2008年05月27日

IKEAへ行けや!

 TOKI-WA-SOHの内装を準備するのに、IKEA(イケア)という超大型家具店へ行った。関西では神戸のポートアイランドだけらしいが、近々大阪の南港にも出来るらしい。
 はっきり言って私はイケアをよく知らなかった。若い人に教えて貰い、ガイドとして付いてきて貰った。何でも今、話題の店らしい。とにかくでっかい建物のガレージに車を駐車して店内へ。たくさんの商品が展示してあるのだが、それは展示だけで、そのタグに記された場所に自分で取りに行ってレジに並ぶ。何だか合理的だが、全く人間味は無い。ちょっとこの辺で、イケアというものを私同様ご存知無い方のためにイケア豆知識を。

 IKEA(イケア)はスウェーデンの大手家具店
1943年、17歳だった創業者が設立した安売り雑貨店だった。意外に歴史は古いのだ。1951年以降は完全に家具販売に集中する。しかし、その後ライバルの存在によって深刻な状態になる。ここで、ピンチがチャンスになりその事態に対し、自社で独自のデザイナーを抱え、企画・製造・販売まで、全てまかなう現在のイケアスタイルを誕生させた。
 日本には1974年に千葉県船橋市に第1号店、横浜市に第2号店を出店している。日本出店に関しても意外と歴史は古い。しかし1986年に撤退。後に 2001年に日本へ再進出を決定し、2002年に日本法人「イケア・ジャパン」を設立。現在国内には3店舗がオープンしており、今年の8月には大阪にもオープンが予定されている。

 イケアのビジネスモデルは、自社開発の家具やインテリアの商品を大規模な施設に多数展示し、店員数を徹底的に少なくしぼって人件費をカットし、それを商品価格に反映させて他社よりも安く販売するというもの。加えて、家族連れでかなりの距離をかなりの時間をかけて品定めをするので、どうしても休憩が必要となる。そこで又大きなフードコートを設置して、飲食事業も合わせて行うというもの。世の中の事業モデルは次々に変遷してゆく。
 アルビン・トフラーの「富の未来」に書かれてる事を思い出した。世の中という大きな道をいろいろな車が走っている。それぞれかなりのスピード差がある。世の中を一番速いスピ-ドで駆け抜けているのは「企業」。時速100km時代の変化に素早く合わせて、その対応を瞬時に行う。次に「社会団体」。これは時速90kmとされている。以下、「家族のあり方」時速60km、「労働組合」時速30km、「政府官僚機構」時速25km、「公教育制度」時速10km、「国際機構」時速5km、「議会、政治」時速3km、「法律」時速1km、とトフラーは言う。

 21世紀の情報社会はますますその変化のスピードを上げてゆくのに、時速10kmの「公教育制度」の中にいる教師が、社員で役立つ若者を育てて世に送り出せる等とは到底考えられないと、ふと思った。ビジネスをやっていて事実感じる。
 学校の教師、政治家、医者、職人、「ビジネスの社会では」と誤解があるといけないので限定的に話をするが、応々にして彼らのビジネス感覚やビジネス常識はおかしい。これは何にも人間的におかしいものでは無く、遅い車に乗って社会で生きてきた人々に、速い車に追走する事がどだい無理な話なのは至極当り前な事なのだ。ただ、ここで大きな問題が1つある。この遅い車でも間に合う社会で生きていながら、自分達が遅い車に乗っていると思う事も無く、むしろ物知り顔で一段高い所から世の中を見ているというこの矛盾が、世の中に大きな歪みを生んでいる事に気付いていないという事だ。無知とは実に恐ろしい。ソクラテスは言った。「わたしは自分が無知であるという事を知っている分だけ、あなた達より賢い」と。

 イケアの話に戻そう。平日金曜日ならお客さんも少ないだろうと考えて行っただが、まだ開店効果が続いているのか結構お客さんは多い。10列ほどレジがあるのだが、何と待ち時間が30分位。ほんの少しの商品を買うのには適していないと思った。ただやはりデザインは良いし商品点数も多く、ビジネスモデルは又1つ新しい段階に入ってゆくのだろう。携帯やパソコンの発達に社会や法律が全く付いて行けていない現状を考えると、もう少し世の中の流れがゆっくりだったらと思うのは私だけなのだろうか?忙しい時代になったものです。


