2008年12月15日

男の出産

 最近TOKI-WA-SOHに訪ねて来られる方が増えました。私の知人も事務所をここに移してから、一層訪れて来てもらえるようになりました。「友あり。遠方より来る。また楽しからずや。」の心境です。
一方、ヒーリングカフェTOKI-WA-SOHへも来店やご予約が多くなり、カフェもにぎわっております。

 ぼろぼろだった大正建築の京町屋の改工事を16ヶ月にわたって施工しました。もちろんデザインや企画の段階まで含めると、約2年間、ほとんどここにかかりっ切りでした。
というのも建築士はなく一人でデザイン、企画、施行もしたからです。もっとも最後の6ヶ月はほとんどひとりで現場にこもりきりでした。心身ともにへとへとに疲れ、完成する2ヶ月ほど前には倒れてしまうのではないかと心配されるくらいに弱っていました。
まさに男の出産です。

 このような経験は、決して初めてというわけではありません。何度も苦しい出産をしてきました。女性は出産を機に母親になり、そこから強くなりますが、男も人生においていくつかの出産をすることによって、たくましくなってゆくのでしょう。そういう意味では昔は男をたくましくする環境がたくさんありました。
貧乏や体罰、教練、徴兵など、そのような時代が良いわけではありません。
良くないことの方が多かったのですが、男をたくましくするという一点においては、昔の方が良かったようです。いやだいやだと言って逃げていても、困難の方から居場所を見つけて追いかけて来るのですから。

 今の時代は逆です。自分で困難を探し出して向かってゆく者にしか困難はやって来ません。逆に言えばチャンスです。いい男になるためには、その気になれば仲間に大きく差をつけられる時代になりました。

 私も出産慣れをして、今月も「清水別邸時乃屋」という滞在型の町屋と、当社グループの最大店「コミックショック・円町店」の二店舗をオープンしました。もっとも、円町店の方は、社員・スタッフ一丸となってやり遂げてくれましたので私の出番はありませんでした。今では社員が出産するようになり嬉しい限りです。

 そして今月、いよいよ全く今までとは違うわが子が産まれます。
夏ごろから書きおろしてきた本が、いよいよ20日頃に出版です。処女出版ですから、こちらはさしづめ新しい愛人とその間にもうけたわが子といったかんじでしょうか。
建築系の女房と書籍系の愛人との間でせっせと子作りにはげむ元気な親父というところです。

 いずれにしても、経済的にも肉体的、精神的にも自分を追いつめて、逃げ出したくなるような中から何かを産み出すことで、一段高いステージに登ることができ、その一段高い所に立って見渡すとき、上がらなければ決して見えなかった「何か」が見えてくる。その繰り返しを重ねることで多くの人が見えない所が見える。これを洞察力と言うのですが、この洞察力が後の人生を間違うことなく歩んでゆく担保になると思うのです。

 男には男の出産がある。決して安産のない厳しい出産ばかりですが、どうか男に産まれた喜びを味わってみて下さい。
安定ばっかりを指向している人々が決して味わえない世界、せめてそれくらい味あわなければ、民間で生きている意味がないと、やせ我慢を言いたくなるくらい、公務員と民間の格差ははなはだしい。
 
 こんな厳しい時代に、今日も公務員の事無かれ主義逃げ腰対応を友人がぼやいていた。
いったいこの国はどこへいくのだろうか・・・・。


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宇宙エネルギー

 ここでは宇宙エネルギーをもう少し誰にでもわかるように解説を試みたいと思います。
私は文系の4年制大学出身ですから、科学的かどうかということは不十分だと先にお断りしておきましょう。
それに、科学的かどうかと言うことより、人々が幸せになれるかどうかが興味の中心で結果として幸せが訪れたら幸せな人なのです。

 昔から「仏様のうそは方便」と言って、仏様は、たとえ事実と異なることを言ったとしても、それが人々の救済のためになされたものなら、それは決して「うそ」とは言わず、「方便」と称するではありませんか。人間とは、そもそも、そういう生き物なのです。
物理的に正しいかどうかは、物質に対してであって、人間に向き合う時には、人理的(私の造語です)に正しいかどうかが問われるべきでしょう。「仏のうそを方便と言い、商人のうそを掛け引きと言い、武将のうそを知略と言う」

