざまざと教えられた。松下幸之助先生も「初一念」が大事であると常々おっしゃっておられたが、良きにつけ悪しきにつけ、私達人間の思いの力というものは、私達が思っているようなものとは比較にならない程、それはそれは凄まじい威力を持つという事を、しっかりと知っておかないといけない。
 私はわら人形に釘を打つ丑の刻参りで、本当に人は殺せると思っている。ただ、その悪想念で自分も死を覚悟しなければならないとも思う。


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2008年05月02日

ブレンデッド・ウィスキー「響」

 ここ何年か、私岩田は行き詰まっておりました。これは自分自身の心境という面から自分を見た時、かなりの閉鎖感に包まれていました。これを高い所から見下ろしたとするなら、熟成の時だと見えるのかも知れない。例えば蝶という生物が卵から幼虫になり蛹になる過程で、その殻の中で一度ドロドロに溶けてしまうらしい。素晴らしいウィスキーも長年樽の中で熟成するし、美しい蝶も蛹の中でやはり熟成する。人間にも脱皮や熟成の時期があるのだろう。
 しかし、今年の春と共に、今までのモヤモヤがかなり晴れ、蛹の殻にひびが入って少し割れてきたような実感がする。
 私は1つの事に打ち込む事が好きなんだけれども、どっぷりと入り込む事はとても苦手だ。ビジネスや経営は大好きだ。一生経営には打ち込むだろう。しかし、1つの事業にどっぷりとなるのは嫌いだ。ある程度自分で学んだと思うと、違う事業の海を泳いでみたくなる。
 そんな人生を繰り返して今年で50年。「一体俺は単なる中途半端なだけな奴なんじゃないだろうか?」…職業を聞かれても「経営者」としか答えられない。「プロフェッショナルとはとても呼べないのでは無いだろうか?」と悩んでいた。しかし、つい先日、自分で自分が凄いんじゃないかと感じる事があった。
 一般的な話をすると、ウィスキーにはシングルモルトとブレンドという2種類がある。シングルモルトの「山崎」と、ブレンドの「響」という2種類が日本産では有名だ。どちらも旨い高級ウィスキーだ。「山崎」はご存知大山崎の工場で樽詰めされて、12年ばかり熟成させたウィスキーだ。一方「響」は、同じような熟成した世界のシングルモルトをブレンダーと呼ばれる職人がブレンドし、そして「響」の味を生み出す。
 私は今まで、シングルモルト的なプロフェッショナルをプロフェッショナルと考えていたが、ある意味それは京都で育ったからかもしれない。ところが、今回感じた事は、自分がビジネスの場において、「響き」のブレンダーのような仕事をしたのがきっかけで、これはこれで立派なプロフェッショナルでは無いかと思ったのだ。
 薄っぺらな自分がブレンドをしたような酒は、酒の通を唸らせる事は出来無いだろう。同じようにビジネスの場でブレンドをしたら、それを世間はブローカーと呼んで、どちらかと言えば善いイメージでは評価しない。
 ところが誰もが成し得ないような、ビジネスを超えたソウル(魂)のレベルで、思いもかけないような人々との出会いやビジネスをブレンドする事で、全く驚くような何か(それはビジネスを含む)を生み出せるとしたら、それは私にしか出来無いプロとしての仕事だと誇れると思った。自分を磨いた50年、まわりの友も磨いた人達。そんな1人1人素晴らしいシングルモルトな人々を絶妙のブレンドで、1人では生み出せなかった「響」のような何かを生み出す。これが私の 50歳からの天職と腑に落ちた。
 明日は晴れ晴れとした気持ちで、近くの山に登ってみようかと思う。


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2008年04月29日

「かもしれん」は「南無阿弥陀仏」を超えるかもしれん

 久し振りに映画を観に行った。最近少し忙しくなってきて、めっきり映画に行く機会が無かった。題名は「ネクスト」というもので、自分に関する未来だけは2分先まで見えるという男の物語だ。詳細な内容は置くとして、その主人公が言ったセリフが私にはとても示唆に富んだもので、正直ハッとさせられた。
 「僕には見える未来が、その時々で変化する。何故なら、未来とは、それが見えた時点での未来であって、時が進めば、その進んだ間に行った事が未来に影響を与え、次の時点でそこから見える未来に変わる」というセリフだ。正に運命は自らの努力で変えられるという事を示している。

 一般に振興宗教の教祖とか霊感のあるような人は、神が降りて来て未来が見えたとか、啓示があったと言う事がある。私はそういう事って確かにあると思う。その時は、その時点ではっきりと見えた未来だと思う。問題なのは、そこからであって、そういう人の多くは、その見えた世界をずっと変わらない不変の真実のように信じ込んで、その後の人生や未来を決める人がいる。
 しかし、私は、そのような未来になる事もあれば、そうならない未来もあると思う。つまり、その未来が見えた時点の私がとても正直で素直で純粋でも、その後知らず知らずの間に怠けたり、自分がきちんとしていても、社会の集合的無意識の方に変化が起これば、その後の未来は変化する。世の中には霊感や霊能者等を過度に絶対視する人が多いが、それは私は考える智恵の放棄だと思っている。
 世の中は勝ちと負けのどちらかというような単純なものでは無く、勝ちもあれば負けもある。引き分けもあれば、一部勝ち、一部負け、最後はどちらとも引き分けとも何とも判断出来無い神かがりもあれば、負けるが勝ちもある。そんな複雑な世の中では、信じながらも信じない。熱心に学びながらも学んだものを捨て去る。人事をつくすが天に委ねる。親密になり過ぎないが、疎遠にもならない。等々、西田哲学の「絶対予盾的自己同一」を地でゆく事が智恵だと言って来た。
 ところがこのように書くととても難しく感じられるので、私は誰でも実践できる、複雑な世の中を生きる智恵として宗教を提唱している。と言っても、ごくごく身近な人にしか布教をしていないので、殆どの人は知らない。私が教祖で、現在信者は私だけかも?その宗教の名は、じゃじゃ~ん「かもしれん教」と言う。どうです、このありがたい響き。
 何度唱えても美しい響き「かもしれん」。「か~もしれん、かもしれん」とただ唱えるだけで、心の中から執着が剥がれて、清々しい気持ちになる。未来が変化するそれを適確に捉えた言葉「かもしれん」。
 宝くじに例えて説明すると、殆どの人は宝くじは当たらないと思っている。それは正しい考えだと思う。事実私は宝くじは当たらないと信じているし、だから宝くじは買わない。しかし、もし、1枚でも宝くじを買ったとすると、ひょっとしてひょっとして当たるかもしれん。私は絶対当たらないが、少しでも買った時点で当くじは当たるかもしれんものとなる。
 同じように、人生でも努力をしたからと言って報われるとは思っていない。むしろ正直者がバカを見る事の方が多いかも知れない。しかし、努力をした人だけが、素晴らしい未来を掴むかもしれん。努力をする人だけ権利が与えられる。権利は与えられても結果が与えられた事にはならないけれど。しかしこれだけは絶対言える。自助努力をしない人にだけは、絶対に素晴らしい未来は与えられない。
 松下幸之助先生は「人事をつくして天命を待つ」とおっしゃったが、ちょっと前時代的な感じで固く感じる。
 さぁ、もっと分かりやすく、それでいて凄まじい効果を発揮する魔法の言葉、「か~もしれん、かもしれん」。はい、もう一度「か~もしれん、かもしれん」。このお経を我がものにするなら、あなたの未来は絶妙な自力と他力のバランスの上に最高の結果を生み出す事、間違いない、か・も・し・れ・ん。


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2008年04月24日

アレキサンダ-大王に帝王学を授ける人はどんな人?

 今、タイガー・ウッズ以上のプロゴルファーは今世界に居ない。ならば、タイガー・ウッズにはコーチはいないのだろうか?
 以前に、私が若者に「帝王学を授けてあげてあげようか」と言ったら、その若者の答えがシャレている。「帝王にもなった事の無い人間に帝王学は教えられるか?」と。彼は歴史を知らない。世界史上最初の大王、アレキサンダー大王の師は、ギリシャの哲学者アリストテレスだったと言う。あのベトナム戦争で、大国アメリカを向こうに回して勝利したベトミンを最初に指導したのは、そのアメリカに破れた日本の関東軍の軍事顧問団であった事を知る人は少ない。
 松下幸之助は尋常小学校4年生が最終学歴だが、政治家や経営者の師となった。尋常小学校卒に東大卒・京大卒が教えを乞う。あの西郷隆盛には月照という僧が居り、吉田松陰には佐久間象山が居り、坂本龍馬には勝海舟やトーマス・グラバーが居た。本物は、相手が誰かより、その人間の中身を重視する。
 昔、マッキンンゼー日本支社長時代の大前研一の話を読んだ事がある。彼が「これからの日本の農業の進むべき方向」というような内容の提言をした時、一斉に反発が起きたという。
 その理由がとても日本らしい。「一度も泥にまみれて田植えをした事の無いお前に農業の事が分かるか!!」というものだった。大前は言う。「私の提言の内容が、日本の農業の未来に資するかどうかと言う事を吟味する以前に、その人そのものを問うというメンタリティーが日本だ」と。私もつくづくそう思う。日本人の多くは、その内容よりも、それを言っている人の人柄によって動かされてゆく。幕末の時代、「西郷さんが言うのなら」とその内容よりも人柄で動いたらしい。
 だから、「何を言うか」より「誰が言うか」が大切だと言う人も居る。しかし、それは不勉強な一般大衆を相手に言う事であって、リーダーとなる人間は、「誰が言うか」では無く「何を言うか」をしっかりと聞く訓練が必要だ。
 私も若手の政治家と向き合って、二種類の価値感がある事に気付いている。1つは、「政治の素人が政治の現場も知らずに何を言うか」と高い所から見下ろす人間と、「この人は何を言おうとしているのだろう」と逆に私が政治の世界に居ないからこそ、話に耳を傾けようとする人間が居る。前者が「誰が言うか」を重視する一派。後者が「何を言うか」を重視する一派。
 東京中心のマスコミ文化が大衆を扇動している以上、又官僚や政治家の多くが東大卒である以上、経済や時流には明るくとも、長い年月をかけて深く追求する文化の分野が薄っぺらだ。得てしてそういう人間がリーダーシップを取ったり権力を握っている。あー、今日も又毒を吐いてしまったような…。次回からは政治や社会なんて生臭い内容は棚上げして、オモシロキコトを書こう。


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2008年04月22日

生き物の絶えた空虚な海

 昨日私の身の回りで現代の縮図を見た。そして改めてつくづく思った。「この国は危ない」と。
 私がある若手議員の育成塾の助教をしている事は以前にも書いたと思うが、そこでの出来事である。
 ある塾生がいる。彼は若手の議員1年生に成り損なった生徒だ。もっとも、数10票差で涙を飲んだ。政例指定都市の市議選なら殆ど当選と言って良い。その彼は私の目からはまだまだ未熟で、今年1年当塾の事務方というお世話役を全うするという事を条件に、渋々卒塾を許した。しかし、今年の初めから彼を見ていると、塾の開かれる当日の2~3日前にバタバタとして段取りをする。ただ事務連絡をするだけで、自らが動いて能動的に塾を運営しようという意志が見られない。所謂先生の前だけ上手く取り繕う優等生という奴だ。昨年の4月に落選し、未だに職は無い。後援者と称する人に1日お手伝いをして日当を貰っている。ところが、仕事の時間に迎えに行っても寝坊をしていて、携帯も切っている。明日の仕事の段取りも聞いてこない。とうとうこの後、後援者なる人物がキレて、あろう事か、こんな男が当選して税金が使われる位なら、自分が市議になった方がマシだとばかり、その後援者自らが次回の市議選に立候補すると言い出すあり様だ。
 この期に及んで私は、彼の存在は彼1人の問題では無いし、このまま塾に在籍させる事も彼の為にもならないと判断した。一度社会へ出て、私達庶民はどのように働き、生きているのかを実体験しないと、人物としては当選しても政治ゴロにしかならない、というのが私の結論だ。即刻その意を塾頭に指示した。塾としての厳しい一面を見せる必要もあるし、慈愛では無く厳愛で彼に向き合う事も大いな愛である。
 ところがである。その彼がスーツを着て、今月の例会にノコノコと出て来て事務方をやっている。多くの仲間は、「そう言っても彼も仲間だから」や「そんなに厳しくしなくともいいんじゃないの」とか「まだ若いのだから少し大目に見てやれば」というのがどうやら塾の大勢であったようだ。こうやって人に嫌われないようにして、エセの優しさを見せて、若者を甘やかし、この国を駄目にした。一方でこの体たらくなのにも関わらず、日本を我々で革新する等とご立派な理想を揚げている。
 正に漫画だ。「この国は危ない」。しかし頭でしか理解していない。胆識において私にはこの国を本気で誰が憂えているのだろうかと、私は一日寒さに震えた。ああ、賢い人間の量産国、日本。ああ、人物の枯れた国、日本。生き物の絶えた空虚な海。


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2008年04月21日

時代が少し動きましたね

 私は平成3年に脱サラをしたのですが、当然信用は全く無く、私財の2000万円が底をついた後は、事業資金を町の金融屋さんや闇の金融屋さんという方面から借りた事は、ブログ上で先述しました。その後銀行とも取引を始められるようになっても、15~6年前では未だ担保主義で、借入金を担保出来る不動産か連隊保証人を立てなければ貸して貰えませんでした。
 そんな時の私は銀行の支店長に「担保主義の成れの果てがバブルの崩壊でしょう。融資は経営者の人柄こそが大切なのではないでしょうか???」と身の程も知らずに進言したものです。三菱の創始者岩崎弥太郎は政商として自分の眼力で選んだ男達に金を貸しました。昔の松下幸之助先生も「俺を見込んだというならすぐにこれこれの額面を用立てろ」と当時の住友銀行に法外な融資を吹っかけた。そしてその後、松下と住友の関係が始まります。
 銀行マンの醍醐味は、自分の見込んだ経営者に融資をして、その会社が見込み通りに成長する様子を喜ぶ事では無いか?と私は思っています。かなり古臭い銀行マンかも知れないが、こうような気骨のある銀行や銀行マンは、私達企業家には無くてはならない。一方でこのような眼力を必要とする融資が危険なのもよく分かります。
 実は私はとても気骨のある支店長、支店長代理に恵まれて、信じられないような資金的支援及び精神的支援、経営の助言をいただいて来ました。とは言うものの、やはり未だ担保主義の体質は支店長も私も如何んともし難いものがありました…。

 さて、話は変わって昨日の事。私の友人というか、先輩のプロデューサーが新しいフレンチのお店を手伝ったらしく、オープニングのレセプションに招かれました。三条河原町近くのビルの9階。とにかく三方に広がる市内の絶景に息を飲みました。これはこの景色が何よりのおかずになると思います。多くの来賓に紛れ込んで私も席に着きました。店内はお金をかけず、ある種殺風景にしてあります。その方が外の景色がより生きます。お店の名前は「ラ・ターブル・ドゥ・ティエリ」。覚えられない。そう、お分かりのようにフランス語なのです。フランス料理のお店。そして、150kgはあろうか巨漢の黒人がそのお店のシェフのよう。このシェフが又絵になります。どうもTV番組「料理の鉄人」にも出演した事のある猛者らしい。このシェフの名前がティエリさんらしい。新しい店の門出を祝いながら、私も前述した時代を思い出した、という次第なんです。同席したのが偶然銀行の方という縁も手伝い、何だか感慨深いものがありました。融資の形態も私が支店長に申し上げていたような事もあるとの事。それが又最新の商品として認められている事例もあると聞き、私としてはやっとそこ迄来たか、と思いました。

 独立したての熱い熱い若さと馬力だけの頃の私。「私を見て!!!」「私にお金を貸して!!!」「私は伸びる!!!」と必死に訴えかけていた頃。レセプションの最中、自分の創業の原風景が思い浮かんでは消えました。今は銀行から、私自身の信用と実績を担保に融資を受けられます。時代は変わります。
 頑張ってくださいね、ティエリさん。自然体のままで十分繁盛すると思います。オープニングアクトとして呼ばれた「フライド・プライド」という声に張りのあるとっても元気なジャズシンガーの歌声を聴きながら、最近停滞していた自分に、少し昔の若さと元気が戻ったような気がしました。
 世間は張り切って頑張っているなぁ。ちょっとは見習わなくっちゃ。
 ティエリさん、フライド・プライドさん、御招待いただいた皆様、ありがとうございました。
 P.S. 5月2日12時ランチ4名予約よろしく。


鴨川や東山、北山等を背景に歌うフライド・プライドのお二人。


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2008年04月17日

葉隠

 今日、四条烏丸の交差点の信号で停まっていた。何となく春の陽気なので窓を開けていた。窓越しに下を見るとスミレの花が咲いていた。こんなに人通りが多く、交通量の多い烏丸通の中央分離帯の僅かな隙間にスミレが咲いていた。淡い紫のスミレでは無く、とても濃い紫のスミレの花だった。私が気付かなければ、一体何人の人がこのスミレの美しさと逞しさに気付くのだろうか…としみじみ思った。
 寒かった冬が過ぎ、待ちに待った春が訪れ、まだ肌寒い花冷えの桜が終わった後に、本当にポカポカと春めいた頃、外へ出掛けるとスミレを子供の頃からよく見かけていた。私にとっては春の訪れと共に優しい気持ちで見つめる可愛いい花だ。小さくとも清楚で可憐なとても私好みな花なのです。
 そんなスミレが、排気ガスがいっぱいで、とても厳しい環境で力強く咲いている光景は、清楚でおしとやかな中に、強い芯を持っている日本女性のようで、実はとても驚かされた。こういう事が本当に強い事なんだと自分に言い聞かせた。
 いろんな意味で今混沌として出口の見えない自分に、とても大切な事を教えてくれたように感じた。本当に強い事って何なのだろうかと改めて自問してみた。
 日本には「葉隠(はがくれ)」という言葉がある。多くの葉の影に隠れて、誰一人その花を見つける事が出来無くても、又誰に褒められる事が無くとも、花としての自分の務めを精一杯に果たし、そして人知れず死んでゆくそういう陰徳の生き方を指している。
 後に鍋島藩の藩士が武士の心得を説いた問答集の名前を「葉隠」と題し、日本の武士道精神のバイブルのようになった。これも、殿様や周囲が見ていようがいようまいが、武士たるものは忠勤に励まねばならないという事からこの題名となったのだろう。
 確かに現代に言う花からイメージする花とはおよそ真逆な花の一生かも知れないけれども、そこに凛とした本当の人間精神の強さを垣間見る。人が何と言おうと、どのような評価を受けようと、私は私の与えられた人生を命の限りに精一杯生ききる。その覚悟が出来た人物に宿るもの、そしてその宿ったものから発せられる気というものは、人々に何かを気付かせる。