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2008年05月25日

ヒーリング・カフェなるものを始めますので。

 最近、私はかなり忙しい。今、このコラムを読んでいただいているTOKI-WA-SOHの事業モデルを全く変えるからです。
 当初は、町家という独得の環境の中に、ひとりひとりのクリエーターが共同で入居するクリエーターのソーホーを企画した。
 何処にでも有るようなビルの一室に入居してデザインを考えるという事が、私にはナンセンスに感じたから。それに、クリエーターと呼ばれる人は、環境へのこだわりはかなりのものがあるだろうと考えた。そう、私は考えたのだ。頭の中で。そして実行した。「クリエーターズ・ソーホー」TOKI-WA-SOHと銘打って世に問うた。結果は、そのような人は少ないという事だった。日本においてクリエーターが、ご飯を食べるというのはとても難しい環境にあるようです。クリエーターは貧乏なのだ。仕方が無い。経営とは自分の頭で考えて、世に問うことの連続だから。私は経営者としては全然優秀ではないので、ヒットの確率がとても低い。とても低いからこそ、いつも退路を確保してから一歩を踏み出す。失敗を前提にビジネスに着手する習慣となっている。だからあちこちかすり傷を負うが致命傷には至らない。会社も大発展はしないけれども、倒産もしない。ところが、今回のTOKI-WA-SOHだけは何故かブレーキが外れた。かなりの資本を投下して作り上げた施設なのだ。ところが、これがもうすぐで2年間塩漬けとなる。クリエーターのソーホーの案が外れたから。しかし、今回は退路を絶っているので、前に出るしかない。そんな情況だったところ、思いもよらない形で事業のモデルが閃いた。閃いたのは1人で閃いたのではない。正に TOKI-WA-SOHが目指していた、クリエーター同志の触れ合い、ぶつかり合いによる「創発」が発生した。
 古くからの私の友人と別件で話をしている時に、どちらという事なく、TOKI-WA-SOHの住人をクリエーターからヒーラーに置き換えたらどうなるかと投げかけた瞬間、「ハッ」という顔でお互い見つめ合った。言葉は一言も発せられなかったが、お互いが同時に「イケル」と確信した。それからというもの、正に一気にという感じで物事が前に進み始めた。今回、新しいコンセプト。「ヒーリング・カフェ」TOKI-WA-SOHとして出発する事となった。コンセプト作り。ヒーラーの方々の募集、各部屋の内装等々、それは忙しい。
 正直コラムを書く事と、ヒーリングカフェの事業を前に進めるのとでは優先順位がかなり違う。誰かが既にやっている事業をやるのと、全く新しいものを立ち上げるのとでは、その労力は段違いに差がある。
 そんなこんなでコラムを書くのはとても厳しい今日この頃という事で、今日のコラムはおしまい。


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2008年05月18日

今日もイヤシロチという事で

 最近運の事についてよく考えている。ここでも取り上げる事が多くなっている。運を強くするには大きく分けると2つに分ける事が出来る。1つ目は「自らを強運体質にする」2つ目は「自分の身を出来るだけイヤシロチに置く」この2つだと言える。先日「まず自分の身をイヤシロチに置くように心掛ける事が大切なんですよね」って話を他者にしていたら、「イヤシロチ?」「何だか難しいですねぇ」って言われた。でも、こういう何気ない言葉には引っ掛かる必要があると思っている。引っ掛からない人に対しては、「イヤシロチっていうのはね…。」と説明するか、「この人、イヤシロチを知らないんだ」と思うかどちらかなんですね。引っ掛かるという事は、すぐにその場で反応しない事。「どうしたらいいのだろう?」とか「どう言えばいいのだろう?」とか宙ぶらりんで頭の中に吊るしておく。そうして頭の片隅に置いておくと、何かの時に解けたり気付いたりする。ちょうど謎かけのような事だ。
 例えば、「最近の若者」とかけて「自動販売機のジュース」と解く。「そのココロは?」「最近熱いのがめっきり減ったな」なんて感じ。何かの疑問の種を解決しようとせずに、頭の片隅に置いておくと、謎かけのように閃く事がある。
 今日はイヤシロチをもう少し詳しく書こうと思う。まず私達が1日の殆どを過ごす場所を考えてみたい。働く大人にとっては、「職場」と「家族」と「交友関係」、主婦にとっては「家族」と「お付き合いしているご近所・友人」、子供にとっては、「学校」「塾」と「家族」それと「友達関係」。こういったものが主な「場」となる。そして、私達の住む街、祖国というものまで広がってゆく。
 人生をより良いものにしたいと思うなら、まずこの「場」を良くしないといけません。自分を強運体質にするには少々努力が必要ですが、場をイヤシロチ化する事は最も楽に出来る開運法ですね。かく言う私も、「場」をまだイヤシロチ化する決定的な方法というのは見い出している訳ではありませんが、何となく自分が心懸けているような事を今日は書いてみようと思う。
 例えば、ある方のお宅を訪問する。玄関の戸を開けて中に入ると何となく感じるその時の感覚、とか、夜店ですくった金魚がすくすくと育つとか、お祝に貰った植物がイキイキと育つとか、風がよく吹き抜ける家だとか、何故か困った時には友人が助けてくれるとか、子供が喜んで塾や学校へ通うだとか、何となく感じるもので、良いと思われるものを取り入れる工夫をすると良いと思う。職場でもビートルズを流すと仕事の効率が上がるらしいが、これもイヤシロチ化の一例だろう。
 こんな風に、実は、イヤシロチという事は難しい事では無いのです。「人は陽気を好み陰気を嫌う」という言葉がある。何故かここ一番赤い下着を身に付けて行くと、仕事がうまくゆくジンクスがある。何故だか判らないが、きっとこれは私の下着のイヤシロチ化なんだろう。
 とても漠然と書いてきましたが、これからいろいろな分野のスペシャリストのお力を借りて、「強運学大系」なる書物を編簒しようと思う。乞うご期待を。


