2009年02月03日

下山家

 私の知人のT・Tさん(通称ナルちゃん)が私の著書をブログで紹介して下さったことを知りました。「ありがとう」

感想文は忙しいとのことで後日らしいので、そちらも期待しております。
今から4年余り前、京都心学塾設立準備時によく夜遅くまで一緒に話し込みました。
あれから私塾「京都心学塾」を開塾し、一昨年には河原町五条に自前の講義所を持つことができました。そういう意味では「夢はかなう」と言えます。

 ところが私は一方で、「夢を持つな。」と塾生には話しています。
資格無き者が夢だけを持つと周囲に迷惑だけを与えると考えています。しかし世の中は、こんな時代だからなのかもしれませんが、「夢を持とう」とか「夢は大切」と「夢」「夢」「夢」の大合唱です。

 話は少しそれますが、自分で言うのも何ですが、私の講義はあまり受けません。特に真新しい知識や世界の情勢を伝えるわけでもなく、壮大な夢やビジョンを謳い上げるわけでもなく、「大きなこと言う前に便所を掃除しよう。」とか「仕事と作業の違いはわかるか。」とか、「労働と勤労の違いを理解しよう。」なんてことを話している。いわゆる退屈で地味なんでしょうね。

 それで「ハッ!」と気づいたのです。
私はサッカーでも攻めの理論と守りの理論があるように、頂点を目指してアッタクする登山の学と、それを成し遂げた後無事下山する学と二通りあるということに。
通常は山を征服する人を登山家と称し、下山家とは称さないですね。
そして、登頂の映像などは、ほとんど頂点アタックまでの苦労と、頂点に立った時の素晴しさを描き出しています。しかし、無事下山までして初めて成功だとは言えないでしょうか。

 夢の話しに戻るなら、世の中の成功哲学系の本というのは、ほとんどが頂点を極めることに重点を置いた登山の学オンリーです。昔は、安岡哲学や中村天風、松下幸之助先生など、下山の学の本が数多く出版され、そして売れもしました。しかし、今はその手の本は人気薄のため、出版も講演もされません。

 しかしながら、私の生まれ、そして仕事でも揉まれている京都という街は、とても続けてゆくことに口うるさい街なのです。
どちらかというと一時代を築きわが世の春を謳歌した後没落した人には、とてもとても手厳しい文化です。

一方で、たとえ細々とであっても、何十年、何百年続いてきたということが、とてもとても評価されるのです。今日でも、信用と実績ということが、高い評価を受けるのです。このような街で哲学をすると、知らず知らずのうちに成功することより、いかに継続して行くかに重きを置く哲学になってしまうのです。

 この思想・哲学は実に評価されないことははなはだしい。吉田松陰先生は知っていても、石田梅岩先生はほとんど知られていないのも同根です。

 ところが、最近、少々風向きが変わり出してきたようです。
覇権主義による超大国アメリカのイケイケドンドンが、あっと言う間に転落し、それを後追いしていた日本の大企業や東京がその煽りを食ってノッキングを始めました。

 ところが、京都を代表する任天堂は過去最高益を記録するなど、京都ブランドは不況に強いのは定説です。外にばかり目を向けていた人々も、徐々に日本、特に京都に目を向け始めてきました。
チルチル・ミチルの青い鳥のように、本物は実は足元にあったということに気づき始めたのでしょう。

 いち早くこの流れに気づかれた東京の社長さんから、京都文化・京都商法について是非講演をして欲しい旨の依頼が来ました。いよいよ時代が後追しし始めてきたかな。
今年は思考から、一気に言葉・行動へと位相しようと心に決めました。


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