2009年03月09日
うま口な人生
毎日、毎日本を読み、哲学し、内観し、50歳にもなりちょっとは落ち着いた大人になれたんじゃないかなあ。
特にコラムを書いている今のような静かな時間にはそう思える。
そして、成長した自分を楽しみにして一歩現実世界に出かけて行くと、品のかけらも増えていないし、一呼吸置かずにブチッと切れる。いったいあの観念は何だったんだろうか。
あんな観念が湧き上がってくるから、より落胆は厳しいものとなる。
そんな自己謙悪の中で、昔の開高健のビデオを観た。
以下は彼の台詞の要訳です。
「日本酒には、辛口か甘口か、どちらかで分けられる。しかし、灘のいわゆる酒の玄人と呼ばれる人は、秘かにうま口の酒こそ最上であると言う。
若い酒は腰はあるが青臭さが残る。古い酒は芳醇で香りが高いが腰がない。ブレンダーはこの両方をほどよく混ぜて味わい深いブレンドウィスキーを創る。
このうま口の酒の味がわかる男になるにはどうするか。30代からのべつまくなし二日酔いに明け暮れる。そうして50代くらいになってようやく自分の舌でうま口の味がわかるようになる。
このうま口のわかる男になるには修行がいるということだ。
人生も同じだ。とにかく30代は前後の見さかいもなく、思ったこと、感じたとうりに無茶苦茶走れ。
走って走って走って、50代くらいになって、やっと人生の妙味というものがわかるようになる。
30代を振り返ったらよくもそんなとんでもないことをしていたと自分ながらあきれる。その年にならなければ、森や川や海の大自然の奥深さなどは理解できない。
ここからが人生の一番ん美味しい季節になる。」
引っ込み思案や腰ぬけは、辛口だの甘口だのどこかの評論家の受け売りで酒のうんちくを語る。ワインのうんちくを語る。
うま口だけは自分の味覚だけで探さなければならない。人それぞれにこれぞうま口と言えるものは異なるのだから。ただ、うま口を熱く語れるという事一点において同志なのだ。
50代を迎えて、また30代の青臭さのぬけない自分が情けない。恵美須顔の友人に愚痴をこぼしたら、彼の返答は以外なものだった。
「俺はその年で切れて突っぱれるあんたが羨ましい。俺なんか、ずっと、寸止めのようなあと一歩のところで止めてしまう。行き切ったことがない。」と言う。
「人は何かを失えば、必ず見えない裏で何かを得ていってる。逆に何かを得れば、何かを失っている。ただ気づいていないことが多いだけだ。だから何かを得ようと思えば、必ず何かを捨てなければならない。」これも開高健は言っている。西田哲学でもある。
私ももう一段上があると思っている。天がその者に白羽の矢を立てて何か天命を与えようと決めた時は、とてもその人間にとって重要な「何か」を強引に捨てさせようとする。
明らかに物理的な力と感じられるようなもので。
これはかなり厳しい。最初は意味が全く理解できない。
そしてしばらくするとその目論見らしいものに気づき始め、逃れようと悪あがきをする。そしてとうとうあきらめて従うこととなる。
ただ、冷静になって立ち止まると、失うものばかりに気を取られているが、得ているものに気づき始める。それはまんざら悪いものでもないことに気づく。
私はまだ50代で甘口だの辛口だのと言っている。まさに30代真っ最中。
自分の成長をなげくより、平均寿命が伸びていることに希望を持とう。
50代から70代までは無茶苦茶突走ろう。
70歳くらいになったら、ちょっとはうま口な男になれているかもしれないと希望を持って。
人生は生きてみなけりゃわからない。人生は、最後の最後まで何があるかわからない。
だからあきらめないで最後まで気をぬかずに生き切らなければならない。
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