 「黙々と精一杯に」「淡々と一所懸命に」
 「恵まれなくとも自分らしく」「不平不満を言わずに生きる」
 スミレ以下の私の脳裡にこんな言葉が浮んでは消えた。


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2008年04月16日

その時私は気付いた

 今日朝まで30歳の友と語った。ちょうど私と20歳の年の差です。
 最近30代の若者と話す機会が増えた。今の私は年長者として世の中のいろいろな事が見えているように彼らに話す。そんな自分の20年前は一体どうだったのだろうか。振り返ってみると、それはそれは心もとない私が居ました。今日は全く私的な事を一方的に書いておこうという、我が儘な自分です。
 時は昭和61年1月、28歳の青春。980万円の一戸建て。私が始めて買った不動産です。社会人になってちょうど1年目。毎日お弁当を2つ作って貰って、それを食べて昼と夜を過ごした。ただただ仕事漬けになれるように。ひたすら仕事に打ち込んで、ちょうど1年で200万円を貯めました。それを頭金に手に入れたのです。
 今でもはっきりと覚えています。自分で働いて貯めたお金で買った家の、2階の6畳間に大の字に寝ころがってしみじみと沸き上がる感情に浸った事を。「あー俺もやっと大人になれたなぁ。」
 何度かこのブログで書きましたが、私は満20歳の誕生日を病院のベッドに横たわって迎えました。将来への不満の中、大人になった実感なんて何も湧いて来ませんでした。初めて給料をいただいた時もやっぱり実感はありませんでした。ただ、家を買った時に「じわ~っ」と湧いたあの感覚だけは特別でした。それからは、同じようにお弁当を2つ持って会社へ行き、200万円貯まったら家を買いました。一年一軒、十年十軒を目標に私的な年金を作ろうと決めたのでした。
 ところが世はバブルと言われる未曽有の好景気。30歳の時点で五軒の借家のオーナーとなり、計画は順調というよりも前倒し位の勢いです。年収も2000 万円を超え、そろそろ自分の城を持っても良いかなと考え、一軒を売却し、頭金2000万円を手に、6800万円の自宅を購入。昭和63年の冬の出来事でした。自宅は家賃収入を生みません。でも家族水入らず。大姑、姑から離れて自分達だけのファミリー。ちょうど翌春には次女も生まれ、それはそれは幸せな日々でした。
 その時私には人生の幸せの絶頂期にこそ、転落への芽が芽吹いているとは知る由もありませんでした。平成2年から不動産は転落に転じ、平成3年は悪化の一途を辿り、最後には、私と勤め先の社長の考えが対立し辞職。脱サラをして独立する事に。当時の借金が9600万円。会社設立。どんどん貯金は出てゆき、収入は殆どゼロ。自宅のローンが払えず、3000万円の赤字を出して止むなく売却。再び親に泣きつくはめとなり、渋々親元へリターン。この間の5~6年という歳月は、私に多くの事をそれはそれは気付かせてくれました。
 主なものを少し書いてみます。
「転落は成功の頃から始まる。」人間はすべてが上手く運んでいる時には、心も財布も緩み、努力や謙虚、学びという人の成長に欠かせない事を忘れ、浪費、女遊び等、とても楽しく悲しい事を熱心にしてしまう。これは“お金の毒”という事が体に回った結果発する症状で、人間はほぼこの毒にはやられてしまう。一度やられて抵抗力を付ける以外には、殆ど抵抗出来無い。

 「手に入れるより、手に入れたものを失う事の方がとても恐ろしい」…結婚する事は勢いでわりと簡単に出来ても、離婚はその何倍も大変です。同じように努力して苦労して築き手に入れたものを失う事の辛さは、手に入れるための努力の辛さに比べたら、とんでもなく大きい。人はこの失う過程で精神的に自己崩壊する事さえある。私もその中の1人になりつつあった時に、妻が「どうせ何も無いところから築いたんだから、もう一度何も無くなっても頑張ればいいでしょ」と一喝。やっぱり嫁はんは凄いのを貰わないけまへんな。

 「不動産神話の崩壊」…世の中や人々が間違いないと信じている常識というものの、薄っぺらさを身をもって知った。本当に頼れるのは自分の胆識のみ。自分の感覚と頭脳を磨き、フル活用して出た答えを自分の羅針盤にしなければならないと心に誓う。

 「油断とは強者にのみあり、弱者には無い」。油断が生じ、その油断を他人に突かれると、とてもモロイ。逆に強者に油断が生まれるまで、忍び、強者に油断が生じた瞬間、持てる弱者の力をその一点に集中して攻める。

 「敬天愛人」。薩摩の郷中にはいつも「敬天愛人」の額が掛けられていたそうです。人間は若い間から伸びると、どうしても天狗になる。こんな人間の性(さが)を上手く調整してくれるものが「畏敬」というものだ。人間が人間界の頂にまで仮りに登りつめる事が出来たとしても、その上にはまだ天がある。人はどれ程の地位や年令になっても、天を敬う事により謙虚になれる。これが人生を間違わない心の在り方だと先人は教えている。人はどこかに怖い人がいるという事程幸せな事は無い。
 以上このような事を身をもって私は天に教えて貰った。「あ・り・が・と・う」


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2008年04月11日

井戸掘り人夫には温泉は掘れない

 私の浜松の友人が教えてくれた。浜松では、井戸は大体50m、温泉は大体500m位掘ると、その水脈に達するとの事。今の私の実家も井戸水を使っています。近所もかなりの家が井戸を持っています。子供の頃は手押しポンプで上下して井戸水を汲んでいました。近所には、つるべ井戸なんてのもまだありました。中を覗くと自分の顔が映るのです。
 昔の井戸は全て手堀り。井戸掘りの職人さんが井戸を掘り当てる訳です。何日もかけてまだ見ぬ水脈めがけて掘り続ける訳です。水脈を掘りあてた時の喜びは、とても今では想像もつかないような喜びだったのでしょうね。井戸を掘る職人さんにとって井戸を掘り当てる事、それが人生における最終的到達点であって、それ以上掘り進むなんて事は考えも及ばない事なのです。
 私達の思考というものも、この井戸掘りと同じじゃないかと思うのです。井戸を掘りあてる事イコール衣食住が足りる事と考えると判り易いのじゃないかと思います。衣食住が足りる人生を、より深めようという目的意識が無いと、人生はその深さで足りてしまう。
 その良い例を私は高校野球に見い出します。甲子園の高校野球を見ていると、甲子園に出場する事、それ自体が最終目標になっているように思えます。甲子園の土を踏むだけでも高校球児の夢と誇りな訳ですから、もうそこで勝利停止に陥っているチームをまま見受けます。例えば、9回裏、僅かに相手にリードされているだけなのに、一度も出場した事の無い控えの選手を正選手に替えて、次々に代打で出場機会を与えている光景を目にします。心情的には共感しますが、私は目標のすり替えが悲しくなります。勝負事は、最後の最後迄どうなるか分からないのです。9回裏で一度も甲子園の土を踏んでいない代打が次々に出てきたら、相手投手はどう思うでしょう。まず、心理的に優位に立ちます。そして、戦略的にも、万一9回裏で同点にされても、正選手に代打を送ったチーム10回以降の攻守は組み立てられません。
 ここで明らかな事は、「次のステージに勝ち進む意志無くして、次のステージは有り得ない」という事です。人間社会に起こる諸々の事柄も、全て還元してゆくと、シンプルな「意志の力」の強弱に至るのです。
 井戸掘り職人に温泉がある事を話しても、甲子園出場が目的の球児に全国制覇がある事も、それを実感として考える事は難しいのです。しかし、一方で、温泉を手に入れた人がいるのも、全国制覇した学校があるのも又事実なのです。


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2008年04月09日

「ぼ・く・の・ゆ・め」

 皆様はシーラカンスという名のお魚をご存知ですか?
 シーラカンス目は古生代デボン紀(3億5000万年~4億年前)に出現し、約8000万年前にはその殆どが絶滅している。たまたま現在でも2種のシーラカンスの生息が確認されている。その為、生きた化石と呼ばれ、発見当時はたいそう世界を賑わしたらしい。
 系統学的には魚類と陸上脊椎動物の分岐点にあたる進化の特徴を持っている。
 一方、私達人類という種は、凡そ700万年前にその進化が始まったらしいが、その最初の種は絶滅した。その後も生まれては絶滅し、約20万年前に最後に登場したホモ・サピエンスが私達人類となった。一時期はもう1つの種、ネアンデルタール人と共存していた時代も在った。
 いずれにしても、現代地球上に現れた。百歩譲ったとしても、たかだか700万年の進化でしかない。
 何かおかしいと思いません。シーラカンスだって魚類から少し進化した魚なんですよ。3億年も4億年もの時間があるなら、魚類からどんどん進化して、半魚人になって、最後はスーパー魚人に進化する位の時間の余裕は、私達人類よりも遥かに遥かに有ったはずです。
 もっと近い例で言うなら、猿だってそうです。人類が生まれる遥か以前からこの地球上に生まれていたのです。
 つまり、進化には、それ程時間という要素は問題では無いという事なのです。では一体進化の為には何が必要なのかという事が疑問に浮かびます。私はどうもそれは進化への意思なのではないかと考えます。
 人類は、どう考えても、その種よりも進歩向上したいという強い意見を持った生き物で、シーラカンスは今のままの自分で良いと思っている種で、人類とは違った意識の動物であるとしか思えないのです。人類も猿から進化したように、「猿のままで良い」と思う猿と「猿じゃイヤだ」と思う猿がいたはずです。それを未来に目を向けると、今日の人類の中から「今のままの私でいい」という人類と、「今の自分じゃイヤだ」と思う人類がいて、新しい進化した人類に分岐して行くのではないかと思うし、向上心のある「新人類の祖先」と今のままの自分で良いと思っている「旧人類」に分かれるのでは…。
 そして、その進化の鍵を持っているのは男性ではないかとも思っている。種と畑の理論だ。豊かな畑は大切だが、作物を決定するのは畑では無く種だ。だからせいぜい70~80年の人生の時間であっても極限に迄進化の意思を高めるなら、私達人間はどれ程の進化を遂げるのだろうかと思う。
 人類程進化するに適した生物はまだ地球上にはいない。

 今日は、私の壮大の男のロマンを書いてみたいと思う。自分という種を精一杯に進化させ、60歳になったら、北欧、中近東、ロシア、ヨーロッパすベて血が混ざった黒海周辺諸国、多分ルーマニアが第一候補となるだろうが、そこの女性と結ばれる事によって、未来の新人類の父になろうと目論んでいる。
 実はこの壮大かつ素晴らしき夢を長女には話した。条件付きながら了解を得られた。後は妻だ。まだ切り出せずにいる。妻が「No」と言った事はしないというのが私のルールだから。しかし、この人類の未来のための私の計画は妻の「No」をも超える価値があると思っているのだが…。 
 選挙活動のように地道に後援者を増やしてゆかないといけない。選挙迄後10年。


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2008年04月05日

マインドコントロール

 テレビを見ていたら、ある人が興味深い話があったので、忘れない様にブログに記そうと思う。
 それは一杯のカレーの味についての事だ。気の合う仲間とキャンプに出掛けて、自然の中で火をおこして飯ごうでお米を炊いて食べるカレーと、仕事が終わって家に帰って独りで食べるカレーとでは、全く味が違う。その訳とは?の説明だった。
 料理を人は五感で感じるのだが、その味を決める比率は五感で均等なのでは無く、かなりバラツキが有るとの事。まず、その五感というものは、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚なのだ。一般には味覚がやはり大切で、かなりを占めると思ってしまうが、そうだとすると、キャンプのカレーと自宅のカレーの間に前述した味の違いが出るのはおかしい。
 では、その解答を記します。料理を食べる時、1番大事感覚は視覚で83%、2番は聴覚で11%、3番は嗅覚で3%、4番5番は味覚、触覚で残りの3%となるらしい。いざ、数値で目の前にすると、「えー!!」って感じになりますね。
 確かに日本料理やフランス料理は目で楽しむと言いますね。それなりの設えの間(部屋)で、目にも美しい料理を前に、仲居さんや店主がその料理の能書きを語るのを聞いたら、もう殆どその時点で「美味しい」と脳にインプットされてしまいますよね。これは所謂マインドコントロールってヤツですね。
 例えば割烹等を予約し席について、さぁこれからという時に、「今日お出ししました茄子の田楽に使っております茄子は、伝統の京野菜加茂茄子でございます。これは上賀茂の農家の山田さんが丹精込めて有機肥料のみで作られたもので。手前どもにのみ、お取り引きいただいているお品でございます。この加茂茄子は茄子の中でも特に肉厚で、噛むと茄子の味が口いっぱいに広がります。又、歯応えも格別です。一方味噌は地元京都の老舗本田味噌さんのものを使っており、一般には手に入らない当店特製の味噌となっております。この香り立つ旬の味を十分ご堪能下さいませ」ニッコリ。なんて前もってやられちゃったら、そりゃ不味い訳無いですよね。しかもわざわざ遠くから予約をして迄訪れたんだから、美味しいと思って食べなきゃ損、ですよね。
 どうです???なる程なぁって思いませんか?
 昔、テレビで面白い実験をやっていた。AグループとBグループに分けて、同じ写真の男性を見せる。Aグループにはその男性が如何に悪い事をして来たかを聞かせる。一方Bグループにはその男性が如何に世のため人のために尽くして来たかを前もって説明しておく。その上で、前もっての知識は一切無視して、写真だけで見たその人の印象を書いて下さい、いう実験だった。結果は言わずもがな。この手法を使い、人を扇動して誰かを一方的な悪者に仕立てあげたり、キャッチセールスや高額商品の実験販売や新興宗教の勧誘、政治に駆使しているらしい。
 人の感覚とは何と曖昧なものかを思います。風評や一方的な思い込みだけで、人や物事を疑ったり信じたりしていませんか?
 くれぐれもご用心下さい。


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2008年04月02日

最近「約束」って何だろうと考える

 社会保険庁に年金を積み立てて来たら、杜撰な管理で、受給の権利が失われていたとか…。
 昔は電話の加入権と称して1回線、高い時で9万円支払って権利を買っていた。私も会社を経営しているので20回線程購入している。ところが、今この20 回線の加入権、殆ど価値が無い。ならば、その金額は詐欺にならないのだろうか?NTTは「いただき!!」とばかりに知らん顔。おまけに私達は損金計上も出来無い。高速道路もそうだ。通行料は建設費に充当し、いずれ無料化しますと公言していながら、未だに既得権の様に前言を翻し、高速道路の通行料を微収し続けている。
 もっと身近な事で驚いた事が有った。郵便局は古い切手を新しい切手に交換してくれる。それで、古い切手を使用せずに交換して貰おうと思ったら、交換手数料1枚に付き、5円だと言う。昔の10円切手を現行のものに交換して貰おうと思ったら、10円切手が5円になる。でもその切手は今も10円で使用出来るものだ。おまけに私がその切手を購入した時にその売り上げは国庫に入っている。国自体が、そして政治家や官僚が平気で破るのだから、世の中、約束反故の花盛り。ビジネスの世界でも約束が平気で破られて行くのだから、もうそりゃ、ちゃんと約束を守ろうとする事が無意味に思えて来る。
 そんな時に自分が傷付かない様に、自分の心を守る方法は1つ。全ての相手に対して、前もって失望して向き合う事。こうすればどんな事が起こっても自分の心は守られる。
 でもね、想像してみて下さいよ。前もって全てに失望しておく人生の意味。これはかなり味気無く、砂を噛む様な思いですよ。しかし、しかしです、こちらがいつも約束を履行し、相手に期待を持って接する事は、今や恐ろしくて出来無くなって来ている自分が居るのも事実です。
 
 今、世の中には「シュガー社員」という言葉が生まれているらしい。「仕事が出来ず甘ったれ、周囲に迷惑をかけても気付かず、常に自分本位に物事を考えている。そのくせ向上心は無く、権利意識だけは異常に強い」。そんなシュガー社員の親は、大抵の場合結婚や出産を機に仕事を諦めた家庭に入った女性で、世はバブル期、「ウチの子は将来大物になる」という幻想を膨らませていった世代です。彼等から「親依存型」のシュガー社員が生まれて来たらしい。
 又、ゆとり教育の期間とも重なり、その世代が成人して、仕事に従事していく条件は完全週休二日で、ゆとり教育の看板の「個性を伸ばし、自分らしく」という文言を、「自分さえ良ければいい」との考え方に都合良くすり変えた。この手の社員を入社させてしまうと、ジワジワと会社を内部から溶かしてしまうらしい。そして彼等に対する対処法、最善策は「採用しない事」だと『シュガー社員が会社を溶かす』の著者田北百樹子さんは書いている。正直恐ろしくなる。
 ところがこの恐ろしい現実に早々に私が直面している。
 理想だけの、社会常識の無い政治家の卵達。簡単な約束でさえ自己都合を振り回し守れない専門学校生。人の軒先を借りながら、礼儀を通せない異常な感覚。恩を仇で返して平気な感性。世話になった年長者を自分達だけの思い込みで貶めるずる賢さ、卑怯さ…。約束を守れないどころか、価値感覚すらおかしい事、枚挙にいとまが無い。 

 世の中の為、人の為に役立つ事が有るならと、胸襟開いて向き合おうとするが、私の胸には響かない。そんな相手にも希望を捨てずに気を長く向き合えという声も有るが、私の心にも「受け止める範囲」というリミッターが有り、守るべき信念も有る。つくづく相手の気持ちになって考える力の無い人々の国、日本になったなぁと悲しくなる。
 私の友人がこの悩みを聞いて、母の教えという言葉をくれた。「人の世話をアホがする、覚えとき」と言われた。
 以前にも同じ様な心境になった事が有る。それでも何とか世の中の役に立てるならと再起したが、今の私は再起不能になる様に、シュガー人間達に少しずつ溶かされている。

 今更ながら、京都人としての感受性の強い性格を恨めしく思う。
 今年の春、桜は満開だが、寒過ぎて一歩も花見に出られない。寂しい4月です。

参考文献 『シュガー社員が会社を溶かす』 田北百樹子著


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2008年03月20日

肉体と魂の関係における一考察なんてたいそうな話では無いけれど…

 ちょっとスピリチュアルな事を今日は書こうかな。
 世の中の不思議体験の1つに幽体離脱というものが在る。臨死体験の話では、必ずセットのようにこの話が出る。もう1人の自分が高い所から眠っている自分を見下ろしているというもの。
 魂というものは、意外に皆さんが思っているよりも簡単に人間の肉体を出たり入ったりするものと言える現象のように思う。
 実は私も、魂が抜ける経験をした事が有る。これは幽体離脱では無かった。指の先から魂がドロドロと溶けて流れ出す感覚だった。その後は正に夢遊病者のように腑抜け状態になる。これは人生で二度有った。空虚感が絶頂を超えて生きる意味が喪失すると、この経験が出来る。そんな経験もしながら、私独自の魂理論が出来上がった。
 今日はそれを書こうと言うのだ。そもそも一般に信じられている肉体と魂の関係は「肉体に魂が宿っており、肉体が失われると、魂はその肉体から離れ転生を繰り返して、魂が磨かれていく」とされている。それはどの本を読んでもそのように書かれている。私は自分の実体験を踏まえて考えると、どうもそれは全てを信ずるには足りないという結論になる。
 確かに、肉体という魂の入れ物が失われる瞬間は魂が肉体を離れる。この事には私も異論が無い。ただ、肉体という入れ物が生きていて十分機能している間の肉体と魂の関係に疑いがある。
 ヤドカリは体が大きくなると、自分の今入っている貝殻を出て、ピッタリサイズの貝殻を探して入れ替わる。肉体と魂の関係はそんな風になっているのじゃないかと思う。
 子供の頃の友達も大きくなるに従って、磨かれ方の差によってウマが合わなくなると共に、新しい有人が出てくるように、肉体が生きている間は、いろんな魂が出入りする人もいるのでは無いだろうかと思う。ただ、やみくもにいろいろな魂が出入りするのでは無く、ある法則によって出入りするようになっているのでは無いかと思う。ある時何かが乗り移ったとか、全く違う自分になったとか、普通はあんまり意識出来無いのだが、中にはこの瞬間も分かる場合が有ったりするのでは無いかと考えている。同じ肉体でも、魂を磨くのに適した肉体と、そうでは無い肉体が有るのでは無いかとも思う。それは生まれた時は分からない。新入社員の適材適所が分からないように、とにかく、ある魂とセットで生まれて来る。そして、その肉体で磨き上げて、尚生きている場合には、より高いレベルの魂と入れ替えて、又磨かせるのでは無いだろうか。又その逆も在って、高いレベルの魂を宿していても、何らかの理由で磨きにくい、或いは磨かない肉体も有るだろう。
 仏生は、全ての人間に宿っている。という事はこれで説明出来るように思う。
 結論を言うと「肉体が生きている間には、魂が何度も入れ替わる場合が有る」という事だ。
 少なくとも、私はそう考えている。今の魂をどんどん磨いて、生きている間に何回、そしてどんな魂を出し入れできるのだろうかとワクワクしている。
 何も今回の生で肉体と魂のペアは一回きりと考える必要は無いだろう。女房や友人もどんどん替えるのが世の常、人の世とするなら、肉体と魂の関係も入れ替わると考える方が自然なような気がするのは私だけだろうか? こんなことを書くと、移り気で、女房を何度も入れ替えていると誤解されると困るので、申し上げますと、女性の方の勉強はとんと奥手で、死ぬ迄今の女房とペアのままだと思います。と日記には書いておこう…。