 またまた話しを元に戻しましょう。
宇宙のエネルギーの説明でしたね。人間の体も微弱な磁性体ということは科学的に証明されています。つまり、人間は磁石だということです。

 磁石と言うとどんな光景を思い浮かべるでしょう。私は冷蔵庫に、メモを止めている磁石を思い浮かべます。磁石は磁力という「くっ付く力」でメモ用紙を止めています。でも、この磁力はどこから生まれるのでしょう。
私達はお腹がペコペコなら力が出ませんよね。何らかのエネルギーを摂取して他のエネルギーに変えるわけでしょ。ごはんを食べて力を出す。
じゃあ、磁石も何かを食べて磁力をださなきゃ、科学におけるエネルギー不滅の法則に反しますよね。
さぁ、磁石は何を食べてあの「くっ付く力」を出しているのでしょうか?
私達は電気磁石なら電気を通しますが、磁石は半永久的に放ったらかしですよね。だったらいつか弱って落こちないと理屈が通らない。

 結論「磁石は宇宙エネルギーを摂り込んでそれを磁力に転換している。」
「私達の体も弱い磁石なら磁石ほどではないにしろ、宇宙エネルギーを摂り込まないと不健康になる。」と私は考えています。前向きに素直に生きていると、体の磁石度が上がる。
そうすると、他の人より多くの宇宙エネルギーを摂取できる。

 そういう人は元気で輝いてオーラが出る。結果として他の多くの人を引きつける。そう魅力的な人は引きつけるでしょう。磁石のように。

 いつまでも若々しくて元気な人というのは、体の磁石度が人よりも高く、結果として必須栄養素である宇宙エネルギーがたくさん摂り込める。そういう構造に私達はなっていると思うのです。このことにもっともっと関心を持って欲しいと思うのです。
すざまじいパワーが得られるのに、全くのただ。まさに究極のエコパワーが身のまわりに充満しているにもかかわらず、私達現代人は逆にどんどんそのエネルギーから遠ざかっていってしまっているように私には感じられるのです。

 うまく宇宙エネルギーを取り込めたなら、私達の平均寿命が百歳を超えるのも不思議ではないと思っています。


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未知の必須栄養素

 最近健康として座禅やヨガ、瞑想が多くの人々の間で行われるようになりました。これらはどちらかと言うと・・・・
いえ、全て精神衛生上の観点からその効果が語られています。だいたい、いつも頭の中を占めている雑念を去って無念夢想の境地になることで、心の平穏を取り戻すということが一般人の目的です。
禅想や行者となると、その先の「悟りの境地」を求めることが目的となるのはご存じのとおりですが、今回はこの悟りについては触れません。

 それぞれの先生について教えてもらうことで、徐々に雑念を去ることができるようですが、やってみるとなかなかそう簡単なことではないのです。
ところが、そんな形にはまったことで雑念を払わなくとも、私達は時折りこの雑念の無い状態になることがあります。それは、好きな事に熱中している時です。その点、子供達はしょっちゅう熱中していますね。
テレビゲーム、サッカー、魚釣りなどなど。
ごはんを食べるのも寝るのも忘れて一生懸命にそのことに没頭しています。この時、無意識のうちに雑念のない状態になっているのです。

 私達にも経験がありますが、このような時は、少々睡眠不足でも、ごはんを食べていなくても、疲れを感じないという状態を維持できます。その一方、いやいや何かをやらされてると、すぐに疲れてしまうのも事実です。

 私は、実は人間には、もうひとつ大切な必須栄養素があると考えています。結論の前にはもう少し説明させて下さい。
第二次世界大戦下のナチスドイツの実験だと聞いたのですが、「科学的に十分な栄養素を与えることで人は生命を維持できるのか」という内容だったそうです。結果は何となくお解りですよね。それだけでは人は死んでしまうそうです。
そして、「人は社会的動物である」との結論を導き出したのですが、私の考えは少し違います。

