2009年04月01日

「感動」の安売りが始まった

 イオングループとイトーヨーカドーグループがバーゲンでなく長期的な商品の大幅な価格の見直しを発表した。
原料安と円高の差益を価格に反映するらしい。世は安売りの時代に突入したようだ。

 そんな時代にモノの安売りは消費者にとってはありがたいけれども、実は私はあるコトの安売りをとても危惧している。それは「感動」の安売りです。

開高健は、おいしいという事を、おいしいという言葉や同義語を用いるのではなく、百万語を要しても、その感覚を文字で表現するのが作家であると言っていた。ところが昨今の本は、誰でも(私も書いているくらいだから・・・)書ける時代になり、それは多様な価値感が世に出るという反面、内容の薄いアマチュアな本も出るという弊害も起こっている。

 そんな中でよく見受ける文言が先の「感動」という文言です。
ひどい本になると、ほぼ1ページに一回のような感じで「私には○○に感動した。」が連発されている。

「果たして人はそんなに日常感動するのだろうか?」

感動とは、私は何か大きな驚きや気づきに出逢って、心が震え、それ以降行動や考え方が変わる(感じた後に動きがあるのだから)ことだと思っている。心が揺さぶられるレベルは、感激とか感服とか感心という言葉が適切なのではないでしょうか。

 同じ線上で友達の安売りも起きている。「○○さんはトモダチです。」とすぐに言う。

「じゃあ、その人はどんな人?」と聞けば、「会ったことない。」「え!」
会ったことなくてもトモダチになるのです。
「だって、チャットのトモダチなんだもん。」「え!」
それって知っている人レベル、つまり知人かそれ以下でしょ。

友達というのは、相手の内面の多様性を知った上で、お互い信頼(信用ではないことに注意)関係を築いた仲のことで、一生でも数人も居りゃ大したもんだのレベルでしょ。と、私は思う。

 中国などはもっとすごいですよ。
外省人(ワイレン)と内省人(ツーチーレン)と呼び、血縁の家族以外はほぼ外省人と思って良い。だから外省人は平気でだます。他人だからだまされる方が悪いという考え。

だから日本人が食べるギョーザに毒を入れてもさほど悪いと思ってないし、中国当局も外省人でも特に嫌いな日本人がどうなろうと知ったこっちゃないのです。

だから捜査も熱心にやらない。北朝鮮の政治もそういう見方をすればだいたいわかる。だから中国に進出した日本企業はかなり中国に痛めつけられている。

「え!主観が入りすぎですって?」じゃあ、先ほど血縁とわざわざ書きました。
気づいて下さい。嫁は外省人扱いなんですよ。中国には纏足(てんそく)という制度があったのをご存じですか?これは、少女が幼いうちに足に布を固く巻きつけて、足の発育を止める習慣です。こうしておくと歩けなくなり、子供産むだけの機械になるのです。

この纏足にはもうひとつ目的があって、嫁はあくまで血縁の無い外省人なのです。これは死ぬまでそのように扱われるのです。ところが家の内情や夫の性格をよく知っています。
そこで逃げて外に家の内部事情が漏れないための防衛手段でもあるのです。
これは昔の朝鮮も同じようなもので、嫁は子供を産む道具で、家畜のような扱いを受けていたのです。それであまりの虐待のひどさに耐えかねて、進駐して来た日本軍に慰安婦でも良いからこの境遇から助け出してくれと頼んで、志願して慰安婦になったのです。

モンゴルもそうです。
騎馬民族の結婚は略奪婚という形式で、他人の妻を奪って自分の嫁にするのです。ジンギス汗の最初の妻も一度は略奪されたのを取り戻しているのです。ですから第一子はジュチという名で、これは「疑わしき子」という意味です。

 日本人のように、血縁でない他人を信頼できる社会は世界では特殊なのです。知らない人はアジア人とひとくくりに言ったりしますが、日本及び日本民族はそれだけで一文化圏という考え方がヨーロッパの目では大勢な見方となっているのです。

 いったいこの素晴しき国「日本」はどこへ漂流しようとしているのだろうか?

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