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2008年03月17日

2008年3月16日午前5時42分~午前6時22分までの私

 今時計は午前5時42分を指している。3月の今頃はまだこの時間は夜が明けていない。いつもの飲み慣れたコーヒーを飲んだ所で、意識がとても研ぎすまされている。遠くで早起きのヒヨドリの鳴き声等が聞こえる。私のこの家は本当に静かだ。この静かさが私にはとても重要な環境なのだ。別に何かをしている訳ではない。ただボーッとしているだけだ。心は落ち着き、呼吸も実に穏やかだ。ちょっとギックリ腰の気があって、腰の痛いのが難点ではある。
 ここ2~3ヶ月の中で偶然にもたらされた情報やビジネスをノートに書き出してみる。又、ここ半年程の間に思い浮かんだり着手した事柄を別のページに書いてみる。
 この両者の中に、自分のこれからの人生の方向と、自分の内なる欲求とシンクロニシティーがあるらしい。正に本然の自生の発現だ。
 親の仕事の後を継いだり、大学卒業と共に公務員になって幸せな家庭に恵まれていたりすると、あまりそのような自分の心に耳も傾ける事も少ないだろう。
 NHKのBS2で4月5日から毎夜、黒澤明の全映画が放映されるそうだ。私はこの中の『生きる』という映画が好きだ。志村喬扮する公務員の主人公。出来るだけ波風を立てずに、ただただ停年まで無事に勤め上げようと思っていた、その停年の僅か手前で、体に不調が生じた。死を身近かに感じて、彼は自分の人生に深く思いを巡らす。「一体自分はどんな人生を歩んできたのか?」「本当は自分はどんな人生を歩みたかったのか?」「自分のこの世における存在意義とは?」深く深く内観し始める。正に彼は生まれて初めて哲学者になった。そして、彼が出した答えは、残りわずかな命と職を賭けて、長年地元の人々からの要望であった公園を誘致するために必死で奔走する。黒澤監督のメッセージは、この余命いくばくも無いその僅かな人生にこそ、その人間が本当の意味で“生きる” という事だと私達に教えている。
 1人の人間が生きて死ぬという事は、他人の人生と比較して決められるべきものでは無く、自分が決めた目標に、自分の力で一歩ずつ歩む、その事自体が生きるという証しであり、それが“幸福”というものなのだ。それは以前から自覚していたのだけれども、今日のような静かな朝には、もう一度自分の心に言い聞かせて、今の自分を肯定し、これからの人生をより良く生きようと再確認してしまう。
 こんな事を考えるのも、50歳にして今だに人生に迷い悩んでいる情けない私だからなのであって、決してお勧め出来る生き方では無い事は事実だと思う。
 ただ、物事を肯定的に考えようとするなら、この歳でまだかなりの未知の自分と可能性が有るとも言える。事実、阪神大震災のガレキの下に埋まった事で、一念発起し60歳でプロテストに合格したプロゴルファーもいるのだ。
 …等々と、ぐるぐる終わりの無い事に思いを馳せながら、こんなエッセイなのかコラムか分からないものを書いているのも、静かな朝と、文章を書く事が好きな性格のせいであって、誰が悪い訳でも無い。ただ世の中の出来事は、淡々と起こるべくして起こってゆくだけで、人間も本来は決して例外では無いはずなのだ。
 ただ今の時間、午前6時22分。すっかり夜は明けた。障子を開け、朝の光を呼び入れようと思う。


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2008年03月09日

「ちょっとイイ話…1」

 読売テレビの新番組で「深イイ話」というのがあります。1分間で話される内容に、ゲストが何人感動するのか、というのをお茶の間でも体感するものです。テレビという文明の利器が生まれてからおよそ50年、テレビ番組の内容の変遷を追ってゆけば、視聴者の嗜好というものがとてもよく分かる事でしょう。正にテレビ番組のプロデューサーは、市場の動向、即ち視聴者の嗜好を如何に捉える事が出来るかを問われているのです。今日は、私の読んだ本の中から見つけた「深イイ話」というものを紹介したいと思いました。
「IWATAのて・つ・が・く」なんてものよりよっぽど深くてイイ話です。
 それは、日本のヤカンメーカーの社長がミラノを訪れた時の話です。
「自分達の作るヤカンは、日本ではスーパーで100円前後、高いものではせいぜい3,000円。ところが、イタリアのアレッシー社のものは、日本では 15,000円で売られている。何故同じヤカンなのに10倍もの高値で消費者に受け入れられているのか、自分には分からない。アレッシーのケトルを買ってきてその材質を分析してみた。その結果、熱の伝導率や衝撃性等は、わが社の方が良いのに、どうしてこのような価格差が起こっているのか分からないので、当地に来ました!」という事。この社長は同社及び、類似品のミラノ市内のショールームを見学し、関係業界の人々を訪問して話を聞いたようだが、「結局よく分かりません。」と言って帰ったそうである。
 この話をイタリア人のホームウェアデザイナーにしたところ、以下のような答えが返ってきたという。
 「日本のケトルメーカー(イタリアではヤカンをケトルと言う)の人ならそう言うでしょうね。イタリアのホームウェアの協会が、日本のケトル等、キッチン周りの商品の市場調査をしました。その報告書を読んだ事があります。その話を聞いて、まず思うのは、日本のケトルを作っている人達は、日本の市場に起こっている消費者の嗜好の変化を理解していないという事です。私達にとっては、モノ作りをしている人が、市場の動向を知らないなんて事は信じられない事ですが、今や先進国では、どの家庭でもお湯を沸かすためのケトルを2つや3つ持っていて、そうした機能を果たすためのケトルはもう要らないのです。今、イタリア製のホームウェアを高い価格で購入している先進国市場の人々は、私達の製品をお湯を沸かす用具としてでは無く、ファッショングッズとして購入しているのです。
 ナベ、ヤカン等の調理器具は、料理が終わると棚の中にしまってしまうものですが、ケトルはレンジの上に置いておく事が多い。居間に友達を招待してパーティを開いたり、家族や親類縁者で食事を取ったりする時に、キッチンの方を何気なく見ると、ちょっと個性的なデザインやカラーのケトルが見える。それがキッチン全体あるいは居間としっくり調和している。見ていて美しく、又楽しい。そこにこの家の主の個性がさり気なく表現されている。そのために人々は高いイタリア製のケトルを買うのです」という事であった。~小林元著「イタリア式ブランドビジネスの育て方」より~
 私も経営者の端くれとして今も思うのは、数多くの経験による決断力や判断力と、一方で、経験というものによって作られた既成概念とは無縁の真白な頭で物事を見る、この両方が要求されると思う。ところが、これは一言で言うのは簡単だが、実は殆ど有り得ない。やはり、若い人やその業界のルーキーの頭を使って頂いて、斬新なアイデアを出来るだけ吸収する。その為には、お互いの人間関係がフラットで、仲間としてそのビジネスに取組むという風土が必要となる。
 上司や管理職による権威や支配、或いは今迄そうして来たという既成概念は組織を硬直化させたり、固定化するのには、とても有効な手段だと言える。人間はとても支配とか管理が好きな生き物だから仕方が無い。


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2008年02月27日

「私の違和感」

 今、私の会社はおかげ様で4つの銀行とお取り引きして頂いている。勿論、前に書いた銀行がメインであるのは言うまでもない。ただ、私はいつも銀行の支店長や担当者が度々替わる事に大いなる疑問がある。
 数年間おつき合いをして、お互いの気心も知れて、スムーズになり出した頃に転勤になる。「どうして、そんなに銀行は頻繁に担当が替わるんですか?」と尋ねると、大抵の場合「大きなお金を扱う職務上、取引先と戀意になり過ぎると癒着が生まれ兼ねないので、それを防止するためなんです…」という答えが返って来る。
 私はこの理由にとても違和感を感じる。一つ目は、雇い主である銀行が自分の銀行員や部下を信用していないというメッセージに聞こえるから。
 会社はお互いを信じてこそ素晴らしい業績が上がる訳で、ビジネスのシステムで不正を防ごうという考えはそもそも無いのが本業では無いだろうか?又、自分が信頼されていない会社や上司の元で、人は熱心に働けるのだろうか?
 それから二つ目は、不正の防止より取引先との人間関係の絆の方がより重要なのでは無いだろうかという事。不正を無くすための手段は別段移動という事のみでは無いのだから。気心を知った関係で、お互いに言うべき事を言いながら、より良い関係を築いていく事は、とても大切な事だと私は考える。それに長い付き合いをしていると、その会社の小さな変化にすぐ気付けると思う。
 そして三つ目は、業務は新しい担当に引き継ぐ事は出来ても、お互いの歴史や思い出は引き継げない。こんな事を繰り返す事が果たしてお互いに良い事なのだろうか?
 銀行という性格は、半分は公的部分を持っている。従って私達のような企業よりも、遥かに組織の論理が強い。企業では、主役はお客様であって会社では無いと考えて、ビジネスモデルを構築するところがかなり増えて来ましたが、金融機関ではまだまだ主役は銀行だという旧来のビジネスモデルからは脱し切れていない。私達の企業の立場も理解しながら業務を進めて下さるような情のある担当者は、少しずつ主流から外れ、一方昇進してゆく銀行マンは、如何に組織の側に立って業務を遂行してゆくかという、我々経営者の側からは最も遠い存在であるような気がするのは、私の思い過ごしだろうか?


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2008年02月26日

「One of 私の出会い」

 以前このコラムでも書きましたが、私は十分な計画を立てて独立した訳では無かった。ましてや将来経営者になりたいという思いがあった訳でも無い。と言うより、元祖“逆玉のコシ”を狙っていた奴だ。
 とにかく独立をしたけれども仕事がある訳でも無い。そのような私も何かの事業を始めなければならない。会社だけはもう設立していたから。そして友人から事業の話が来た。きっと上手く行くに違いない。お金は無いけれどやってみよう。知り合いの“まち金”とか“ヤミ金”と言われる人に、「あんたやったら信用あるから、1000万までなら3日以内に貸したる!!」と言われ、700万円を、お言葉に甘えて借りる事にした。その後いろいろな経緯はありましたが、とにもかくにも何とか700万円プラス金利200万円を返済した。そこで、「又いつまでも貸したげる、わしより日栄さんの方がだいぶ金利安いよ。1回行ってみたら~」と教えてくれた。「そうなんや。行ってみよ」すぐに私は日栄の窓口へ相談に行った。すると、「当座預金はお持ちですか?」との事。「え!そんなん、まち金のおっちゃんに聞いてへんかった」、銀行で作ってくれるという事で、その足でいつも取り引きしている信金へ当座開設に行くと、いつもの窓口の担当者が、「当座って何に使わはるんですか?」「日栄さんから言われてきたので、当座通帳をお願いします」担当者は怪訝な顔でこちらを見て、後日又来るようにとの事。「何でやろ。通帳作るだけやのに、大層なこっちゃな~」と思って帰路につく。
 それから数日後、窓口へ行くと、私あるいは私の会社にはまだ十分な信用が無いので、当座は開けないとの返事。何となく、普通預金とは大分違うような感じだった。他にあてはなかったが、私の会社の事務員さんに聞くと、電気代と水道代だけを振り込んでいる信金が近くにあるとの事。駄目元で行ってみると、窓口担当者が奥の偉そうな人に相談し始めた。私はその人に案内され別室へ。
 その方は支店長代理という人で、開口一番、「あんたね、もし会社を健全に発展させようと思ったら、そんな経営してたらあかんよ!!」私は、「何でや。金利高うても、それは経費や。それ払っても利益出すのが経営者の力量や思てます!!!」「まぁ、そう言やそうやけど、経費の金利は安いに越した事ないでしょ?」
 なるほど…。そらそうや。この代理の言うのは正しい。この人やったら叱ったり、教えてくれたりしそうや。「よっしゃ。私おたくと取り引き出来るようになるし、これから指導して下さい。私何も知らんから、イチから教えてね!!!」と言ってそこを後にした。私は銀行というところと是非ともお取り引きしたいと思った。
 数日後代理から電話があって行ってみると、何と当座の通帳を作って下さっていた。何の面識も信用もない私に…。私は胸がいっぱいになって、「この通帳の小切手は1枚たりとも切らないから、これから取り引きをお願いします」と頭を下げた。それからほどなくして、支店長として栄転され、私は追い掛けていって、その支店で目出たく口座を開く事となった。
 それからというものスケッチブックに夢を書いては、1ケ月に1回位のペースでその人を訪ねてゆく。最初は面白い奴やなぁという感じで、3時間くらい聞いて下さる。そんな事を半年程くり返す内に、さすがに支店長も仕事の差し支えになっているようで、あんまり聞いて貰えなくなった。そんな中、又その支店長が今度は本店に移動。私は追い掛けて本店に行って取り引きをお願いすると、一度支店で口座を開くと、そこが担当となるそうで、大好きな支店長を追い掛けてあっちこっちと移れないらしい。
 私は見放されたような気持ちになって、その後銀行へふっつりと行かなくなった。私には、あの支店長を超える人に巡り会えるとはとても考えられなかったのだ。


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2008年02月20日

男には固くなければならない箇所が2箇所ある

 「男はなあ、固く無かったらあかん所が2つ有るんやで!!」なんて事を、子供に教える大人が少なくなったというか、もう、居なくなったようですね。テレビという文明の利器からは、高倉健さんが去って久しい。松田優作も逝った。時代は変わった。スマップの番組、シンスケの番組、さんま、タモリ、その他諸々、とにかくうるさいなんていうより、けたたましい。
 昨日「私の家って、テレビ無いんです。」という女性に出逢った。あなたは偉い。大正解。だんだん賢いと言われる人々は、ブラウン管から遠離り始めている。関西の番組ではそのものズバリ。「男がしゃべりで何で悪いねん」というものまである始末。まぁ、それについては自分の意見をしっかりと主張出来るという事は否定しません。それを否定するならば、ブログに形を変えた私のこのコラム自体の存在にも関わる話になりますから…。
 毎回のコラムで私が言いたかった事は、人の秘密を軽々に他言する事への警鐘と、その自覚のための覚え方というものです。つまり、男が固くなければならないひとつは、「口が固い」という事なのです。
 その人が口が固いと相手に思われると、これはとても大きな信用に繋がります。ところが、今の大人がこの大切さを殆ど子供達に教えていません。だから平気で自分の彼女との秘め事を暴露するぞ!!なんて脅かす輩が横行したり、「あのね、実はここだけの話なんだけどね…」という「ここだけの話」があちこちで発生したります。
 「男は口が固くなければいけない」そして子供達に「男には固くなければならない箇所が2つある。」と教えていなければならない。
 ところが!ところが!ちょっと待てよ。現代の大人には、確かに固い所が2箇所ある。1つは脳みそ。いわゆる頭が固い。社会人はそれぞれに専門的な部署で働くようになると、それに順応してある一部の脳を活発化させ、その他には硬化してゆくという一面がある。そしてもう一方、大人になればなる程、学習という事を通じて常識という硬化剤を脳に注入し、徐々に脳を硬化させてゆく。つまり、社会人になるという事は、脳の一部を麻痺させるという事に等しい。これが1 箇所目。
 それからもう一箇所は、肩や腰。これは固い人が多いですよ。コンピューターによる目の疲れや、人間関係のストレス、運動不足に夜更かし。そりゃ肩も凝るわあ。
 「男には固くなければならない箇所が2つある。けれども、固くなってはいけない箇所が2つある」と言わなければいけない感じ。でもやっぱり、現代の大人は、固い場所違いの解答者となってしまった。
 信用を失えば大きく失う。
 口は災いの元。
 くれぐれも口だけはしっかり嗅ぎをかけて、言って良い事と悪い事がきちんと分別の出来る大人になりましょう。


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2008年02月18日

マルハナバチという蜂のお話

 春になるといち早く表れるマルハナバチと言う蜂をご存知でしょうか?
 空を飛ぶ生き物は、当然のように総じてスリムな体型をしています。そりゃそうですよね。空を飛ぶのってとても大変な事で、特に体が小さく羽が大きい方が飛ぶのには有利に決まっています。ところがどこの世界にも稀代(けったい)な奴がいるもので、このマルハナバチも名前が示す通り、丸くてポッチャリしているのです。ツツジの花等によく飛来するクマバチという真黒な丸々とした蜂なんかも近い種類です。
 このマルハナバチという奴は、翼が弱くて体が重く、航空力学の専門家によると、到底飛ぶ事は出来無いという結論になるのだそうです。そう、現実に空を飛んでいるマルハナバチを目の前にして、人間の航空力学の権威が出した答えが、「飛んでいるマルハナバチがおかしい」という結論になるというのです。
 それじゃあ話にならないというので、学者が出した結論というのは、「マルハナバチは自分が飛べないという事を知らないから飛べるのだ…」なんだとか。
 本当ですかねえ?私はこの話が本当かとうかという事よりも、私はこの話が好きだ!!
 今の私達日本人は、教育水準が高く、情報も多く、知識も豊富で、1人1人はとても「賢い」人ばかりです。しかし、賢いという事だけで、人生を力強く生きてゆけるのでしょうか?スーパーの店先には鶏舎で集団飼育されたブロイラーと呼ばれる柔らかい「かしわ」がほとんどです。
 田舎地鶏なんて探すのも大変。この地鶏の皮からは少し黄色い油がたっぷりと出てきます。肉は赤黒く、固い。野性に近い鶏です。人間も元来は野性の中で生き、狩猟・採集をして生きていました。いわゆる野性の時代です。それから文明がどんどん進んで、今や先進国は飼育人間の国となりました。運動はからっきし駄目な頭でっかちの飼育人間が世の中で幅を利かせています。
 本来の当たり前の原点に立ち返るなら、マルハナバチの「飛んでいる」という事実が全てに勝るのではないでしょうか?
 昭和最終の棟梁と呼ばれた明治の気骨西岡常一にこんなエピソードが残っています。
 世界最古の木造建築法隆寺の五重の塔の再建の時、文化庁の学者先生全員を向うに回して、棟梁の西岡常一は次のように言ったそうです。
 「建築学が出来る前から五重の塔はここに在った。あんた達は五重の塔を分析して学者面しているだけや。所詮、大工の作ったものを後から理論付けしてるだけやないか。建物を建てるのは、学者やのうて、昔から大工と決まっとる!!」と言って自分の説を一切曲げなかったそうです。
 そして、西岡の言う事が正しかったのが歴史の事実です。講釈なんかより、ちゃんと結果の出せる男はカッコイイね。
 言い訳や弁説は立派だけれど、実行力が無く、結果を出せない奴、多いですよね。これからは時代の反動として、少々荒っぽく粗野であっても、必ずやり遂げる野性的な奴が求められてくるでしょうね。
 自らを強く強く信じ、自分の目標に向かって忍耐強く頑張る人は、いつかその世界でヒーローになれる。マルハナバチも西岡棟梁も、私達にそう語りかけているように思えて仕方ない昨今です。


