2009年03月13日

専門都市化構想

 NHKの番組で、「沸騰都市」という番組がある。ドバイ、シンガポール、ダッカ、ロンドン、サンパウロなどなど、今、世界中で大きく揺れ動いている都市の特集です。

 もちろん東京もそのひとつです。東京という街は、その狭いエリア、特に丸の内、次に渋谷、そのエリアに日本の大企業が集積している。大企業相手に大きな事業をするなら、そのエリアにオフィスを構えると、実に効率が良いらしい。

ただ、土地が狭いので、上へ上へと伸びてゆかねばなりません。丸の内の大地主三菱地所は、ここ40年の間に全てオフィスビルを改装、あるいは建て替え、より多くの入居者を可能にする計画らしい。

 一方、虎ノ門の古い住宅街を森ビルが買収し高層ビルを建てるそうだ。古き良き街並みは大都会東京には残ることは許されない。

 そして、空中へ伸びたスペースも、飽和してきた次には地下へ伸びて行くらしい。まさに世界でもまれな高度集積地となる。経済と政治を任う東京は、東京という役目として、どんどん高度化していけばよいと思う。それが都市の個性となるのだから。

効率だけを極端に追求することは、効率を重視する人々とシンクロしてゆくだろう。一方で人間性や感性の部分は失われてゆく。だから5日間目一杯に動いて2日間ゴージャスに遊ぶ。いわゆるハレ(特別)とケ(日常)がはっきりとしている街になっていく。人は2日間を使って人間性を回帰するのだろう。

 関西にはない特徴として、有名店にできる行列がある。あれは私達の感性には無い。なぜなんだろう。たぶんハレとケを強く分けないからか、有名であるとか肩書きがあるということをそれほど重要視しないからなのか、自分へのこだわりが強いのか、いずれにしても並ばない。

 京都は、昔は政治の中心も任っていたけれども、明治以降は文化と伝統に特化することとなった。最近東京とは逆に、市内の建築物に高さ制限条例を制定した。これは長い目で見て正しい決断だと思う。日本は東京らしさという面と京都らしさという面があって初めて一枚のコインになる。

 京都は今では、日常の中や街並みの中に少しづつハレが散らばっている街になった。懐かしい街並みや静けさなど、形にないぜいたくがあちこちにある。オシャレな喫茶店の数が、街の広さに対してとても多い。そんなお店の椅子に腰をかけてしばしの豊かな時間を過ごす。

これは日常の中にあるハレの時間と言えるでしょう。私の事務所も大正時代の建物で、庭を見ながら商談・接客をする。仕事という日常に坪庭というハレが秘んでいる。

 京都という街で仕事をしても、実に儲からない。私の商いのセンスが悪いのかもしれないけれど、多くは東京でビジネスをするよりは儲からない。だから持ち金が少ない。

でもその少ない持ち金でも実に実に豊かな日常が過ごせる。事務所から車で15分の所に書斎もあり、そこも庭を見ながら考え事ができる。工夫ができる数奇者な人には実に楽しく豊かな街なのです。東京からもそんな京都に触れに多くの人々がやって来る。そして人間性を回復して帰って行く。感性がシンクロする街、京都と呼べるかもしれない。
都市同志が役割分担をしている。

 人間も都市も、これからは個性化の時代となるのだろう。「何でもあるは何にもない。」と言うように、総合スーパーの時代は去り、専門店の時代がやって来た。

 都市も街起こしレベルで行政が考えるのではなく、都市の個性を含めたリストラまでを視野に入れゆかないと、根本的な解決にはならないだろう。

 これからは、点の改革ではなく、面の総合改革を一つのコンセプトに沿って進めてゆく時代がやってきた。

知事のリーダーシップで勝ち組みと負け組みが生まれる時代になってきた。できれば、優秀なデザイナーや企業家が行政のトップになって引っ張っていった方がその街のためにはなると思っているのは私だけなのだろうか。


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