 話しをもとに戻しましょう。そもそも科学的に十分な栄養素と言われているが、果してそれで十分な栄養素だったかと言うことなのです。現代の科学でもまだ明らかにされていませんが、私は、人間には宇宙エネルギーが必須な栄養素だと確信しています。東洋ではこれを「気」と言い、気の流れの乱れを病気と定義しています。
私の言う宇宙エネルギーは、もっと食べ物のようなもので、ただ、口から摂るのではなく、額にある、チャクラという場所から摂るという感じなのです。
瞑想中や何かに熱中している時、少し体が温かくなったような感じになりますが、これは宇宙エネルギーが摂り込まれている証拠です。
このエネルギーを毎日摂取している人とそうでない人では、若さやオーラとか、覇気とか何となく輝いて見えるとか、年令に比べて若々しいという差が生まれるのは、少し身の回りを見渡せば思い当たる人が居られるでしょう。

 美しいものを見たり、いつも仲間と心おきなく時を過ごしたり、人生を前向きに生きていることで、無意識のうちでも宇宙エネルギーを摂取しているのです。悩みやずるい考えを宿している人には流れ込まないエネルギーです。これを長年続けてゆくと、年をとるほどにその差が大きく明らかになってゆきます。

 多くの方は宇宙エネルギーなどと言うと驚かれたり信用できなかったりされるでしょう。どう考えようとどう感じようとご自由です。ただ、私はそれを体験それ以降その宇宙エネルギーの流れ易い体質を維持しようと考え、今日まで実践してきたのです。


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2008年12月04日

善玉我欲のお話し

 人間は「人間として生きてゆく」には欲はどうしても捨てられるものではありません。

 動物は、「自我」と「性」の2つしか持っていません。つまりその動物の種としての独自の自我とそれを次世代へ種属を保存してゆく性の2つで種を保っています。
ですから動物における性とは種属保存という目的以外の性交はまずありません。
ところが、人間は、この自我と性に欲というものを持ち合わせています。要素が2つの場合と3つの場合では、当然組み合わせのパターンは多くなり、その分複雑になります。ですから、性というものを、種属保存以外にその行為そのものを楽しむという性というものが生まれます。
これは性と欲の組み合わされると我欲となります。これも人として当然にある欲望です。

 ところが当然にあるこの欲望を捨てなさいと言うのです。
ここのところななかなか理解しずらく難しいでしょう。
 
 私の出番です。

 皆さんはコレステロールと聞くと、良くないものとすぐ思ってしまいますよね。でもコレステロールゼロになると、人間はまた不健康にもなるのです。

 つまり、一口にコレステロールと言っても、善玉コレステロールと悪玉コレステロールの二種類があるということを知らなければなりません。善玉コレステロールを残して悪玉コレステロールをなくす。これが大切なのです。

 我欲だってそうなんですよ。我欲と言うとすぐに「捨てなきゃ駄目よ。」と言いますが、それはその人の我欲についての認識が浅いと言わなければなりません。我欲にも善玉我欲と悪玉我欲という二種類の我欲があるのです。

 つまり善玉我欲を残して悪玉我欲を捨てる。この塩梅が味噌というもんですわ。「わかります~?」

 なかなかわからんでしょうな。しかし、これほどわかり易く教えてくれる人は、世の中にはそう居ませんよ。今日は大サービス。
ここまでわからない人に、もう少し説明しちゃいましょう。

 悪玉我欲というものは、「私が」何か欲しいとか、何かになりたいとか、必ず「が」という字がつきます。これが悪玉我欲の特徴です。一方、善玉我欲というものは、世の中や他人の幸せを願う欲です。
ここで注意してほしいのですが、家族の幸せを願うのは、悪玉我欲の一種ですのでお気をつけ下さい。
ですから、「私が」という言葉はありません。これが特徴です。ところがあ~ら不思議この善玉我欲のおもむくままに生きていると、結果的には自分にとって一番幸せな健康と運、そして心の平穏が得られるということになるのです。欲が無いとは、全く欲が無いことをいうのではなく、「世の中が良くなって欲しいという欲はあるけれども、私の欲は無い」という無欲のことなのです。
ですから、単なる個人の欲望の達成などという小さな欲ではないため、これはたいへんな大欲と言えるのです。
つまり無欲とはとてつもない大欲なのです。

 どうですか。おわかりいただけましたか?
「え!」まだちょっとわかりづらい。「うーん」なかなか今日の読者は強者ですなあ。「じゃあ、これが最後。幸せに生きる絶対的秘密を今日は教えてしまいます。企業秘密漏洩です。」