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2008年02月13日

「あなたは神様に指導されている」かもしれん

 ブログをちょっとお休みして、幾日かが過ぎました。お待たせしました。
 私の書斎から見える庭には、今粉雪が降り注ぎ、とても美しい姿を見せています。先日の雪模様の庭も美しかった。英徳館の庭もとても美しい景色でした。特に雪の積もった燈籠は格別です。
 日々の資金のやりくりに追われる我々経営者という人間は、ふっとこの様な景色を見ながら、ぼーっとしていると「最低限度の文化的な生活」に憧れながらも、事業欲なるものに押されて実社会でもがく自分との表裏に思いを巡らせる事となる。悩んだり苦しんだりすると、私はいつも“20歳の原点”と言うべき、余命15年の宣言に意識が戻る。35歳で死んでいたら、今は無い。今が無いならば、子供の成長を見る事も、事業家になる事も、そして多くのその後の思い出を得る事も何も無かったはずなのである。その事を思えば、今の悩みや苦しみなんて、何の事は無い小さな事なのだ。
 本を読んでいてもその様に書いてある。人に何かを話す時も、「私は体験を通じてそう思う」等と悟った様な事を言っている。勿論、私は自分が言っている事に嘘は無いと思っているし、事実そう生きている。ところが「理屈さん」とは違う「感情さん」という、もう1人の私は、やっぱり何処か気が晴れない。
 「経営者は孤独だ」と、世間ではよく言われているが、私はたくさんの、心から信頼できる社員に囲まれ、家族や多くの友に囲まれ、決して孤独だとは思わない。私なんかよりも、もっともっと厳しい仕事を進んでやり遂げようとしている社員の姿、否、社員という言葉を使う事もはばかられる素晴らしい同志に触れるにつけ、いつもありがとうと手を合わせずにはいられない。全く孤独とは対極に居る私なのです。これも事実であり、一点の曇りもない気持ちなのですが、もう 1人の「感情さん」は、そう言ってもなかなかピーカン晴れには程遠い。
 3000年の歴史を持つ、ユダヤのタルムードにはこんな言葉があった。「神の前では泣け、人の前では笑え」と。成る程と思う。人間の弱さを知り尽くしている。私達は何処かで「感情さん」としての私を慰めてくれる場所が要るんだという事なんだ。
 今こうして1人静かにコラムを書いていると少し気持ちが落ち着いてきました。
 私はことわざや言霊をもった一言や一文というものが、とても好きです。気に入ったり心を動かされる言葉に出逢うと、すぐに葉書大の紙に筆ペンで書き写します。書き写して引き出しにしまっていましたが、あまりに勿体無いので、最近はトイレに貼る様にしています。英徳館のトイレは、内装と称して、壁に1枚1 枚上記の名言を貼付けています。後3~4ケ月もすれば完成するのでは無いでしょうか。ロ-マは1日にして成らず。何年もかけて、ここに集う塾生が天才へと羽ばたく環境を整備してゆこうと思う。
 人の人生を変える様な言葉という事で、今日は私が全く別人に変わるきっかけになった、言葉を紹介したいと思います。このブログでも何度か触れましたが、 19~20歳の時に急に発病した病気が、実はこの様な若さで慢性化しており、医学的にも大変珍しい患者で、大学の医者の貴重な症例研究の材料にもなる程でした。余命を告げられ、その後の長い闘病生活の中で、私が導きだした答とは、次の様なものでした。私の家族は5人家族。他に親類一同。私の家は本家で、私以外家族・親類全て病気を患っている者は誰1人おりませんでした。いろいろ考えた末、私が一番精神的に強い子だから、本来一族みんなに降りかかる病気という“気”を全部集めて私1人に背負わされたのだと。自分1人という視点で見ると不幸かもしれないけれども、一族みんなで見れば、有難い事だと思う事にしようと自分なりの結論を出しました。
 今世でこの責任をしっかり果たす事で、素晴らしい来世を迎えられると信じています。僅か20歳過ぎの何も知らない若者なりの答えでした。
 その後10数年の時が過ぎ、余命2~3年という時にある知人のお母様と会う機会がありました。たまたまその時に仕事が入って、少し友人がその場を離れる時に、「うちのお母ちゃん、霊能力があるねん。良かったら何でも見て貰えばどう?」と言って立ち去りました。私も初対面で話す事も無く、それならばと、私の病気とその見解について、その思いを尋ねてみる事にしました。「私は何かの因果で今世ではこの様な責を負う命となっているようですが、そういうものなのでしょうか?」と問いました。その時即座に、正に即座に、そのお母様は、「違うよ。それは神様に罰せられているのでは無くて、神に指導されているのよ」とお答えになりました。「正直、え~何の事?何言うてはんの~?」という感じ。詳細を聞くと次の様な事でした。
 今世で世の為、人の為に生きる天命を持った人間には、他の人には与えられない特別な厳しい試練が与えられるらしい。私はその指導されている1人なんだとか。にわかには信じられないお話でした。
 その後、何度もその言葉を考えました。結果的には心から信じるには至りませんでしたが、ただ、同じ出来事なのにこんなに違う見方になるのか、物事を見る時は、その後私は断定的に見る事をひどく嫌うようになったのは事実です。
 「かもしれん教」なる宗教名を付けて、勝手に教祖になりました。信者はまだ1人もいません。布教も正直していません。この宗教で唱える事は、「かもしれん、かもしれん…」と唱えるのです。世の真理を説いた有難い、それはそれは有難いお言葉「かもしれん」。人生は思い通りにいかない「かもしれん」けれど、ひょっとすると上手くいく「かもしれん」どっちにしても、生きていなけりゃ始まらない。かもしれん教とは、人生、生きる勇気の大切さをとてもシンプルに説いているのです。生きてみなけりゃ分からない。やってみなけりゃ分からない。とにかく人生「かもしれん」…。
 先日、湯島天神へ林先生のお勉強会に行く途中に、くじ売り場を通りかかりました。行き過ぎた私は何故か引き止められる気持ちに囚われ、引き戻しました。運試しだぁ。くじを買わなきゃ始まらない。ひょっとしたら当たるかもしれん。1枚200円のスクラッチを5枚買ってこすってみました。人生初体験。うっひょ~。結果はご想像にお任せします。


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2008年02月03日

心地のいい間尺の町

 私は東京という街が好きだ。大学生の頃、ドリーム号という夜行バスに乗って、東京へ洋服を買いによく出掛けた。原宿ではチョッパー、渋谷ではクリームソーダ、ボートハウス、青山ではクルーズ、なんて時代だ。
新宿の伊勢丹等にだって行ったものです。ちょっと足を伸ばして江ノ電で江ノ島や鎌倉、横浜は外人基地や中華街。当時氷川丸なんて船の食堂もあった。
 東京が好きな理由。それはおしゃれでカッコイイから。それに街も行き交う人々も礼儀正しく、奇麗だと思った。
 今でも東京へは仕事を含めてちょくちょく行く。東京から帰ると、僕は結構疲れる。最近その原因が街の寸法だと気付いた。東京も京都も住んでいる人の身の丈は、大体男で170~180cm。昔で言えば5尺~6尺ってところだ。つまり人間の身の丈から割り出した寸法で都市計画をすると、それぞれの間尺が心地良い大きさになるのじゃないかと思う。
 古くは平安京、そしてパリ。どちらも世界中の人々から愛されている古都ですが、どちらの街にも共通しているのは都市計画の寸法が、人間の身の丈や動ける距離とうまく重ねられているという事。
 これがあると、人と街に一体感が生まれ、人と人の触れあいが自然に心地良いものになる。ところが、初めに都市ありきで、都市計画をしてしまうと、街と自分の間に何となく疎外感が生まれてしまう。その心の中に吹く感覚が、意識せずに人を寂しくさせてしまうような気がする。
 奇麗なだけじゃない。人間というか、特に日本人は非対称や侘(わび)、寂(さび)という独特の美意識の持ち主。そこには内面の美とか、巧まざる美、あるいは自然美という美意識があり、これらを美しいと感ずる事が出来る段階になるには、相当文化度を高める必要があるらしい。古来日本人は、文化度を高めるのに非常に適した環境・言語・価値観・性質というものを具備していたと考えられる。そして今日、世界中の人々が文化度を上げてくる事によって、日本の文化を解する人口が増え、世界中に日本ブームが起こっている。
 日本文化の中心として脈々と受け継がれてきたもの、そしてそれらのゆりかごとなった人間の間尺に合った、平安の都(冬里制)。ここから生まれてくる本物に対し、人々は尊敬と憧れを持って会いに来るのだと私は思う。


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2008年02月02日

迎え撃つ心

 大リーガー、イチロ-の新年の特別番組でイチローが語っていた事から、改めて納得する事がありました。イチローは、メジャーデビューから7年間、毎年年間200安打以上を超える辺りからスランプになるそうだ。本人も番組で言っていましたが、自分はプレッシャーに弱い人間だったから、必ずスランプになり、脈が速くなるし、吐き気をもよおすし、暗い気分を家に迄持ち帰ってしまう。
 私達からすると、あの天才的なイチローがそんな自分と戦っているとは、なかなか想像しにくいですね。ところが、2007年のイチローには大きな変化が生まれたみたい。彼は今年は前もって170安打のスランプを予想して、その170安打に対して自分から進んで立ち向かう気持ちを持った。170安打。よし、次ぎは171安打。次ぎは172安打、と1安打ずつ数えてその数字に立ち向かった。外から見ている分には、毎年と同じ様に200安打に向かって、1安打ずつ積み上げている様にしか見えない。外からは。ところが内面では全く異なるイチローであった訳なのです。これは心理学でいう所のゲシュタルト的転換の一種です。
 ゲシュタルト的転換とは、「あばたも笑くぼ」ということわざの事で、その人の事を愛して心が舞い上がっている時は、あばたまで笑くぼに見えてしまう状態です。ところがその熱が冷めて、冷静になって相手の事を観察出来る様になると、笑くぼに見えていたあばたが、正しくあばたと認識される。同じもの、同じ出来事が、同じ人の認識において、全く正反対の評価に転換する事なのです。
 イチローも今迄「嫌だ、嫌だ、出来たら逃げ出したいなぁ」と思っていた事に対して、いや、どうせやって来るなら逃げ出していても仕方が無い。ここはよし、ひとつ「迎え撃ってやろう!!」と考え方を正反対に置いた訳です。確かにイチローの残した結果やプレーは天才的ではありますが、彼とて1人の人間とするなら“まだ34歳!”成長の余地はその分、まだまだあるでしょう。逆に言えばそれだけまだ未熟であるとも言えるのです。
 私は社員の皆に、初めに教える心構えが“迎え撃つ心”というものです。逃げて、逃げて、逃げ切れるものなら何としても逃げたらいい。しかし、逃げられない事ならば、一歩も引かず、むしろ一歩前に踏み込んで受ける位の“迎え撃つ心”を持とう!!と教えています。例えば、毎月支払わなければならない家賃。月末迄に支払う家賃を月末に支払う人があります。これは一般的。中には、必ず遅れて翌月に支払う人もあります。私は同じ支払わなければならないものなら、ほんの少し他人より早く支払い続ける事によって、その人が相手から得る信用は、とても大きなものとなると考えています。同じお金の支払いでも結果が良いならその方が良いに決まっています。
 この“迎えうつ心”という言葉は、とても便利な呪文です。日常のちょっとした時に、嫌だなぁという気持ちが過ったなら「いやいや、ここはひとつ、迎えうつ心だ!!」と自分に言い聞かせると、心が明るくなります。久しぶりに“迎えうつ心”を思い出したイチローの番組でした。おしまい。


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2008年01月19日

数寄屋橋じろうと三ツ星

 ウサギとカメのお話は日本人なら誰でも知っていますよね。ウサギとカメが競争をして、ウサギはその運動能力の高さを存分に発揮してゴール手前迄走って行き、後ろを振り返って見るとカメがあまりに遅いので油断をして、少し寝ようとウトウトして、その内に本当に眠ってしまい、その間に休まず歩み続けたカメが先にゴールした、というお話。
 さて、この話は一体、私達に何を教えようとしているのでしょうか?「自分の能力に自惚れてはいけない」「まじめにコツコツとやれば、いつか成功する」「油断とは強者のみに存在し、弱者には存在しない」成る程成る程。それから、「人生は長いレースだから、今遅れていても挫けない」うーん、泣かせるねぇ。多分どれも正しいと思う。これじゃあこのお話は終わってしまうから、私的にもう一度このお話を学びに代えたいと思うのです。
 競争という以上はゴールを目指してスタートしますよね。ウサギもカメも。最初はゴールを目指して競争していたのに、途中からカメと競争をし始めたんですね。だから油断が生まれて眠ってしまった訳です。一方、カメはウサギの事なんか関係無し。ひたすらゴールを目指して一歩ずつ歩んで行っただけなんです。勝ち負けじゃなくて、自分の目標をただ目指していただけ。私はウサギの目標を相対的目標、カメの目標を絶対的目標と名付けました。
 昔、私がとある会社の営業マンをしていた頃、ある高校卒の後輩社員が「大学出のあなただけには絶対負けたくない!!」と私に言った事がありました。「じゃあ、中学卒なら負けてもいいのか?」なんて意地悪な質問はしませんでしたが、「私が大学卒が否かではなく、自分自身と向き合いなさい!!」と言い返した事がある。もう少し正確に言うと、自分自身に負けるなと言いたかったのです。
 世の中には、相対的目標を定め、それを目標に頑張る人も多いと思いますが、こういう人は、一定の地位や目標に到達すると、目標喪失症を発症し、急に自堕落になってゆきます。東大・京大を卒業して官僚にいなったり公務員になって、安定した地位を得ると、どうしようもない腐れ外道(げどう)になる奴の何と多い事を見ても分かるでしょう。
 フランスのミシュランが、数寄屋橋のお寿司屋さん「数寄屋橋じろう」に三ツ星の称号を与えたというニュースを最近知りました。
 この大将は小さい頃貧乏で、7歳から奉公に出されて以来、ずっと寿司を握っているらしい。とんでもない有名店になってもまだ、もっと旨い寿司が握れるんじゃないだろうかと、その道を極めているらしい。らしいって書いているのは、こんな店で寿司を食える身分じゃないから。
 こんな大将も、若い頃はいつもドジでノロマで先輩から罵声を浴びせられたり、頭を小突かれたり相当したらしい。ただ、自分には帰る家がもう無かったから、嫌でも何でも仕方が無いから、頑張るしか無い。「こんな仕事は自分に合わないなんて事言ってたら、本物にはなれない。その仕事が天職だと信じて、その仕事に自分を合わせるんだ」と言ってた。何と含蓄のある言葉。本物ってものはこういう風にして生まれてゆくんだと思う。今のご時世では本物は生まれにくいだろうなあ。
 逆に、だからこそ、今本物指向の絶対的目標主義を志したら、ブッチぎりのダントツのトップになれる世の中だと思うなあ。ただ、認められる迄に時間がかかる。
 今の若者は我慢出来無いから難しいでしょうね。欲しいものが有ったら今直ぐ欲しい。ねだる。ローンで買う。早くに有名になりたいからって、中身も何も無いまま芸能界へ行く。
 そんなのに比べたら、大正14年生まれの寿司屋のオヤジは全く別の世界の人だね。正にカメの生き方を地でいっている生き方とは、こういうものなんですよね。別に彼にとって相対的な評価三ツ星なんてどうでもいい訳で、まして彼らの寿司を目指した時に三ツ星なんてものは、この日本に存在しないんだから、目指しようも無いけれど。
 今、若者で料理を目指す人で、いつか三ツ星シェフになってみたいなんて思っている人もいるでしょうけれど、こういうシェフは三ツ星を取ってからの人生は苦しみ以外の何ものでも無くなる可能性が有りますね。料理専門学校のキャッチコピー「私は料理界の東大へ行く」なんてのを使っている所が有りますが、本当に料理をどう考えてる人が指導してんだろうね。相対的目標を持っている人の言葉だよね。だから、くれぐれも気を付けないと「船場吉兆」なんて事をやらかしたりしてしまうってもんだよ。
 弁護のために言うんじゃないけれど、少し違う気がするね。東大って聞くと、学歴コンプレックスからなのか、過激な発言になってしまいますね。結局、私も口では本物を目指そうなんて言いながら、コンプレックスの固まりの人間かもしれないですよね。だって、自分の事を一番知らないのは、この私なんだから…。


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2008年01月18日

美味しいサンマは私になる

 庶民の味サンマ。どうですか?日本人なら脂の乗った秋のサンマは大抵大好きですよね。それに値段も安いですもんね。“ザ・めしや”での私の定番はサンマですねぇ。サンマの脂はとても上品な味で脂臭くないですね。あ~、熱々のサンマ、食べたいなぁ。秋が待ち遠しい。
 では、ここで問題です。目の前のお皿に乗ったサンマ、見る事は出来ますか?お箸で突っ突く事、出来ますか?もちろん見えるし、突っ突く事、出来ますよねえ。では、美味しくサンマを食べたら、サンマはどうなりますか?お腹にありますよね。じゃあ、2~3日後サンマはどうなっていますか?え!もう便器に流しちゃって、どこにも無いって。う~ん。確かに。形としてのサンマちゃんは便器からサヨナラ~、と言いたいですが、ここで立ち止まって、よ~く考えて下さい。本当にそうなのでしょうか?
 私は、サンマは形を変えて無くならずにちゃんと存在していると思うのです。そうです。私の爪の先から髪の毛に迄、私の肉体のあらゆる部分にサンマは生きているのです。
 私は若い頃、バーの止まり木に止まって、マスターとお話するのが好きでした。そのバーのマスターが私に言った言葉です。「あなたの話は良く分かるけど、他人の考えの引用が多いね。自分自身の考えって一体何なの?」と。私は何の疑いもなく自分の考えとして語っていたのに、その言葉にとっても違和感を感じました。
 多くの偉人や多くの先人の考えを学び、自分のものにする事は財産であり、全ての偉人・先人の考えを選択も無しに吸収している訳でも無いからです。若い自分より、偉人や先人と呼ばれる人々の含蓄のある考えを吸収する事は、とても私にとっては大切な事だからです。その時、私は自分を上手く説明出来ませんでした。
 その後、サンマを食べていて、ハタと思い付いたのです。「そうや、サンマと同じやん。」
 偉人・先人の思想に出会った時は、サンマを眺めているのと同じで、自分とは別の物ですが、それを美味しく頂いて腑に落として消化したら、それからはもう自分自身の何ものでもなく、“私の考え”そのものに変わる。ただ、きっかけを与えてくれたのが、偉人・先人と呼ばれる人々で在っただけなんだ、と。
 時々、世の中に了見の狭い先生と呼ばれる人がいて、「それは私の考えだからね。」なんて言う人がいますが、これは学問というものを理解していない学者、所謂“論語読みの論語知らず”という輩ですね。相手にしない事です。
 戦後、家電品の何かを発明した人がいて、それを特許を取得せず、日本のメーカー全てに自由に使う事を許した学者が居た、という話を聞きました。それを元に日本のメーカーは多くの今日の基礎を築いたと言えば大袈裟ですが、その恩恵を多大に頂いた事は確かです。
 大所・高所に立って祖国の為を思う心が有れば、こういう風にならなきゃなんないんですがねえ。自分の私利・名誉にキューキューしている奴が多過ぎていけません。
 石田梅岩先生は、全く無料で人々に生きる道具を与えておられた訳です。大体こういう先生を尊ぶ風調が日本には失われてしまいましたね。テレビ写りがいいとか、有名だとか、有名大学の教授だとか、どこどこ塾出身の政治家だとか、こんな連中がマスコミを通じて考えを垂れ流しにしているのを聞いていたら、痴の毒が知らない内に、体にまわりますよ。
 だいたい陰徳を積んでいる人物というのは“陰徳”という様に、人々の陰に隠れて市井(しせい)に紛れてるもんなんだから。世の中に有名になったり偉いと呼ばれている事は“陽徳”と言って、陰徳が形を変えたもの、つまり貯金をおろして車を買う様な事になるから、陽徳ばかりで陰徳を怠ると、根が腐って枯れる様に、人間も人として枯れて、地獄に落ちてしまうんだから、よっぽど気を付けた方がいい。とにかく地獄の入口でささやく言葉は覚えておいた方がいい。それは“せ・ん・せ・い”って言葉。高いお金を取って持ち上げて影で笑っているべっぴんさんのいる店で、耳元でささやく言葉は決まっているでしょ。「あ~ら、せんせ~い。」いい加減な先生は大概これでやられてゆく。
 話はあらぬ方へ逸れましたが、こうしてコラムを書いている“私の考え”が、少しでも“あなたの考え”に変わって貰えるなら、こんな幸せな事はありません。ましてや、可愛い女性の腑に落ち“私の考え”がその方の、髪の毛やら爪や○○○の一部になれるのなら、もうこんな幸せはありません。
“私はあなたのサンマになりたい。”


