2008年10月31日
つかみが大切
スピーチをする立場にある人はいいスピーチをしようとか、受けるスピーチをしたいと考えて、その方法を探します。そして誰もが行きつく答えが、「つかみ」の勝負だとするのが一般的です。
物事って何でもそうなんだと思う。人は第一印象でその相手の人のほとんどを決めると言われている。
スカンジナビア航空のCEOであった、ヤン・カールソンも「真実の瞬間」という著書でお客様は「その最初の15秒の印象でほぼその航空会社への評価を決める。」と語っている。多くの講演会のプロ講師を育成してきた安宅 仁(あんたぎじん)氏も著書でカリスマ講師の特徴を次のように語っておられる。「カリスマ講師の話を聴いてきましたが、必ずしもロジカルな組み立てというわけではありませんでしたし、話し方も特徴的というわけではありませんでした。しかし、明らかに人を惹きつける話術を持っていました。私はそれを「つかみ力」だと思っています。
話が苦手な方も、話し方や声の改善よりも自分の特徴を活かした「つかみネタ」で目の前の人の心をわしづかみにしましょう。」
「でも?」と私はふと考えてしまう。私はよく本を読みます。自分として本を書こうかとか、本を書きたいというような著者自身の思いの力によって書かれたというより、売れる本づくりとか、どのような構成をしたら売れるかとか、装丁や刺激的な題名でその本を手に取らせようという仕掛けを強く感じる。若手の漫才師も女の子にもてたいとか、有名になりたいという思いが強く前に出て、本当に漫才をしたいとか、漫才師という職業に誇りを持っているようには思えない。
売れるため、有名になるため、女の子にもてるために漫才師を選んでいる感じだ。でもそれでもいい。それを欲するお客様が居るのだから。しかしまたその一方で本物を指向するお客様が居るのも真実だ。
本の話に戻ろう。最近の本はだいたい前の20%、つまり本の5分の1くらいを読めば、その本の内容のほとんどが理解できるように思う。1500円の本なら、せいぜい300円くらいの値打ちしかない。昔はこのようなことを龍頭蛇尾(りゅうとうだび)と言ったものです。最初は龍のように勇ましいにもかかわらず、最後は蛇のしっぽのように弱々しいことを言う。
本も年間にかなりたくさんの本が出版され、早いものでは2週間で店頭から消え返却されるらしい。
だからこそ、最初から最後まで起承転結を持って書かれた本が、心ある人に見出されてジワジワとその部数を伸ばしてゆくとも一方では思ったりもする。
孤高の名人と言われている江戸落語の柳家小三治師匠が、先日テレビで言っていたのが印象的だった。
若い頃は落語を徹底的に勉強し、若いながらお客さんを笑わすことに秀れ、真打への昇進もあっという間だった。その有頂天の頃に師匠に呼ばれて師匠の前で落語をするように言われた時、それを聞き終わった時、ポツリと「おめえの噺はちっとも面白くねえなあ。」とたった一言。何が面白くないなんて教えてもらえない。というより教えられないんでしょうね。本人自身で気づかなければならないのです。それからというもの「面白い落語とは?」を考える日々。
そしてある時、大先輩の落語家の言葉にハッとする。
「おもしろい落語を話すコツは、おもしろく話そうとしないことなんだ。」お客さんに受けようとか笑わせようとするとどうしても媚びた落語になってします。本物の落語ファンにはこの媚が鼻についてしまう。何十年何百年もかけて語り伝えられてきた噺というものは、そのままちゃんと噺せば誰がやっても面白いから今日まで語り継がれてきたわけで、小手先の技はむしろ滑稽でさえある。柳家小三治はそれからというもの、噺家と噺のバランスを考えて、できるだけ変な色を付けずに話そうと心がけたというようなことを言っておられた。
私は「つかみ」を意識し、「うける」ことを意識するあまり、何のために話すのか、ちゃんと内容のある話をできているかがおろそかになってはいけないと強く思う。
以上、この内容のつかみで私の講演を始めようと思う。やっぱりつかみは重要ですからね。
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