 まずお風呂に入って、たらいにお湯を入れて下さい。そして、そのお湯を自分の方へ自分の方へとかき集めて下さい。さあどうなりますか。それでは次。今度はそのお湯を、相手の方へ相手の方へと押しやって下さい。さあどうなるでしょう。

 これが企業秘密です。

 「俺が俺がのがを捨てて、おかげおかげのげで生きよ。」


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2008年12月02日

人生はマラソンではない

 「耐久レース」と聞くと皆さんは何を思い浮べられますか?
ツール・ド・フランス、パリ・ダカールラリー、トライアスロン、マラソンいろいろありますね。私は、ル・マン24時間レースや鈴鹿8時間耐久レースというのを思い浮べます。

 あるいは、「人生」と答えられる方もおられるでしょうね。
たしかに、人生も、80年ほどの年月をかけた長い長いレースですね。人生をマラソンに例える方もおられます。「でも・・・」私は考えます。
人生は本当にマラソンに似ているのだろうか?私は人生は、マラソンとは似ているようで、根本的に全く違うと言いたい。人間の人生なんて、マラソンのように、スタートからゴールまで、どの時点でもトップが誰かわかるような、そんな単純なものじゃない。

 もし、人生をレースに例えるなら、ル・マン24時間レースや鈴鹿8時間耐久レースのように、オーバルコース(周回コース)を2人のドライバーやライダーが交替しながら走りぬける、そんな耐久レースだと思う。

 毎年三重県の鈴鹿で、真夏の7月の最終日曜(だったと思う)に「8耐」(通称)は開催される。
レースを見に行ったことがある方ならわかるのですが、炎天下、選手もオートバイも観客もまさに体力の限界をかけた耐久レースです。
スタートした1週目は誰がトップかは一目瞭然なのですが、ピットインしたり、転倒したり、一周まわって周回遅れが出だしながら8時間。幸いなことにアナウンスで順位は遂一流されますが、もしそのアナウンスが無かったら、はっきり言って、全く誰が1位やら2位やらわからない。

 そう、トップとは、「一周回ればビリ」になるのです。
マラソンのように一本道のレースなら、トップの走者がうしろの集団の様子は最後までわからないし、ましてや、うしろの選手の背中をみることはない。ですから、どの選手が力を溜めていて、どの選手がいっぱいいっぱいなんてわかるはずもない。

 ところがオーバルコースのレースなら、いろいろなことが見えてくる。要するに、レースは最終的にゴールを一番で切れば、その道中はある意味問題はない。競輪などは、、まさにそんなレースばかりです。

 老子という人の思想はまさにこのようなレースを私達に教えているように思えてならない。

 知らない人が見たら、一番ビリで遅れているように見える。禅では「下座に生きる」と言います。他の人にどうぞ、どうぞと言って先を譲りながらも、実は、先頭に立っているような、ある意味深慮深く、ある意味いやらしいまさに賢人の人生観であると思います。

 私は、他力から自力の順で仏教、禅宗、老子(道教)儒教と並んでいるように思います。俗世において、とてもバランス良く、しかも無駄の無い生き方は、日本では禅宗と老子を学ぶことだと断言します。
常識的な日本の知識人と呼ばれる人は、「論語を読みなさい」とか儒学を修めなさいとおっしゃるけれども、もともと日本の社会の礼儀や常識のほとんどは儒教的な教えや道徳として小さい頃から自覚することなく触れる環境にあります。
ですから放っておくと儒教寄りになります。これでは賢人や大物は生まれにくくなります。現に、戦後老子を学ばなくなってから、日本の指導者は本当に小粒になりました。小役人に毛のはえたような連中が日本の指導者として位置しています。

 私は少しずつ老子の思想を今一度見直してもらおうと、まず、私の童貞作?(処女作)「お母さん 老子に学んだほうがいいですよ」と題して出版することとなりました。

 12月の20日頃に全国(?)の書店に並びます。ご興味のある方は是非お買い求め下さい。ご興味の無い方は、なおさらお買い求め下さい。

 深い老子の思想を私が人生を通じて消化した内容として、実にわかり易く、面白く書いてあります。きっと喜んでもらえるはずです。

 「負けるが勝ち」いつの時代でも不敗の哲学です。


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