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2008年01月15日

イワタ式人生免疫論

 今日のテーマは“イワタ式人生免疫論”です。何か“~論”等と書くと、とても格調高く思えてきますね。それでは以下をお読み頂き、その格調の高さに浸って頂きたいと思います。
 免疫というと、死に至る様な怖い伝染病がありますね。ところが子供の内にウィルスを薄めたワクチンを接種して、体に免疫というものを前もって作っておくと、大人になってウィルスに感染して死なないというアレです。若い頃に私はハタと気付いたのです。免疫というものは何と便利で凄いものなんだと。「ヨシッ。これからは人生全て免疫論でいこう!!」と。どういう事かと説明しますと、「何でも世間で危ないから気を付けなさい、年を取ってからハマると危険ですよ」と言われているのに、少しでも早い内に接して、それを体験しておくという事です。
 第1番目は、16歳の時のオートバイに始まります。暴走ってやつですかね。最初はカワサキ250SS。2ストローク3気筒、前後ドラムブレーキ。 32HP、車重170kgだった様な気がします。とにかく、当時カワサキのマッハシリーズと言えば“走る棺桶”と言われる位、若者が次々と命を落としました。ハッキリ言って、私も今どうして生きているのか分かりません。ただ、強運だったんでしょうね。その後、カワサキ750RS、通称“ゼッツー”というバイクに乗り、北海道一周などに生きましたが、2度大事故をやって、2度目は大破。少しはバイクというものに免疫が出来た、と思いきゃ、又々昨年ドカッティ 748なんてレーシングマシーンに乗る事となり、現在もワクチン投与中ってところです。
 次に麻雀その他賭け事。麻雀は特にやりましたね。狂った様に。父にとって麻雀は「亡国病だ!!」そうで、やはり病名を叫んでいましたが、免疫論を父に理解させるのは不可能なので、一切聞く耳は持ち合わせず。社会人になってからも、そのペースは落ちていないし、掛けも半端では有りません。独立したての頃はあまり仕事も無かったので、毎週水曜日になると、いわゆる組事務所と称する所で“賭け麻雀”をやりました。何故か小指が私以外の皆さんに無かったのが印象的でした。私はいわゆる“ダンナさん”な訳です。いわゆる参加者が支払う“テラ銭”というものが組の資金の一部になるそうです。そんな事は私に関係無~い。免疫論者の私の目的は、ただ、怖いお兄さんにもいち早く接して免疫を作らなければいけない事に有る訳です。麻雀が終わると、ダンナさんである私だけ、テラ銭の一部から接待があるのです。何故だかとにかくまずお風呂屋さんが決まりです。私が先に入って普通に体を洗い始めます。少し遅れて2人の若い衆が入ってきて、背中を流してくれるのです。最初は周囲に他の入浴客があるのですが、しばらくすると、私だけポツンと1人。遠くからさっきの人達がこっちを見ている訳です。だって、どう見ても私が兄貴か親分には見えないから、絵的におかしい訳です。ここで少し学びが有りました。1つ目が、入れ墨には、線彫り (色を入れて無い状態)とカラス彫り(墨の濃淡)そして、ご存知の色鮮やかな入れ墨があるという事。全身に入れ墨を入れると皮膚呼吸ができなくなり、晩年は哀れな目に遭う事が多いという事。2つ目が、どうも男を売る稼業の世界も、金が物を言う世界になった様だという事。
 次に私が挑んだ危険な事はヤミ金融。誤解しないで下さい。誤解しないで下さい。私がヤミ金融をしていたという事はでは有りません。金利の高い(年利 40%)お金を引っ張って事業をやるとどうなるのかという事。会社の経営者は事業が行き詰まると、ダメだと分かっていても最後は高利貸しの金を引っ張ってしまうと聞いていたから、会社設立早々の若い内なら怖い目にあっても、免疫となって再起出来るだろうと考え、トライ。なんてカッコ良く言うと「トライ」だが、当時私にお金を融資してくれる金融機関は無かった。700万円を10回返済、年利40%で居酒屋を開店。結果2度と借りてはいけないという事が分かりました。
 未だに私は“人生免疫論者”を貫いておりますので、人に誘われたらどこでも行きます。日本だけで無く、外国へも。そうそう、外国で思い出しました。外国の怖い所も免疫がひょっとしているかもと血迷い、危険地帯に足を踏み入れました。
 まずは香港の九龍。危ないよー。「社長、いいロレックスあるよ~」とか言って、人懐っこそうな奴が近寄って来る訳です。又オーバーアクションな位にこいつが愛想がいい。この見え見えの作り笑いなんてもう「サイコ-!!」まぁ金を取られる位で、奴らも殺しはしないだろうと付いて行くと、路地の奥のマンションの上。動物的な勘で、これはちょっとヤバイぞと思いました。一緒に行った仲間を1人だけ残して、「30分して戻らなかったら警察に行け!!」と告げてエレベーターに乗りました。マンションの入口を入った瞬間、「マジー!ヤバー!」扉の奥には鉄格子。入口すぐの左の部屋で5~6人が入れ墨の上半身を見せてカード賭博をやっている。その横を通る時に皆さんこちらにガン(眼)飛ばす訳です。これは1回で十分。
 次にマニラ。ここも又結構ヤバイッすよ。現地のボディーガード2人(うち1人は現職のポリス)と田舎のキャバレ-の様な所へ行った時の事です。田舎だから、日本人なんて来ません。そこへお金持ちの日本人がボディーガードを連れてやって来たと誤解された様で、舞台の正面の一番高そうな席に座らされました。あんまり良すぎて、私達一行だけライトアップされた様。すると、ダンサーがセクシーなダンスで私を目がけて近付いて来るのです。ここで、名誉のために言っておきますが、私はこういう女性との接し方はイヤなのです。もっとロマンチックなのが良いです。私はこのまとわり付くダンサーを追い払うにはどうしたら良いのか尋ねると、チップをはずめば立ち去ります。チップをはずんだら、なる程その通り。やれやれと思って一息ついたその後、恐怖が待っていたのです。幕間で見ていた次のダンサーが、チップをもっと欲しい為に、より過激なダンスで私に近付いて来るじゃ有りませんか。トップレスになって、私の頭を股に挟んだ、ちょうどその瞬間、私のすぐ足下で「バーン」と破裂する音がしました。ヤバイ。撃たれた。ダンサーは驚いて舞台から落下するわ、私達3人は臨戦体勢になるわ。こちらも現職のポリスがいます。38口径は持っています。でも私は丸腰。少林寺八級。如何ともし難い。車の鍵を預けられ、「取り敢えず車に乗ってロックしておく様に。30分して戻らなければ1人で車で逃げろ!!」と言う訳です。おいおい、又30分かよう。これは困った。何故なら、私はそこがどこで、そしてどこへ逃げて帰ってと良いのかすら分からない。そんな中で逃げろと言われても…。どうやら無事話がついてボディーガードが帰って来ました。ヤレヤレ。ところでどうして私が狙われたのか?実は私にまとわりついたダンサーに熱を上げて通い詰めていた現地の男が、ジェラシーのあまりプッツンをして及んだ凶行だったというのです。成る程、又私は最後に残されている、男として最も危険なものには挑んでいなかったと気付かされた。
 私は人生におけるごく一部の危険体験を書きました。“イワタ式人生免疫論”のおかげで、少しは胆が座った様な気がします。しかし、まだまだ未熟さは拭えません。これからも、もっともっと怖~い事に挑戦する様に日々精進してゆかねばと、年初において改めて胆に銘じた次第です。


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2008年01月13日

日々のブログはイワタ絵画の1ピース

 最近このブログを書く様になって、少し考えが変わりました。ブログはそもそも最初にTOKI-WA-SOHサイトを開設した時は、単にコンテンツの1つとして15ヶ月間もの期間を要したSOHO町屋「TOKI-WA-SOH」の制作日記又は手記的な位置付けのつもりでした。用地収得からデザイン起こし、資金調達、制作と、かなりの部分を私1人でやる事となり、その苦労の連続と思いを日々日記の様に書いてゆく事で、多くの方々に「TOKI-WA-SOH」を理解して貰おうとの趣旨で始めたのですが、書き始めたのがほぼ完成に近付いた時期という事も有り、15ヶ月間の「過ぎた」事はかなり過去の記憶となっていました。
 私の性格が災いし、過ぎた事は振り返るものでは無く、心に留めるだけという感じで、後はもう「TOKI-WA-SOH」の未来ばかりに気持ちが移ってしまいました。書く内容も日記というよりは、私的思想としての随筆の様な内容になってしまいました。
 脳は快を憶えるとその行為を反復して継続しようとするらしく、私の脳はこの毎日の随筆をかなりの快と受け止めた様で、ぼんやりしていても仕事に熱中し過ぎて疲れていても、いつの間にやらセッセと書き始めてしまいます。
 そして考えが変わったのです。この日々の随筆は普段自分の脳みその中で描かれた「イワタ式思想」という1枚の絵画で、日々の随筆はその1枚の絵画をジグゾーパズルにした1ピースだと思う様になった訳です。自分でも50年という年月、生きて学び経験したその集大成というモノが、一体どの様な絵になっているのか、はっきり言ってよく判りません。
 ただ自分の実体験や応用を通じてオリジナルに創り出したであろう価値観や思想、それらを集大成して表して死んでゆこうと思い始めたのです。確かに現代の利器としてのパソコンのサイト上で不特定多数の方々に読んで貰う形になってしまいましたが、あくまで自分が生きた足跡や自己表現と、まぁ「1人の人間の生きた証」的な、多分に私的な目的へと一部転化してしまったのです。
 何年か前の新聞に出ていた記事に、友達も身内も仕事も無く、ただひたすら絵を描き、お金に困ったら日雇いの仕事をして、又絵を描き続けた画家のお話が有りました。そしてその画家はただの1枚も絵を売る事も無く、借家いっぱいに絵を描き残して誰に看取られる事も無く死んでいったそうです。私はこの記事が忘れられません。人々はアートだとか思想だとか何だとか言っては自分らしさを主張していますが、殆どの場合はどこかに媚びが含まれています。私は亀井勝一郎の次の言葉を思い出します。
 「ほんものとにせものという言葉がある。人間の場合でも骨董の鑑定のときでもよく使われるが、どこで真贋のほどを決定するのか。ほんものは、いつも隠れた美しさをそなえていて、誰かの愛情によって発見されるまで待っている。この『待つ時間』の静かで自然であることが、ほんものの証拠である。これに反して、にせものは美しさをおもてにあらわそうとつねに焦っている。だからどんなに巧みに『待つ時間』を虚構しても、そこには必ず媚態があらわれる。人間はこれに弱いのだ」 ~『思想の花びら』より
 上記の考えを貫くと、究極的には、前述した名もなき画家の生き方に通じることとなろう。
 死期を宣告されて何にでもすがりたい思いで足を運んだ書店で目に止まり、何気無く買い求めた『思想の花びら』。読んで大げさでは無く、自分の生きる意味、そして生きる価値を見出した私です。
 そんな私の書く随筆ですので、多分に自己完結になっている事かと思います。基底にはこの思想があるからに他有りません。もう一編『思想の花びら』より1枚の花びらを紹介して今日を終わりたいと思います。
 「登山のとき、必ずやや虚弱な友人をひとり仲間として連れてゆくべきである。彼をいたわることは、自分たちをいたわることだ。それは危険への最大の予防である。彼こそ守護神なのだ。『完全な健康体』だと思い込んでいる人間の集団だけが遭難する」亀井勝一郎


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2008年01月11日

鯨と正常位を考察する

 お正月のテレビ番組を観ていたら、鯨(くじら)と人間が一緒に泳ぐという番組があった。鯨という動物を漢字一文字で書くと魚+京となる。鯨が哺乳類であると知られていなかった頃、鯨は魚の京だったのだろうか?などと考えていた。
 私のブログを友人が読んでいて好評だったものに、「悲しきスケベ親父に贈る」というのがある。私の友達はやはり異性に興味があるのと、肩を凝らない話がお好きなようだ。誠に申し訳ありませんが、私は真面目だけが取り柄のような男なので、お固い話は得意ですが、下ネタ的な話はどうも苦手です。まぁ数少ない私の知識の中から、たまには肩の凝らない下ネタ的なお話をしてみようと思う。
 実は、鯨と下ネタのお話なのだ。さて、あなたは鯨と下ネタというキーワードから、どんな内容を想像するだろうか?文章を読み進む前に、しばし考えて欲しい。考えて貰えましたか?では、はっきりと断言しましょう。まず誰もこれからの内容を想像した人はいないと。思わせぶりな前振りはこれ位にして、本題に入りましょう。何分下ネタ的ゆえに、本題(本番)に入る前の前振り(前戯)には十分筆を取らないと、その後の進行が円滑に行かないのです。え?まだ前振りしているって。申し訳無い。今気付いたけれど、ひょっとして私も十分スケベ親父なのかもしれない。
 では、ここで問題です。問1.「正常位と呼ばれている体位で、交接するお猿さんの名前を言って下さい」意地悪な質問ですねぇ。お猿さんの交接を思い浮かべて下さいね。どんな体位でしてるでしょうね。では正解を述べましょう。答えは「人間の正常位という体位で交接するお猿さんは、いません」おかしいでしょう。人間は猿から進化したって教えられて、みんな信じていますよね。だったら、どうして一番近い猿と全く交接体位が異なるのでしょうね。
 問2.「人間と同じように正常位で交接する哺乳類はいるでしょうか?」人間の正常位とは、お互いに向き合う形で交接する事ですよ。自分の好みの体位じゃありませんからね。それを考え出すと私を含めて話がややこしくなります。では、正解を述べましょう。答えは「鯨やイルカ等の海で生息する哺乳類は、人間と同じ体位で交接します」これが、鯨の番組を観ていてこのブログを書いている理由なのです。こんな位で終わったら話は面白くないですよね。
 では、次の質問に移ります。問3.「人間の皮膚と似た皮膚を持つお猿さんは、一体どんなお猿さんでしょうか?」これも第1問と同じ質問です。答えは「いません」やっぱり人間の皮膚に近い皮膚を持つ哺乳類は、鯨やイルカなどの海に住む哺乳類なのです。人間の祖先と考えられているお猿さんの毛むくじゃらとは大違いなのです。実は人間に近い祖先は、鯨やイルカの哺乳類だと言えるのでは無いでしょうか…?お猿さんが海を泳ぐ姿は見た事なですが、人間は練習をすると、とても上手に泳げますよね。ところがところが、DNAで調べてみると、やっぱり、お猿さんが人間には一番近いのです。  
 さぁ、分からなくなってきたでしょう。自分はもう分かっていると疑いもしないような事でも、実は分かっていないという事が実に多いという事を、今日は知って欲しかったのです。最後に自分に問いかけてみた結論は、体位を含め外見からも、私はお猿さんの血を多く受け継いだ人間であるという事だけは、はっきりしているという事で、今日はおしまい。

2008年01月08日

クジラの島の少女

 子供が親に望む事って、たった1つの事じゃないかと常々思っています。それは「我が子のあるがままの姿を、全てを心から受け入れて貰いたい。欠点が有ろうと無かろうと。どんな時も何をしていても」という事。幸いにも、そうして貰った子供にとっては当たり前の事になっているけれど、不幸にも我が子には「こうなって欲しい」という強い要望を持つ親の元に生まれた子供には、一生かかっても手に入れられない宝物。この子が愛しいという波動を両親から貰ってさえいれば、奇麗な服やご馳走や素敵なお家が無かっても、これ以上の幸せは有りはしない。後はせいぜい「読み、書き、ソロバン」位なんじゃ無いかな。そんな両親の元で育った子供はきっと、とても強い子に育つと思う。この愛の力が何物にも打ち克つ勇気に変わるから。「人間は不完全だから人間として完全なのです」もし完全なら、天界に居て、今人間界等に生を受ける事は無いのですから…。
 今日紹介したい『クジラの島の少女』という映画は、有りのままの自分を愛されない悲しみの中で、必死に愛されようと健気(けなげ)に生きる少女の物語なのです。子育てに悩んでおられるお父様、お母様にこそ観て頂きたいと思い、筆を取りました。少しでもお子様との向き合い方に変化が生まれる事を願って。
 その昔、先祖の勇者パイケアはクジラに乗って、今のミクロネシアの地にやって来たという伝説がマオリ族の中で語り継がれています。古人マオリ族は勇者の部族で、世界一強いニュージーランドのラグビーチーム「オールブラックス」が、試合前にマオリ族の戦いの踊りをするのは有名です。マオリの男達は、この勇者パイケアの末裔である事に誇りを持った、伝統的男社会が今日も息づいています。この誇り高き一族の族長の家に、子供が生まれました。子供は双子であったのですが、男の子と母親は難産の為死んでしまい、双子の1人の女の子だけが命を授かります。族長の祖父は、「今度は仕方が無かった。しかし次を産めば良い」と女の子には目もくれず、死んだ男の子をじっと見つめるのです。そう、勇者の末裔に必要なのは男だけなんです。しかし、父親である息子(祖父からは息子になる)は、女の子に勇者パイケアの名前を付けるのです。この女の子がパイケアなんだと。しかし一家に訪れた経済的な現実の中、父は耐えきれず、パイケアを祖父の元に残し、家を出るのです。しばらくして、学校に通うようになったパイケアの発表会に出席するため父が島へ戻ってきた時、パイケアが尋ねます。「お父さん、どうして、おじいちゃんは私の事を愛してくれないの?」と。父は「おじいちゃんは、この世に存在しない、誰かを愛しているからだよ。」と悲しそうに娘に答えるのです。祖父は、自分の頭の中にある一族の末裔、勇者パイケアという偶像を愛しているのです。
 私、この父の言葉に衝撃を受けました。正に私の両親が、私という息子に描いた理想像をいつも私に追い求めたように。
 そんな祖父に対して、パイケアは私のように反発する事もなく、ひたすら祖父母に愛されようと健気に勇者パイケアのようになろうと努力するのです。その姿が私にはつらくて涙してしまいました。「親子、肉親とは何だろうか?」
 1人の息子だった私が、今、子供を持つ父の立場になり、もう一度家族というものを考えさせられました。私もパイケアのように育てられたおかげで、ありのままのその人を愛する事の大切さを、身をもって知る事が出来た事に気付きました。様々な付き合いの中で「うちの子は…」とか「うちの社員は…」というしかめっ面まじりの話を聞く事が多い昨今ですが、にこやかに「うちの子はね!!」とか「うちの社員はね!!」とその人の存在そのものを受け入れる心を持つ事が、家族やファミリーを築く事がいかに大切であるかを、この映画を観る事で再確認できました。心で観る映画、機会が有れば一度ご覧下さい。それでは。


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クジラの島の少女公式サイト

2008年01月06日

「女達は美しさを学ぼうとして自然の美しさを失う」-ココ・シャネル-

 最近の“女性”は本当に賢くなりましたねぇ。昔じゃ考えられない事ですね。今じゃ女性も男性と同じ様に大学まで行きますもんね。おまけに、男性より真面目に勉強するから、間違い無く男性より賢くなりましたね。じゃあここで質問です。坂本龍馬を影で支えた女性は誰でしょう?高杉晋作を影で支えた女性は誰でしょう?吉田松陰先生に影響を与えた女性と言えば?松下幸之助先生に寄り添っていた京都の女性と言えば?
 何でこんな質問をしたのかって?“歴史は女によって創られる”という事を証明したかったのです。いつも私が感じている事は、男は多くの英雄体験(修羅場をくぐる)によって雄(おす)から男へ、そして大人となり、幾人かはリーダーや英雄となって行く。これは女と男の違いで、女は生まれてから死ぬ迄女であるけれど、男は英雄体験をしない限りは、いつ迄もただの雄のまま。そこが男と女の根本的な違い。だからこればっかりはどうしようも無い。ところが、男だからといって、そう安々と英雄体験を積める訳じゃない。ヘタすりゃ命を落としかねない訳で、誰だって怖いに決まっている。そんな時、幼い頃は母に始まり、その時々の女が「あんたやったら出来る。さあ、いってらっしゃい!!」と励まし送り出したからこそ、男は勘違いをして、「俺やったら出来るかもしれんな。えい!」と、たまたまやったら上手く行った。
 実は結果だけを見て、後にその男を偶像化して英雄伝に仕立て上げただけで、本当は影の女が偉くて、ただ男は脳天気な目立ちたがり屋だっただけかも知れないと思っている。いや、きっとそうだ。その男の可能性を引き出し、歴史の舞台に押し上げてきたのは、全て女性なのだ。だって、スポーツの試合に好きな女の子が応援に来ていたら、それだけで普段以上に頑張るってのが男と云うもんだっては、自分が一番良く知っている。
 こういう“男というもの”を知っていたのが、明治女などと言われる女性達なんでしょうね。彼女らは馬鹿だった。学問という意味においてはね。しかし一方で、本当に賢かった。男という生き物の生態考察については。今日の女とは全く反対だね。
 “女性”としては賢くなっかったかも知れないけれど、“母”としては実に賢明だと思う。だから立派な男が育つんだ。つまり、どういう事かと言うと、“女性”としての自我を消す。自分を消して“女性”から“母”になる。そして相手の成長と同化する事が出来た。夫と同化する。子供と同化する。
 西洋のことわざにこんなのが有る。「男は夢のために女を捨てられる。女は男のために夢を捨てられる。」男の夢に自分の夢を重ね合わせる事が出来る。賢くなった最近の女性には全く出来無い芸当ですよね。家事は半々。夫の仕事には口を出す。ひどいのになると、夫を馬鹿にしたりする。「亭主元気で留守がいい」なんて平気で言う。これじゃ、男は元気が無くなる。男の元気が無くなると女がヒステリックになる。逆に男を元気にすると女性も楽しくなる。自我を消した女性を見て、学のある女性は嘆く。でも「レースでも周回遅れのマシーンはトップの前を走る」様に、「私は無知で有る事を知っている分あなた方より賢い」と言ったソクラテスの様に、「男は自我を消したくても消せない分、自我を消せる女性には適わない」って事が分からないのかね。
 そもそも男と女にはそれぞれに役割ってものがある。営業と総務と人事と経理、さぁどれが一番偉いでしょうか、なんて馬鹿な質問してる様なもんだね。男と女は存在として平等に決まっているじゃないの。ただ、役割りとしては異なってるんだよ。ただそれだけ。こういう時はかえって学があると学が邪魔しちゃうんだよね。学というか高学歴な奴ばっかが国を動かしたらどうなるかって事位今の日本を見りゃわかるだろ。だったら自分の家庭位はそうならない様に工夫しろってんだよ。
 ちょっと私の女房の自慢をするけど、普段は何も言わない。ただニコニコしているだけ。外泊して帰っても、「大丈夫。疲れてない?」なんて心配してくれる位。バブルが崩壊して殆ど財産を失って、
どうしよう、どうしようって不安になったり後悔ばっかりして落ち込んでいた時に、たった一言。「またゼロからやり直したらいいやん」って。もう、その一言で、一生俺は女房には勝てないって思ったね。今でも心の底からそう思う。女の凄さってのはこんなもんだと思う。そんな女房にうちの長女は、「私はお母さんの様な生き方はしたくない」なんて言うもんだから、「お前にはお母さんの凄さはまだまだ分からん、分からん」って言ってやった。あぁ、うちの娘も今風の高学歴女だ。やだやだ。大体ね、私の女房位信頼されたら、そらぁつまらん生き方出来無いなぁってつくづく男ってのは思うよね。頑張らなしゃあ無くなるもんね。
 聖書には、神は土からアダムを創り、アダムの肋骨(ろっこつ)を1本取ってイブを創ったという話が有る。これは「神が最初の女を男の頭から創らなかったのは、男を支配する程賢くてはいけない。肋骨から創ったのは、女がいつも男の心の近くにいる様にするためである」と解釈されている。
 世の中の知識人と言われる女性達よ。あなたの豊富な知識の中に、この知識も含まれている事を心から祈ります。ではお祈りも終わったところで今日はこれで寝るとします。CHU!!

2008年01月04日

「引く健康法」

昨年の暮れの話。肩がこったり、疲れが溜まっていたので、足ツボを揉んで貰おうとパルコへ行きました。いつもは行きつけの整体院へ行くのだけれど、年末という事で休院であったため、ショッピングアーケード等に必ず出店しているクイックマッサージ初体験、という訳です。
 まず金額をチェック。足ツボ30分3300円、整体30分3300円、デトックス30分2500円。「ウ~ン」、いつもの整体院は60分ゆっくり揉んでいただいて4000円。「クイックマッサージ、結構高いなぁ」それによくよく考えると足ツボマッサージって足の裏に溜まった老廃物を揉んで貰って、結局排出する訳では無いから、疲れは確かに取れるけれど体中を老廃物が回って、又何日かすると足の裏に溜まるだけだよなぁ。ところがデトックスは毒々しい色の写真がいっぱい展示して有り、結果が目に見える様で大変興味をそそりました。足をフットバスの様な所に浸けてあるのだけれど、その足を浸けている溶液の色が毒々しい色になっている。焦げ茶色、赤茶色、黄色、黄緑色等々、人によって違うらしい。溶液に足を浸けてしばらくデトックスというものをすると、体の中に溜まった有害な物質を足の裏から引っ張り出してくれる装置らしい。まぁ、使用前使用後という劇的な写真で消費を煽る手法なんだろうけど、2500円と一番安いし、話のタネに良いかな?って感じで、試しにやってみる事にしました。
 デトックス開始。別にどうというものでも無く、温水という訳でも無い溶液の中に足を浸ける。スイッチが入ってタイマー始動。しまった。30分間読書するための本を持って来なかったな。仕方が無いのでこのデトックスとやらの説明書でも読んでみよう、と思った位の僅かな時間なのに、何やらもう茶色いものが容器の中に出始めているでは無いか!!「えー!!!!」「何これー!!」説明書に目を通すと、大型魚、特に日本人はマグロや鮭を多く食べる人が多く、それらに含まれる水銀が体に残留するらしい。それから水道水に含まれる鉛も体に蓄積しているらしい。虫歯の詰め物からも有害金属が出て体に溜まるらしい。とにかく現代人は有害なものを体にいっぱい溜めているそうだ。これらの有害な物質が体調不良の原因だったりするのだ。説明書に目を通しながら時折自分が足を浸けている容器を見下ろすと、ぶくぶく泡迄出て、水面には薄い膜迄出来て、ホクロの様な黒の粒々迄見える。「オイオイ、俺の体の中は一体どうなってるんだろう??」不安が過る。
 今の世の中の健康法の主流は「足す健康法」なのだ。やれコラーゲンが足りない。やれDHAが足りない。やれ何が足りない、と足りないものを外から補う健康法なのだ。しかし体内に有害なものが残留していると「足す」だけでは片手落ち。両方大事なんだとか。そりゃそうや。悪いものこそ排出しないとね。それにしても「外に貼り出して有った写真、劇的ちゃうやん。俺の容器、正に写真そのものの、いやそれ以上、ドブの中で臭い立ちそうな色の水に変色してるやん」、正直に言おう。隣の人の水とは全く違う。俺のはあまりにも毒々しい…。
 30分のデトックスが終了し、お店の方に聞くと「かなり良く出ている方」との事。という事は、出て良かったんだけれど、たくさん体内にまだ溜まっているという事。「良く出るという事は、代謝が良いという事でも有ります」と慰められた様な…。兎に角、あの溶液の色が頭から離れない。「引く健康法」、今迄睡眠が足りない、運動が足りない、栄養が足りない、足りない足りない、だから足さなくちゃ、と「足す」事ばかりに意識が行っていた。「引く」という健康法。久々に又既成概念を転換する出来事でした。少しの間、溶液が又どんな変化をするのか、このデトックスを追い掛けてみようと思います。又いずれ追加レポートを掲載します。

 P.S:何日か経って新年を迎えた今でも、何だか心迄汚れている様な嫌な気分がして気にかかる。「でも心と有害金属は関係有りませんからね」、と自分に言い聞かせる自分…。


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2007年12月28日

「暴力は親に向かう」

「暴力は親に向かう」とは最近読んだ二神能基さんという方の著者の題名です。一瞬私は「暴力はわが子に向かう」じゃないかと見直した位です。
 何故か私の長女は自我がとっても強い子で、とても親的には難しい子供でした。2歳で私が叱ると裸足で外を飛び出して「死ぬぅ!!」なんて言い出すし、幼稚園では私がしばいたのが強過ぎて鼓膜が破れて病院の先生にこっぴどく叱られたり…。又ある時の事、小学校になると子供は電話に出たがるようになりますが、長女は私の不在の時に電話に出て、私がいないと「今日、おとうさんマアジャン」と応えるし、小学校5年生迄は、私をヤクザだと本当に思っていた様です。
 そんな娘が小学校6年生の頃、授業参観がありました。私が出席したのですが、参観後のPTAの会議の場で、学校の考え方は間違っていると前に出て黒板に板書きして訴えたら、先生とお母様方全員対私という険悪な構図になり、娘に2度と参観には来るなと言われる始末。娘に対し「中学を卒業したら働いて家にお金を入れろ」と言うと、授業料は後で返すからと勉強をし始めました。私は腹が立って、わざとテレビのボリュームを上げて勉強の邪魔をして、何とか高校へ行けなくしようと必死。とうとう最後は胸ぐらを掴んで振り回したらTシャツがびりびりに破れた。それでも長女は私の目を睨み付けたまま微動だにしなかった。正直言うと私の方が恐かった…。「私の人生で消せない汚点は、お父さんの遺伝子が私にある事。」と迄言われ、同じ部屋で同じ空気を吸う事さえお互い嫌悪する仲に。
 そんな長女に変化が現れたのは、高校の途中から大学受験を控えた頃。夜も更けたある日、家に帰るとファイルに入った文章に、何やら赤ペンで添削したものがチラッと見えたのです。何気なしに読むと、娘の受験用の論文の下書きでした。高校の交換留学制度を利用して、推薦で受験という枠等でアメリカのハイスクールを卒業するらしい。ところが、私的に見て、どうもこの添削が気に入らない。そこに愛が感じられなかった。
 私は勝手にその下書きを添削しまくっておいたのです。長女は翌日それを読み、何を思ったのかそれからは3回の論文全てに私の添削を求めてきたのです。今でも「おまえが大学合格したのはお父さんのおかげやぞ!!」と言うのですが、別に「うんうん」と適当にうなずいたりで、拍子抜けの感。それから娘はピースボードで6ヶ月世界を周ったり、アメリカの大学院の様な所へ半年留学しました。就職を控えた今、最も信頼出来る相談相手は私なのだそうです。
 私はずっと変わらず「父親はこう考える!」ただそれだけを真直ぐに子供達にぶつけてきました。

 …それでは、「暴力は親に向かう」の抜粋。
-子供が後に家庭内暴力を引き起こす原因は、子育ての段階から、親子関係そのものの中に、実は潜んでいる。それは「友達親子」という関係だ。親という威厳を振りかざし、あれこれ子供に命令することのない親。子供と「上」から接するのではなく、子供の「横」も寄り添う親。今の大部分の家庭が子供に指針を示さない事だ。「指針を示す」とは、親が子供に生き方を示すという事。言い換えれば、親が自分の価値観を子供に押し付けるという事である。しかし、友達親子にはそれができない。「自主性尊重」という名目のもと、「あなたはどうしたいの?」と横に寄り添うばかりである。そうやって指針を示さない事の問題は、結果として、「子供に反抗期を与えない」事である。親が上から抑圧するからこそ、子供はそれに反発して、自分の「道」を切り開こうと必死になる。その最初の一撃が、反抗期となって表れる訳だ。反抗期とは、子供が大人になる上で体験しなければならない大切な成長の過程なのである。だが、友達親子の場合、反抗期を持つ機会を親が奪ってしまうのだ。
 では、そんな友達親子が、何故家庭内暴力の原因になるのか?それは子供が友達親子のごまかしに気付いた時に、猛烈な怒りとなって親に向かうからだ。子供達はこれまでの人生を「親の希望のレールの上を、親に騙されて歩かされてきた時間。」としか思えないのである。
何故そんなギャップが生まれるのか?ほとんどの親は、子供に強制しなくても、何となく「こんな学校もあるよ。」などと、自分の望みを子供にきちんと伝えている。すると、子供は無意識のうちに察知し、いつの間にか親の望み通りの道を選んでいる。結局、親の欲望に子供が知らない間に付き合わされているのだが、これを親は、「子供が自主的に選んだ」という話にすり替えているのだ。ここに友達親子のごまかしがある。友達親子の最大の問題点は、子供がごまかしに気付いた時には、もう自分の足で歩く力を失っているという事である。子供達は必ず「犯人探し」を始め、親のごまかしに気付き「暴力は親に向かう」-

 親子関係とは…?


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2007年12月26日

「おもちゃ売りのオサムちゃん」

私の周りには、多分「類は友を呼ぶ」宜しく、とても個性的な人達が多いらしい。わが社の本部長は社長の友人の変な人ランキング等というものを付けたりしている位だ。
 その中の1人、“おもちゃ売りのオサムちゃん”とも結構長いお付き合いになるが、オサムちゃんの身の上話を聞いたのは、これが初めてだった。
 元々オサムちゃんと私の出逢いは、オサムちゃんの奥さんをうちの社員がうっかり大怪我をさせた事から始まる。社員と本部長に丁重に前後策をする様に指示をしたのであるが、それがどうも誠意に欠け不十分だったらしい。あまりの怒りにとうとう本社へやって来た。玄関の方で「社長を呼べー。」と大きな声がする。とにかく奥へ入って貰って私が挨拶をすると、事の経緯を遠々とオサムちゃんは怒りを交えて話し始めた。私はこういう場合、話の内容もさる事ながら、オサムちゃんの目を見て波動を感じる様に努める。ひとしきり話し終わった後、私が出した答は「うちの社員の方に非があり、人の気持ちが分かってない」。私はオサムちゃんの言う事が正しいと思ったので、すんなり「ゴメンナサイ。以後は全部私が精一杯の事をさせて貰います。」と頭を下げた。やっぱり私の見込んだ通りオサムちゃんはいい人だった。さっきの剣幕が嘘の様に、「わしは社長が気に入った。もう何も言わん。後は任せるからよろしゅう頼むわぁ。」と言ってお帰りになった。
 それからというもの、奥さんの事故の示談に至る迄、当事者のはずの私が保険会社とオサムちゃんの双方の代理人として解決するという、信頼関係が生まれた。
 そして、いつからか分からないけれど、、オサムちゃんは私の事を「オヤジのためやったらワシ何でもするで!!!」「オヤジー」「オヤジー」と、私はオサムちゃんのオヤジになってしまった。でもオサムちゃんはどう見ても私よりは10歳は年上のはずなんだが。そんなオサムちゃんと深夜遅く迄お話をする機会があった。以後はそのオサムちゃんの身の上話から…。
 オサムちゃんは若い頃から「オヤジさん」という人と「兄きィー」って言う人の中で育ったらしい。でも奥さんは、「この人これでも高校出とんねぇー」「おかしな知恵だけは天才的にまわるねん」と言っていたから、多分高校は卒業か中退して「その」世界に入ったみたい。とにかくオサムちゃんは「しのぎ」と呼ばれる仕事をしなければならない。それは自分の分だけでなく、「オヤジさん」と「兄きィー」の分迄。とにかくいろいろやっておられたみたいだけれども、荒っぽい仕事はオサムちゃんは苦手らしい。ある1人住まいの老婆の家に借していたお金を払って貰おうと行った時、水道が止められ、水も入れられず、カップ麺を食べられずコタツにうずくまっている老婆を見て、「おばあちゃん。この金で水道出して、うまいもんでも食べとき。」と言って30年位前に10万円程のお金を渡して帰ってきたらしい。とにかく「オヤジさん」と「兄きィー」に怒られたのなんの。でもきっとオサムちゃんのキャラだと思うが、バリカンで丸坊主にされて収まったらしい。こんな劇画の様な話があるんですね。
 オサムちゃんは荒っぽい仕事はからっきし駄目な様だが、縁日の「おもちゃ売り」だけは天才的な閃きを発揮する。
 では、その天才ぶりを1つずつ、ここに披露します。
 1.おもちゃを台の上にいっぱい乗せて、自分は売り場の外をウロウロする。そして身なりの良いご婦人が子供を連れて来るのを見つけると、丁度自分の店の前に来た頃合を見計らって、子供のつま先をギュット踏んずける。すると子供が痛くって「ワァーワァー」と言って泣き始める。すかさず台の上のおもちゃを子供に渡すと子供は泣き止む。そしてご婦人に「子供さんにおひとつどうぞ!!」と言うと、オサムちゃん曰く、10人中、8~9人は買っていく。10人が10 人と言わない所が可愛らしい。
 2.桶に氷を入れてラムネを何本も入れる。当時でラムネの仕入れが15円だったらしい。売り値は50円位なんだろうか。オサムちゃんは前歯が2本抜けている。彼はその利点(?)を生かして、「冷っこいで~。」「冷っこいで~。」を早口でくり返す。何度も練習して身に付けたらしいが、「冷っこいで~。」「ひゃっこいで~」…「100円やで~」と聞こえる位にひたすら早口で唱えるらしい。若い衆にも練習させて、ひたすら皆でこれを連呼するのだそうだ。すると面白い様に勝手にお客さんが100円を投げ入れラムネを1本買っていくらしい。とにかくよく売れるのだとか。
 3.オサムちゃんが最も苦労したのがヨーヨーの風船つりらしい。風船釣りはあんまり縁日でも人気が無いものに入るとか。考えに考えた末、1回50円のヨーヨー釣りに、風船の中に5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉を無理矢理入れてふくらませるらしい。するとみんな儲けようと金額の大きな硬貨の入った風船を釣ろうとして、失敗するらしい。人間の欲を逆手に取ったアイデアだ。
 4.次は本当にヒットした「カラーひよこ」の話だ。ひよこ売りというのは見た事があるだろうと思う。ところがオサムちゃんのひよこは赤や黄色やピンク、青色等々色取りどりのひよこが売られている。
 大体ひよこ売りのひよことは、養鶏場で選別され、少し弱そうな、はねられたひよこを安くで買ってくるらしい。元々弱いひよこだから、殆ど鶏にはならないそうだ。そんな弱いひよこにカラースプレーをかけて色をつけるとカラーひよこが出来上がり。大抵の場合「つがいで下さい」とリクエストがあるらしく、男の子らしい色のひよこと、女の子らしい色のひよこをひょいと2羽渡して、「はい、つがいで1000円」と言うのだそうだ。どうせ大きく育たないからオサムちゃん曰く「これでいいのだ。」という事だ。
 これはかなり荒稼ぎになって、他でも真似をする者が出たらしい。最盛期には4トントラックでひよこを買いに行ったというから相当なもんだ。ところがある日、かなりの剣幕でどなり込んできた人がいたらしい。「おい、あのひよこ、鶏になったら色が取れてしまって普通の白い鶏になったぞ。コラ、どういう事や!!」「まさか鶏に成長するひよこがいようとは、まいったなぁ~」
 5.最後はタコ焼きを売りに売りまくった史上空前の話らしい。オサムちゃんは頼みに頼み込んで神社の参道の一番最後で、そこから境内の広くなる場所を確保した。そして、何時間も前から若い衆とタコ焼きを焼きまくる、焼きまくる。そうして、タコ焼きの鉄板の下にその前もって焼いたタコ焼きを積んでおく。鉄板の熱で下も結構温かいらしい。そして注文が入ると、いちいち鉄板で焼いたタコ焼きを包んだりしないで、下から「ホイッ」と手渡すのだそうだ。そして何となく怖そうなお客さんが来た時だけ、鉄板のタコ焼きを渡すらしい。そうでもしなければタコ焼きはそんなにポンポン焼けるものでは無い。しかし、オサムちゃんはこれで終わらない。どうして境内の際に陣取ったかと言うと、境内で座って食べて貰うためだ。若い衆に「お前ら、出来る限り椅子持って来い!!」と言うと、皆、その近くのバス停や駅のベンチを担いでやって来たらしい。「アホかお前ら。けどしゃぁないなぁ。よし、そのベンチを境内に置け!!」なんて感じで、当時はこんな風にでも正月は大目に見て貰えたそうだ。そして売れに売れて、売り上げ保管もひと苦労、タコ焼きの粉を練るバケツにお金を入れ、長靴で踏んずけながらタコ焼きを売ったそうな。
 「オサムちゃん、これは面白過ぎるで。俺、ブログちゅうのに書くわぁ。こんな話は皆に知ってもらわな!!!」「えー!オヤジ堪忍しなえなぁ。こんな話はここだけの話や。あかんあかん、絶対あかん!!!」オサムちゃんは額から急にブルブル汗をかいて真っ赤な顔をしている。可愛いいなぁ。オ・サ・ムちゃん。


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2007年12月25日

“ミラクル”が最上じゃないと思う

日本に居ながら海外と電話をする所謂国際電話という方法は、現代では空を飛ぶモバイルと海底ケーブルを使う通常電話という2つの方法があります。昔は海底ケーブルの国際電話しか有りませんでした。日本から例えばアメリカまで長い長いケーブルを敷設するのは、とても大変な事だったそうです。でも、もっと難しい事は日本から発した信号が、ケーブル内を通っている間に弱くなり、とても遠く迄は届かないという問題らしい。それで、海底ケーブルの一定の区間にブースターという信号強化装置を組み込んで遠くに迄届けるのだそうです。…私はつくづく“人生はブースター”だと思うのです。
 少し話が飛びますが、本当に誰も信じて貰えない様な不思議な体験と儀式(と言うのか?)の様なものを経験し、私は力を授かったのだそうです。その力とは、「あなたが心の底から世の中の為になる事と信じて、神様の目を見てはっきりと言える事は、叶う」という力らしい。逆に「その力を自分の利益だけのために使おうとすると、とても良くない事になる。」らしい。「らしい。」と書いているのは、私は心から信じているのですが、「狂信」するという事がとても嫌な性格で、いつももう1人の自分は距離を置いたところから自分を観察する癖が身に付いているのです。「そんな力を私が授かったと急に言われてもネェ~。」って感じ。
 とにかく世の中の他の偉いと言われている医者の先生方は、私岩田を指差してはもうすぐ死ぬ、もうすぐ死ぬ、と言っている訳ですからね。半信半疑ながら、授かった力が物理的質量を持って私の体の中に入ったのは、事実、実感で有りましたから、その時は「世の中には不思議な事があるんだなぁ~」と思っていました。
 その後、正直はっきりと変わったという出来事は無く、むしろどんどん会社は傾いていきました。人生の上で、“大学受験と入院”の次のしんどい時期を迎えていました。ところが、恐らく不思議体験から1年後位から、いろいろ不思議な事が起こり始めるのです。小さな事は、自分が電話をしようとした相手から電話がかかってくるとか、時計を見ると、12時12分とか5時ちょうどとか、12時34分とか、整然とした数字になっていたり、新しい店の番号をNTTで取ったその後、前を走るバイクのナンバーが電話番号だったり、こちらが都合が悪くなってキャンセルしようと思うと、相手が申し訳なさそうにキャンセルの申し入れがあったり等々。後で知る事となったのはこういう現象を“シンクロニシティー”と言うらしい。
 私は“シンクロニシティー”の次に“ミラクル”という段階があると思っているのです。この“ミラクル”というものは、シンクロニシティーよりもっと強い現象で、通常考えても有り得ない様な出来事が起こり、自分が助けられていく現象です。日本語に訳すると“奇跡”となる訳で、こんな事、人生で1、2度あるかないかの出来事なのですが、“ミニミラクル”からミドル、ビッグと何種類も「え~!又かいなぁ~」と次々起こるのです。私の傍によく居る社員は何度も目の当たりにするもんですから、会社の厳しい状況の打開を話し合う会議でも、平気で「社長と本部長が居られるから大丈夫です。」とか「又必ずミラクルが起こりますからそれ迄耐えましょう!!!」といった会議には有るまじき意見が真顔で出てくる次第です。私も、「よし!分かった。それが我が社の生き方や。ミラクルが起こる迄諦めんとこうな!!!」と真顔で答える始末。
 しかし、実は“ミラクル”で終わりでは無い。その次の段階がある。その段階を“ブースター”と名付けたのです。いくら力があると言っても自分の感覚ではテレビでよくある「私は神だ」とか言う凄い力を見せたりする事、所謂“ミラクル”はうさん臭いなぁと思うのです。実は神様とは人間の美しい想念の集合体の様なところがあるんじゃないかと思っていて、「苦労をしながらも正直に素直に命の炎を燃やし尽くす事が最も美しい神業」だと思っていて、その事によって人生で起こる全ての出来事が神の恵みだと思う。
 それともう1つ、人は「思う」という力を持っていて、「思う」力で神をも生み出せる生き物だとも思っています。この内容は又改めて触れたいと思っています。
 “ブースター”とは、「苦労をしながらも正直に素直に命の炎を燃やし続けて生きると、神の恵みとも言うべき今世でのとてもとても大切な人に出逢う。或は出逢わされる」という様な事です。単なる例では有りますが、人間関係における徳川幕府の“親藩・譜代外様”の様なものだと思うのです。その“親藩”に出逢う。その人に出逢う、或は出逢わされる事によって、人生をより力強く生きてゆくエネルギーを貰う、或はそれ迄の人生が報われ心が癒され、平穏な自分を取り戻せる。こういう事が現れると思っています。
 “シンクロニシティー”“ミラクル”“ブースター”この3つが日々の人生にどれ位起こるのかをしっかりと観察し、自分の生き方を修正しながら命を任うする事こそが自力と他力の融合した真の“神業”であると思う。私は世間の“神”の認識とはかなり異なっています。しかし、私が命を賭けて、全人生を賭けて至った答えには違いありません。いずれ回を改め“ブースター”ってどんな人なんだろうかという実例を書いてみたいと思います(この項は又の機会へ続きます)。


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2007年12月23日

私の恩師「ウィルスさん」の事

 「思い出のお金持ち」で少し触れた、死期の予告について、もう少し書いてみようと思います。「オーストラリア抗原菌プラス」って聞いておわかりになりますか?
 私が19歳の時の医師から告げられた病気の原因だったのです。当時はまだそんなに国民病になっていなかったのでしょうね。実はこの病名、今はB型肝炎とかC型肝炎などウィルスに感染して発症する肝炎の事だったのです。
 40度の高熱に悩まされている私にこんな事を言われてもチンプンカンプン。インフルエンザのようなものではなく、即刻入院しなければならない重病という事だけがわかったのです。時は大学受験1ヶ月前。しかも1年の自宅浪人中の最後の追い込み。先生は「大学より命の方が大事でしょ。今すぐ入院しなさい。」とひと言。悩みました。私には浪人生活はとても苦しいものだったからです。入院してまた受験勉強をする自分を思い描いて、それでも入院する事は正直できませんでした。
 私は「大学受験後にもう一度入院させて下さい。」とお願いすると、先生は「いや、もう責任は持てないから、大学受験後は他の病院へ行って下さい。」と冷たいお返事。何とか大学受験を済ませ、入学した大学の診療所の紹介である大学病院へ入院、そしてえらい教授の週に1度のご回診の折り、体のある斑点が皮膚癌の疑いがあるという事で手術。その後お腹に針を差して肝臓の組織を採られて、結果は「長くて35歳までの命と思ってください。」何が何やらわからずじまいの大混乱。おまけに感染源の調査というのがまた細かいの、ネチこいの。家族には誰も保菌者はなく、輸血の経験もなし。唯一考えられるのが異性間の性交渉。これがまた未経験なのですが、当時の医学で、小学校の予防注射による医療感染という意識がなかったのか、当時の厚生省が隠ぺいしていたのか、私の感染経路は先生の所見では「性交渉もしくはそれに擬するもの。」とされました。今、薬害肝炎で政府の保証でもめていますが、本当の肝炎の実態で大きな問題は、予防接種という病気の予防という医療行為で、逆に国民病と呼ばれるほどに肝炎をまん延させてしまった厚生省の罪を言及する声がないのは不思議です。多分証拠認定がしずらいのでうやむやになっているのでしょう。本題に戻りましょう。
 とにかく理解した事は、「私はかなりの重病である。そして現代医療では治す方法がまだない。余命はあと長くて15年。」この3点でした。あれから30年、医療も進化しましたが、当時は正直ほぼお手上げに近い状態だったのです。
 病院のベットに寝たきりで、いろいろ考えました。退院してからも6ヶ月間自宅養生でまたまた考えました。考えた末に私が達した答えが1.「35歳で死ぬという人生設計をしよう」2.「ウィルスは病気ではなく私達と同じ生き物だ。」3.「自分が病人かどうかを決めるのは、医者ではなく自分なんだ。」
 まず、1.は今回のテーマではないので、2.3なのですが、よくよく考えてみると、いったい病気かどうかは誰が何を根拠に決めるのか?どうも命に別状があるという視点で病気だと一くくりにしているように思ったのです。私はまず、癌は変化であって病気ではないと考えています。次にウィルスによって不調が出るのは、ウィルスとの付き合い方が悪いだけで、決して悪い事ではない。もちろん病気などではない。「我ら動物皆兄弟。」ウィルスさんと理解し合えたら何も問題ないという結論に至ったのです。ただ、ウィルスさんとは言葉によるコミュニケーションの手段がないので、同じ生物同志としての愛の波動によるコミュニケーションをしようというか、それしか無いのです。そこでいつも「僕もあなたも同じ神様が命を授けた尊い命なんだから、仲良くしようね。」という思念と
「人生いろいろな事を気付かせてくれて、君はベストフレンド、いや恩師なんだ。有難う。」この2つの思念で自分の体を満たしたのです。
 その後の人生は言うに及ばず。私は西洋医学のらち外に生きる例外患者となってしまったのです。今年の始めには、「ウィルスさんがどんどん減少してきてますよ。今なら良いインターフェロンがあるので完治させられます。」と先生がおっしゃったので、「先生!私の親友であり恩師であるウィルスさんを殺すなどとはもっての他。居なくなったら寂しいから、2度とそんな事は言わないでください。」と断固拒否しました。それから全然お医者さんへ行っていないので、もしかしたらウィルスさんは居なくなってしまっているかもわからない。怖いお兄さんも、ウィルスさんもこちらが敵意を持たなければ、それは相手に波動で伝わって、決して暴れたりはしないと思うのです。薬を打ったり、対抗意識を送ったり、体がマイナスの意識波動に包まれると、何とも無いものまでこちらに害を与えたりするものだという事は、私はウィルスさんから命懸けで教えてもらいました。これは真実です。事実というのは頭で理解するものですが、真実というのは胆に落とす事なのです。全身全霊その色に染まった時、西洋医学では「奇跡」と呼ばれる「当たり前」な事が人々に起こる、この自分自身に与えられた神秘の力を十二分に頼る自力の人生を送る事が、この世に生を受けた私の使命であり、神様の期待するところでもあると常々私は思っています。


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2007年12月18日

チャップリンと等身大の喜怒哀楽

喜劇の王様チャップリンをご存知でしょうか?ご存知だとは思いますが、もし名前だけしか知らない方が居られましたら、是非彼の映画を観て下さい。画面から何か伝わってきます。彼の内面の持つ愛や怒りや喜び等々。「チャップリンはチャップリンであって、チャップリン以外の何物でもない。」私が19歳の時彼の言葉に出逢い、自分の生き方の基本に置きました。今日はその言葉を皆さんにお伝えします。それは、「夢と希望と明日食べるお金」というものです。喜劇王として大成功して、多くの財産を築ける地位にあるにもかかわらず、このような言葉を彼は残しているのです。その言葉のような生き方をしようとして30 年、今になってやっと気付けた事があります。夢や希望や愛を持ちながらも、等身大の自分をしっかりと維持し、背伸びをする事なく、卑下する事もなく、「私は私、それ以上でもそれ以下でもない。」とはっきりと答えられる人には、本物だけが持つ事ができる輝きや説得力、魅力というものが宿るのではないでしょうか。世界的にあれほど有名になろうと、うぬぼれる事なくしっかりと自分を持ち続けたからこそ、彼は素晴らしいものを残す事ができたのです。
 美空ひばりという歌手もそのような生き方を私達の前に見せてくれた人だと思う。彼女は歌の先生の教えのとおり、いつまでも同じ歌い方をきちんとし続けた人です。先日、モンタ&ブラザースが再結成したそうで、テレビで歌っていましたが、「ダンシングオールナイト」の節まわしをいじりまくっていました。カッコイイと思っているのでしょうね。アリスですら懐かしの歌を歌う時に節まわしを変えたりします。人というものは、それほどに等身大の自分を知り、等身大で生きる事は難しいのでしょうね。私自身も実はいつも“等身大の自分て?”と問い続ける人生なのです。
 経営者や政治家と言われる人々はとても立派な理想を語り未来を語りますが、どこかで薄っぺらな風を感じ心寂しい気分にさせられる事がままあります。等身大を見失いがちな立場の人々と言えるでしょう。
 「夢と希望と明日食べるお金があればそれでいい。」「明後日や1年後まで食べるお金がある必要はないけれど、今日食べるお金がないと、心が卑しくなる。ちょうど明日食べるお金さえあえば、私は私らしく生きてゆける。」チャップリンのこの言葉を久しぶりにある方にお話ししたら、「素敵な言葉。今日のブログはこの言葉を題材にして書いて下さいね。」と言われました。素直に嬉しかったので、素直に書く事にしました。何かのご参考になれば幸いです。


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「小さいけれど大きな幸せ」

とても個人的なお話をします。僕が小さかった頃、たまに父の車でお買い物に出掛けました。父は嫌々突き合わされているというのが態度でありありで、スーパーの駐車場に車を駐めて母が買物をしている間、父も僕も車の中で待っているのです。そう、お買い物には一緒に行けないのです。その理由は時間が長くなるのと、無駄使いが増えるから。これだけでも結構「え~!」って言う人もいるかもしれないけど、僕が何より悲しかった事は、待っている間退屈なので車のラジオを聴こうとすると「バッテリーがあがるからダメ!」と言って、ただじっと静かな車で黙って父と待っている。これが今でも思い出される。
 それから、当時巨人軍が王、長島とV9戦士。学校へ行ったら、いつもみんなプロ野球の話。僕も野球が好きだったからお家でプロ野球を観ている。そうすると父が帰ってきてテレビを消す。「高校野球は純粋だからいいけれど、プロは汚いからあかん」これが理由。悲しかったなぁ。
 それから、僕の家は五エ門風呂。いわゆる薪を燃やしてお湯を湧かす釜風呂の事。これは一気に湧かすので、追い炊きはできません。寒い冬は家族が一気に入らないとお湯が冷める。僕が仕事を終えて帰る頃には、冷たくなってとてもお風呂なんてものではない。これ30~40年前の話じゃないんですよ。今、今日もこの釜風呂なんです。冷え性の人間がゆっくりお風呂に入るという世間では当たり前の事が、僕には夢のような幸せなんです。なんでこんな釜風呂を今も使っているのか?父いわく、ガス代がもったいないから。信じられないねぇ。まったく。なかなか尊敬しろと言われても尊敬しずらいですねぇ。まだあったのを思い出した。お風呂にバスクリンを入れた時、嬉しかったのも束の間、お風呂が錆びるし、タオルが染まるからと、二度とバスクリンは入れさせてもらえなかったなぁ。
 それから、父は休みの日でも朝早くから起きて近くの畑で畑仕事をするのです。僕は休みの日くらい時間を気にせずに寝たいのに。父は休みも働いて野菜を作ったら、家が助かるから。だって。ゆっくりだらだらしてる僕を、いかにもだらしない奴という目で見つめるのです。
 母がせめてもの救いなら、僕も浮かばれるのですが、こっちは父が可愛く思えるくらいの完全なるファシスト。書くもの嫌になるので書きません。書けばまたキリがないですし。

 かくして、46歳の冬、私は小さいけれど大きな幸せが欲しくって、家出をしました。私も自分勝手な亭主なのです。
 しかし、しかしですよ、世間体や常識に縛られて、自分が体を壊したり、気が狂ったら、家族はもっと不幸になるでしょ。これは僕の限界の選択だったのです。会社が大きくなり、僕の判断の持つ意味が大きくなり、どうしても平常心が要求されるようになり、宿替えに及んだのです。
 今は小さいけれど大きな幸せ。バスクリンのお風呂にゆっくり浸かって、世に流行っているブログなどを書くご身分になりました。お母さん(妻の事)、苦労かけてすいません。僕は元気ですから心配しないでね。

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「ハーブ・イズ・プランツ」

今日は久し振りに映画を見に行った。土曜日はオールナイトなので何とか観られるという訳です。今日観た映画はウィル・スミス主演の『アイアム・レジェンド』という題です。宣伝でご存知の方も多いと思いますが、ニューヨークが廃虚になって草が生え、野生の鹿が走る場面は驚きでした。もうこの映像を観ただけで、私としては十分満足だったのですが、映画のBGMがレゲエの王者ボブ・マリーの曲だったのです。実は映画を観る前に“レジェンド”という単語が私には結構意味深な単語でした。それは…私がサラリーマンの時は、仕事等で使用する車は全部会社が与えてくれていたのですが、独立を機に自分の車を買わなければならず、自家用兼営業車として購入したのが、初めてホンダが大型セダンとして世に贈り出した『レジェンド』の2400ccだったのです。私の経営者としてのスタートした時の相棒です。もう1つ連想したが、ボブ・マーリーのアルバム『レジェンド』だったのです。まさか、このアルバムの『レジェンド』と映画がシンクロしているとは思ってもみませんでした。
 随分前、京都木屋町においてレゲエの居酒屋『ラスタ』という居酒屋をオープンし、ボブ・マ-リ-の旗をライトアップして、床には『ワン・ラブ』というタイルのモザイクを施した店を自分達の手で作った事がありました。とにかくお金がないので、内装等を自分達でひたすら作る。疲れたらその床にダンボールを敷いて崩れるように寝る。そして目覚めたらまた作業。総工日数40日。総工費200万円。どん底でいつも聞いていたボブ・マ-リ-。例えは良くないけど、王将のぎょうざのように毎日同じ曲を聞いても、全く飽きる事がないのがボブの歌。何故かという理由が後になってわかりました。ボブは本当に本当にピュアな心で愛と平和を願って歌っていたから、その曲に魂が乗って人々の心に響くからなのです。ボブは、社会や他人を見る事なく、ただ神様(ラスタファリズムではジャーであったりもする)だけを見て生きていたから。当時ラスタファリズムという宗教はハーブ(マリファナ)を吸う事が認められ、それを吸ってレゲエを歌う、そのダーティなイメージの中心にボブが居たのです。
 あるアメリカのテレビで、レポーターが「あなたはマリファナを吸ってレゲエを広めて、罪の意識はないのですか?」とボブに質問を投げかけていました。最初、ボブは無視をします。レポーターは何度もしつこくボブに同じ質問をします。マリファナを公然と吸う悪い奴というレッテルを心に貼付けて…。さすがにその敵意の波動としつこさにボブも怒りをあらわにして、一言「ハーブ・イズ・プランツ」とだけ応えたのです。
 …私にはすごい衝撃でした。たった一言だが、全てを言い尽くすこの力の強さに圧倒されたのです。「ハーブ・イズ・プランツ、ハーブ・イズ・プランツ、ハーブ・イズ・プランツ…」何度も何度も何度も心の中でくり返しました。「ハーブは神様が地上に生み出した植物なんだ。タバコと同じじゃないか。タバコは良くてハーブは悪いと決めたのは、人間であって神様じゃない。もし必要ないものなら、ハーブは地上に生まれたりしない。人がどう言おうと、私は神の恵みに感謝する」そう彼は言いたかったのです。
 法律や他人の顔色を見て生きるんじゃないんだ。神様だけが私達が見るべきものなんだよ。だから神様に誓ってはずかしくない生き方をする事、それが大事なんだ。そりゃ少しは道徳や法律に触れる事はあるかもしれないけれど、私達も自然も全て生み出したのは神様なんだから。
 彼は心から愛と平和を願い続け、歌い続け死んでいった。売れたいとか、カッコイイとか、そんな世の中に媚びた歌を歌っていないから、彼は『レジェンド (伝説)』になったんだ。「ハーブは植物なんだ。」、そうだ。私は神の子なんだ。神様の前で、しっかり目を見て、堂々と自分の生き様を誇れる事。ボブがそうであったように私もそうであろうと決めた。そんな昔を思い出させてくれた『アイアム・レジェンド』は、私にとっては貴重な1本の映画となりました。丁度、人生の大きなターニングポイントに立っている今日、原点を思い出し、また新たな『レジェンド』の始まりとなりました。


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2007年12月17日

息子の実印

私が成人した時、父から贈られた物が“実印”でした。20歳で成人したというものの、実印を使う事や、ましてその実印の持つ意味等というものを理解できるはずもありませんでした。28歳で最初の一戸建てを買った時に実印を押しました。不動産の仲介業の会社員をしていたので、不動産の売買契約の立ち合いで、契約書に実印を押す事は慣れていましたが、自分が買う時に押した実印の“重さ”と“実感”は、また格別なものがありました。その後もいくつかの不動産を買う機会もあり、また独立して経営者にもなり、実印を押す機会が多くなりました。年齢を重ね、実印を押す度に人生の場面がいくつも思い出され、私の人生の貴いパートナーとして一個の人格に似たものを感じます。いつも実印を押す前に「ありがとう」そして「とても幸福な実印だね」と心で話しかけます。そして、父から子へ、息子への父の思いを考えさせられます。
 私の長女は今年22歳、次女は17歳。2人には今年オランダ水牛の実印を渡しました。私の父が私に贈ってくれたものと同じ印材です。女の子の実印は名字が変わる事が多いので、名前だけを彫るのが一般的です。父から娘へ。私の時と同じように、娘はやっぱりあまり実感がなかったようです。
 そして、今日、長男の実印が出来上がりました。まだ12歳。成人まではかなりあるのですが、私に万一の時に後悔しなくて良いように、用意をしたのです。やれやれこれでまたひとつ、死ぬ準備ができました。息子の実印を眺めながら、私が今胸に去来する思いを30年前に父は私の実印を見て思った事でしょう。
 父から子へ、そして孫へ。私は引き継いでゆきたいと思っています。
 世界ではサインで済むのが一般的だとか、“欧米では”とか、ちょっと知識人になるとそういう事をいう輩がおりますが、領土と軍備と経済力と国民がいれば、国としては認められますが、その国家のアイデンティティー(自尊の心)は、他の民族や国民と異なった文化によってのみ自覚ができるのです。日本の山々が杉の木だけになって、自然豊かな山と呼べないように、多くの文化や風習、言語が存在する事が豊かな世界である事を自覚してほしい。他人と違う自分、実印を大切に思う日本、何と尊い事でしょう。
 (昭和初期の戦争等の)死の直前、多くの日本兵は「お母さん」あるいは「天皇陛下万歳」と言って死んでいったそうです。他にも“妻や子供”もあったでしょうが、兵士はほとんど独身に限られました。(家族を持つと敵兵を殺せなくなるので)ですから、「お父さん」の出番はないのです。仮にあっても「お父さん、お母さん」とセットになっています。父親とはそういう生き物なのです。せめても実印を押す時に、父を思い出して欲しい、そんな思いも込められているのです。
 息子には象牙の実印を用意しました。親バカというのでしょうね。


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2007年12月16日

悲しきスケベ親父に贈る

立派なお立場の先生と呼ばれる人達が、女子高生のパンツを覗いたり、エッチな行為をして、よく新聞雑誌を賑わしているのをもう皆さんはご存知ですよね。男性諸君は若干の理解を示しながらも、理性的に批判します。女性に至ってはスケベ親父は蔑視する対象であったりするのです。私は少女趣味はありませんのでそういう行為には及びませんが、俗に言う「いい女」に出逢えば、何とかくどいてみようと努力はします。男は浮気性と言われる由縁です。でも、男性にだけは分かるのです。理性とは別として、決まった女性以外にも、もっとはっきり言えば嫁さん以外の女性にも性的魅力を感じる気持ちがある事を。そして、それはとても自然な感情であり、妻に不満があるとか、多くの女性を獲得したいというような資本主義者に似たような脂っこい感情ではないことを。
 実は、とても当たり前で自然な事である愛すべき親父であるという事を伝えたいのがこのコラムの思いです。では、ここで質問です。「人間とチンパンジー、それぞれの雌で発情期のないのはどちらでしょうか?」「人間の雌です。」「はい正解です。」では「発情期がないという、つまりいつでも雌が発情できる動物は、どのような進化をするでしょうか?」「発情しっ放しの雌に合わせて雄も発情期を失わない、常に発情をするようにならなければならないのです。」「はい正解です。」では最後の質問です。「あなたは女性がスケベだから男性がスケベに進化したのか、それとも、単に人間の男性だけがスケベな生き物なのか、どちらだと思いますか?」…皆様はそれぞれお考え頂くとして、私の見解をここに述べようと思います。実は人間が二足歩行をするようになって、骨盤の間が極端に狭くなって、人間は子供をどうしても未熟児の間に出産しなければならなくなったのです。ヌーやカモシカのように、四つ足動物は出産後すぐに立てるような大きな子を産めますが、人間はそうはいきません。
 少なくとも2~3年、最近では2~30年も母親が手をかけて育てるような必要に迫られます。そうなると、全く外へ食料を採りに女性が行けなくなります。男性の獲物に頼るより他に生きる術がなくなるのです。しかし命がけ、まさに命がけで手に入れた獲物を今のように法律もない時代に、女性に獲物を届ける必要はないのです。そうなると、私達ホモ・サピエンスの種自体が滅ぶのです。そこで人間の女性は、男性の獲物を手に入れる換わりに、代償として「性」を用意したのです。発情期を無くする事によって、男性に食物の対価として自らの「性」を支払う事で種を保存しようと考えたのです。男性が自ら入手した獲物を腹一杯にするよりもっと喜ぶものを与えるために。今でも男性が気に入った女性を誘う時、一緒にご飯を食べようとするのはDNAの名残りなのです。原始の時代なら、ご飯を男性におごってもらった女性は、対価としての「性」を男性に与えるルールだったのです。なかなか守られませんが…。
 ところが、現代に目を向けると、女性が自立していたり、食物が女性でも入手し易かったりで、子供だけ生んで、自分1人で育てる女性も多くなりました。また、主婦も、夫婦2人の時に相手だけを見つめ合って愛しあっていればよかったのに、子供を生んで、母になった途端、その意識のほとんどを子供に向け、亭主はほとんど目に入りません。常に発情する人類の亭主は「いいお父さん」程、浮気する勇気もなく、性を買う経済力もなく、安いエロ本やPCのサイトを見て自らの衝動を抑えるという涙ぐましい努力をするのです。時には、つい出来心で、大人の女性のように抵抗しない少女にいたずら心を持ってしまったりするのです。なんと愛すべき、けなげなスケベ親父なのでしょう。世間ではそれを声高に「スケベ!スケベ!」と言って批難するのです。私も猿がうらめしいときがあります。「あー、人間にも発情期があったら、どれほど楽なんだろうな。」とか「男はスケベだけど、それは女に合わせるが為のスケベであって、スケベなのは女の方と違うのか?」なんて独り言を言ったりもします。
 チャンスも見方によるとピンチの始まりであったり、ピンチはチャンスの大きな入口であったり、物事には見方というもので評価が全く違って見えるものです。しっかりとした視点を持てば、世の中の出来事の見え方が全く逆になる事も多いのです。
 スケベ親父を批判する前に、どうかとっとと子供を突き放して、夫に優しくしてあげてください。もっともっと平和な世の中になるのですから。「え?」「子供が可愛いくて仕方がない。」「う~ん、それは分かりますが、あまりにもエゴじゃないですかねェー。」


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2007年12月13日

「私のライバルはわが子」

 前回の夫婦和合の法なるものを伝授しましたね。ついでに今回も脇道へそれて悪ノリしちゃいます。
 目出たく結婚をし、夫婦となると、これは世の中の定めというか常というか、心身ともに和合し始めますよね。そして、和合が頂点に達した時、ご懐妊という事に相なります。無論私もその選にもれず、夫から、父へと新しい役目が増えました。無事長女を授かって、育児をしてゆく過程で、私は大きな気付きを得る事となったのです。
 忘れもしない衝撃的な気付きだったから。私は1歳に満たない長女を抱いて、錦鯉の飼育池のほとりに腰をかけて鯉を眺めていた時の事です。長女が天を指差し、「ヘップクローター、ヘップクローター!」と大声を出すのです。私には何が起きたのか理解できずに、長女の指差す方へ目をやると、なんとそこには「ヘリコプタ-」が一機飛んでいるではありませんか。
 長女はヘリコプターを一早く見つけ誇らしく私に教えていたのです。正直、1歳にならない愛娘ではありましたが、内心末恐ろしいような感覚に囚われました。親バカで、愛娘の自慢をしたいという、そんな安穏としたものではなく、「この子の1年の成長の間、同じ1年を私はこの子の父として、恥しくない1年を自分は過ごしただろうか?」と自問した時、私の心の中で「否」と叫ぶ声がしたのです。もし、娘に対し、親として叱らなければならなくなった時、私は単に娘より年長であるという貯金だけで娘を叱る事になる。それは私の美学に反する…。人を叱るという事には年長であるとか、肩書きがあるとか、そのような権威であってはならない。それは必ず相手に欺瞞の匂いを与えてしまう。そこから尊敬や畏敬の念は崩れてゆく。私は私の愛するわが子には真の愛で向かい合いたい。その為には、同じ1日、同じ1年、自分がわが子よりも努力と成長を成し遂げたと自負できる間は子供達を叱り続けられる。それは社員の皆にも向き合う姿背と何ひとつ変わるものではない。ライバルは、他社でも、自分でも誰でもない。「わが子」が私のライバルなのです。子供の成長を喜ぶ一方で、何と手強い奴らなんだと一方で思う。社員もそう。最初の頃はチョロイ奴らやなぁ、なんて思っていると、最近は彼らも相当手強い。それが嬉しくもあり厳しくもある。
 そんな中で私が見つけた必勝法を最後に伝授して、今日はパーカーを置こうと思う(ブログの下敷き文は勿論万年筆で書いています→ 「万年筆とボールペン」参照)。
 それは進化論における突然変異説を用いる。自分を心身ともに追いつめ追いつめ、自分の遺伝子レベルで生命の危機を感じさせる。そうすると自然に体に備わった眠れるDNAが目覚め、何としてもこの苦境の中でこの生命を生き残らせようと変異を起し始める。私はこの生き方を“狂気の時代”と名付けている。世間では「何もそこまで子供を叱ったり、社員に向き合ったりしなくても」とか「所詮…」とか言って、そこそこのところで留めておくようだ。これを大人と言うのだとうが、私の“業”は私にそれを決して許さない。「愛する者達に私は嘘をつきたくない(ちょっと例外で奥さんは………かも)。」

 ま、とにかくこれをやってみるとわかる。経験からすると、だいたい変異期間は6ヶ月。それでだいたい眠っていたひとつのDNAスイッチがONになる。後は死ぬまでやり続けると、一体いくつのスイッチがONになって、一体どんな自分が出来てゆくのだろうか?滅茶苦茶楽しみ!誰よりも誰よりも自分自身が滅茶苦茶楽しみ!


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2007年12月10日

「イワタ式夫婦和合の方」

 TOKI-WA-SOHとは何の関係もないようなブログと今回はなるかも知れませんが、それもまた一興という事で。
 最近身近な後輩が2人結婚をしました。どちらの披露宴でも挨拶を頼まれ、話そうかと考えながら、話さなかった夫婦円満の法というものをここに書いてみたいと思いました。名付けて“イワタ式夫婦和合の法”。たいそうなタイトルですが、そんなに難しいものではないので、どうかお付き合い下さい。

イワタ式夫婦和合の法
 1.できちゃった結婚はNo!
 2.仕事も家庭も一生懸命に!
 3.お互いお腹に溜めないでグチる!

 では、その説明をしていきたいと思います。

1.できちゃった結婚をしない
 結婚とは初めの一歩はあくまでも夫婦が基本。つまり主役は夫と妻である。従って主役を中心に人生劇場がプロデュースされてゆく。これが基本の姿。ビジネスでも主役の設定はまず第一に決めなければならない事。
 お客様を主役にすると、その主役を引き立たせるようにキャスティングされてゆく。もし会社の儲けを主役にすると、そのようなキャスティングになる。
 同じビジネスでも、主役の設定次第で全く別物のビジネスになる。同業種であってに、はやる店と衰退する店があるのはこの為である。
 できちゃった結婚をすると、当初から主役が宿った子供に組み立てられる。このキャスティングは夫婦もその2人をとりまく家族にもあまり喜ばしくないストーリーにどうしてもなってしまう。これは主役の設定に間違いとまでは言わないにしても、どうしても無理が生じてしまうからなのである。人生もビジネスも、その成否のほとんどはこの主役の設定にあると考えています。

2.仕事も家庭も一生懸命につくす
 今、一生(一所)懸命と書きましたが、この一生懸命の定義が大切です。
 よく世間では、「私はこんなに一生懸命にやっているのに、上司は分かってくれない」あるいは、「私はこんなに一生懸命につくしているのに、あなたはちっとも分かっちゃいない」という言葉を聞きます。しかし、この一生賢懸命は曲者です。ここで言う一生懸命というのはあくまで自分の見える世界の中で自分の考えつく一生懸命をそれこそ一生懸命にやっている状態なのです。
 ここで少し考えてみて下さい。スタッフが力の限り一生懸命にやっているお店。でも、そこに来店したお客様はどうもリピートしない。もうひとつの店は、スタッフは肩の力をぬいて適当にやっているのだけれど、結構またお客様が来店する。さぁ、どちらの店が良い店なのでしょうね。1と同じで、主役は誰なのかという事が重要な要素になってきます。「自分として」一生懸命という時の一生懸命と、「お客様にとって」一生懸命という時の一生懸命を、同じように一生懸命という言葉で表現している事がとても多いという事なのです。主役はあなたではなく、必ずその相手側の人、そう相手の気持ちが主役なのです。相手の方がどのように受け取ったか、それが全て。自分がどうであったかは一切関係なし。「夫婦における一生懸命とは一体?」しっかりと考えて行動すれば、幸せになれる事ま・ち・が・い・な・い!

3.夫も妻もお腹にグッと溜めないで、しっかりグチる。
 武士道は「男はただ黙って」あるいは、男の世界は女にはそもそも分からない、だとか家庭に仕事の話を持ち込まない、という事が言われています。私は、いろんな事を妻にグチる。とにかくグチを聞いてもらう。情けない自分をさらけ出す。何もかも見せる。自分の本当に癒される場所というものは、全てをさらけ出せる妻であって、どこかの特定の場所ではない。もちろん、そんな自然体な癒の場が何ケ所もある事は、別段それを否定するものではありませんが。とにかく、夫婦や社員同志がそのように振る舞えるという集団は強いと思います。夫婦だからこそ、全てをさらけ出しグチる。弱くて弱くて情けない自分を受け止めてもらう。これにつきるように思います。そして自分をさらけ出せる人は、病気にならない、あるいはなりにくいという副作用があるのです。家族の誰が病気でも家庭は暗くなります。ましてや配偶者が病気になる事は大変辛い事です。自然体でストレスを内に溜めず、等身大で生きてゆく事は全ての幸せの基本となるのです。いい加減な人生こそ良い加減なのです。


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2007年12月05日

万年筆とボールペン

今日、京都駅の伊勢丹へ行きました。久しぶりに文具コーナーです。私が普段使っている万年筆のインクがなくなってきたので買いに行ったのです。筆記具売り場へ行くと意味もなく嬉しくなるのです。モンブラン、パーカー、ペリカン、ポルシェデザイン等々。もう、かっこいいこと。どの筆記具にもしっかりとしたアイデンティティ-があるのです。うっとりとした目で眺めているだけ。

 元来、明治に法律によって決められた正式な筆記具は万年筆なのです。現在はほとんどボールペンを用いていますが、これは後々に通達によって認められたもので、正式には万年筆なのです。ところが先日銀行へ出向いて署名をする際、万年筆で署名したら、ボールペンでの書き直しを強要されたのです。私は正論を言ったのですが、複写である事を理由に断固拒否されたのです。まぁ、時代というもので、それは仕方ないか?


 またまた先日、若手政治家の皆様のお勉強会に臨席する機会がありました。1人1人の筆記具を見てみると、かなりお粗末なものでした。私は、リーダーたる者、自分の名前や思想に誇りを持たなければなりませんし、それらのものを文字という形にするのに、自分の器に値する筆記具を用いるべきであると考えています。筆記具は、いわば武士の刀のように、リーダーたる者の魂だと考えているからです。他人の評価は別として、私は若い頃から、断固上質な筆記具しか使っていません。
 高校に合格してお祝に自分で自分に買ったのがエンジ色のモンブランの万年筆。そのあと、中国製の英雄という万年筆に。値段は安いですが、パーカーの指導で中国が作ったもので、値段に比べるとかなり上質なものと言えます。
 その後パーカーのシルバースターリングにどっぷりはまって、今5本目になりました。最近いただき物の高級品でペリカンも使っています。このブログの元原稿はペリカン文書です。

 私的にはドイツ製万年筆はペン先が固いように思います。握った太さ、ペン先の固さはパーカーが最高です。しかも、万年筆で書けば、その書く悦びはよくわかるはずです。皆さんはほとんど万年筆を使っていないから分からないだけだと思います。

 自分という等身大の「私」の今の姿が、あなたの使っている筆記具だと私は勝手に断言をして、今日の筆を置こうと思います。


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2007年12月03日

粋(イキ)と粋(スイ)を考える

まず「粋」の字を見て何と読みますか?「イキ」です。はい、大正解。「スイ」です。間違いました。…いやいや。ちょっと待って下さい。これを「スイ」と読めるあなた。あなたはかなり「スイなお人」です。ひと昔前なら花街で大もてのお大臣様になれますよ。
 試しに京都へ来られて、少し年配の地方の姐さんにさりげなく、かんざしや着物の柄を見て、「それスイなもんですね。」なんてほめたもんなら、ばっちり百点満点のお客さんになれること、ま・ち・が・い・ない。

 「粋」は日本人が長い年月の中で磨き上げ、生み出した極めてすぐれた美意識と言えます。諸外国は長い歴史の中で興亡をくり返し、1000年以上にわたってひとつの文化を時間をかけて育む事はできませんでした。ところが、私達日本だけは例外中の例外として、万世一系の同一国家同一民族として、類まれなる洗練された文化を創り上げるに至ったのです。
 「侘」「寂」を解する境地、中間色の色相が豊かな境地に至るには、相当の時代をかけて練り続けられなければ到達する事は不可能なのです。この境地こそ私は人類史上の世界遺産であると確信しています。
 世界は今、鮮やか、大きい、洋風が主流ですが、徐々に世界も平和が続き人々の文化水準が向上し、日本を解する層が広がりを見せています。京都への観光人口の増加は今後も続くものと考えられます。ところが、入れ物としての神社仏閣は世界遺産に指定されていますが、その精神文化は私達がしっかりと受け継ぎ守り伝える意志を持たない限り、本当にただの過去の遺産と化してしまうのは必定です。しかもその兆候が今現われ始めているのです。敗戦というたった一度の侵略によって。今こそ、その精神文化の伝承にこそ決意しなければならない時代はないのです。

 「粋(イキ)」は江戸時代の町人文化から生まれ、遊びの美学として発達しましたが、明治以降も生き続けてきました。江戸の「粋」は、野暮な俗世があり、その対比として「粋」を形づくっていったものです。野暮があるから粋がある。野暮な人間の中から洗練されて粋になってゆく。そんな身近な美意識が江戸の「粋」と言えるのではないでしょうか。

 一方、「粋(スイ)」は平安時代の貴族文化から生まれ、江戸時代あたりになると、固定的な上層町衆やその時代の人の美意識が、町人文化に影響を与えていったものが今日まで生き続けてきたものと言えます。
 江戸の「粋」は俗世界に生きている者が、その俗にまみれずに、自分だけはどこか離れた距離感を有してサラッと生きている感覚ですが、京都の「粋」は、もともと貴族趣味ですから、俗からは超然としていて、遊びひとつひとつとっても、それを理解し、楽しめる境地までたどり着くには、時間と労力と経済力が要求されます。従って、一般の町人には極めることは難しく、俗人の評価によるものではありません。江戸の「粋」とは異なり、そもそも俗には生きていない人々の文化なのです。

 このように「粋(スイ)」を極めるには、精神的に俗から離れるだけではなく、時間をかけてお勉強をしなければならないのです。従って、これが高じると、一人庵をむすんで禅的志向の世界に没入するという事が現われます。これは、江戸との明確な違いです。ここに一休禅師や西行法師のように、乞食のような人々も文化人として尊敬される独特な価値感が生まれたのです。
 あるいは、その逆としての、「婆沙羅」のように「粋」をも超えた独自の境地を創り上げるのも「粋(スイ)」の特徴と言えます。
 このような、慎ましい美意識が、消費文明の現代社会を共生文明へと向かわせる進歩的価値感として、唯一のものと自負しております。金銭の多寡や持ち物で優劣を争わない精神性を有しているのは、おそらく世界でも原始的なインディオや原住民を除いて、文明国と呼ばれる国の中では、日本が唯一であると考えています。

 まさに「粋」は古き良きモノではなく、新しい時代のポストモダンな価値感となり得るでしょう。その息吹きを京都から発信し、多くの人々が「粋」について考え「粋」に生きる事を目指し、それが人々から賞讃されるように、再度、私達の時代へ世界を転換させたいと目論んでいるのです。


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