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2008年05月17日

強運の科学

 今日は久々にゆっくりとして休日だ。昨晩から頭痛がひどかったので何処にも出掛けず、散髪を済ませて、ゆっくりとお風呂に入った。入浴剤を入れて楽しむ。これは小さかった頃からの夢だ。その理由は以前に書いたから繰り返さないが、私には本当に夢だった。
 最近ゆっくりとお風呂に入って、読書をする習慣が出来た。これが実はこんなに凄い事だとは、人生50年気付かなかった。悔しい思いでいっぱいだ。お風呂という場所は、体を洗い、清潔にする、体を温める場所だと誰もが思っている。人間が生きてゆく上で無くてはならない「機能的」な場所という考え方だ。私は、それだけにとどまらない、実は家の中で 特にその効果が強い「イヤシロチ」だという事が判った。「イヤシロチ」とは、その場に身を置くと、人や植物が元気になり、実りを生む「場」の事を言う。西洋のお風呂事情は日本よりより一層機能的なシャワー室であるという事は、文化や情感が豊かな日本との違い等も含めて、お風呂の有る無しも影響があるかも知れないとまで思えてしうまう。
 この「イヤシロチ」にゆっくり身を委ねていると、いろいろなヒラメキがやって来る。その中でも特に、最近の私は「強運の科学」というものに取付かれている。何だか、変な宗教みたいに思われるかもしれませんが、実は広い意味において言うなら宗教の一種とも言える。
 ここで、宗教の定義のおさらいをすると、宗教は、「その人間の魂の救済にのみ主眼を置き、その事だけを追求する世界観」の事で、それが社会的にいかがなものか?はある意味関係無い。社会との関わりにおいて、社会の幸福や救済を追求するものは「思想」と言う。そういう意味においては、今、私が四六時中考えている「強運の科学」というものは「1人の人間が強運な人間になるにはどうすればなれるのか?」という一点だから、宗教とも言えなくは無い。
 まず、運というものを人生をかけて探求しようという事が、ナンセンスだと心のどこかで思っている人には、ここから先は読まなくても良い。
 「私は運の強い人間なの」と言う人も居るが、運には段階のようなものがある事までは気づいていない。運はあるけれども、二流の運位人の事を私は「開運」と言う。晴れ時々曇りだ。一流の運のある人を「昇運」と言う。晴れだ。そして超一流の運といえば「強運」の事を言う。天気で言えば、正に雲1つ無い快晴だ。強運になるとどのようになるかは今日の内容では無く、運も出世するという事を再度書いておこうと思う。
 本来、雲に覆われている事が多いので、殆どお目にかかれない快晴だが、飛行機という文明の利器を用いて高度1万m以上の上空まで達すると、そこはいつも雲1つ無い快晴だ。この文明の利器としての飛行機のように、上空まで行く事が出来る力を私は「強運の科学」と名付けた。このように説明すると解っていただけると思う。世の中にはいろいろな飛行機があって、少しは地上より高く飛べるが、旅客機のような高度まで行けるものばかりでは無い。同じように、世の中には開運のレベルの話はいたるところにあるが、強運レベルというと殆ど無い。漠然としてこの世に存在するいろいろな開運法のようなものの中から、或いは全く私オリジナルに考案して体系化して、誰でも強運になれる法というものを残したいと思う。
 実は今見上げている空も、雲の上には、快晴の青空があるように、誰の中にも真っ青な本然の自生というものがある。ただ、成長するに従って身に付いてしまった諸々のもので曇ってしまって、本然の自生が見えなくなっているだけなのです。
 私の会社で、昨年業績と支出がアンバランスになり、社員の皆と泊まり込みで話し合いをした事があった。その時、通称「近ちゃん」と呼ばれている近藤社員が言った言葉が忘れられない。近ちゃんは会社の厳しい状況の中で「この会社は奇跡の起こる会社だから、大丈夫です!!」と胸を張って言うのです。会社の重要な会議で、まず、このような意見を吐く事は有り得ないし、仮に吐いたとしても、「そうは言うが現実は厳しくてそんなもんじゃないよ。もっと真剣に考えろ!!」なんて重役が諭してしまうのがオチだ。しかし、私は思う。近チャンの意見が「正しい。」と。理由は、「経営者たる私に、心の底からそう思わせてくれたから!」私達の会社はイヤシロチだ。この会社がイヤシロチである限り大丈夫。現に、その近ちゃんのひと言の頃から以降、私達はとてもより良き方向へ導かれている。


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2008年05月16日

智恵はある時、沸騰する。

 日本ではオギャーと生まれて幼稚園に行き、小学校に入学し、中学、高校、大学へと進学するのが一般的だ。しかし、このように勉強を積むシステムは先進国に多く、発展途上国には少ない。私達は20年余りの間、智恵を詰め込む。年令が上がるに従って、専門化してゆき、段々狭い範囲の知識に絞って深く吸収するようになる。そして、その専門分野では、人並み外れた洞察力を獲得する人もいる。ただ、同じように智恵を詰め込んで行ったとしても、皆が深い洞察力を手に入れるとは限らない。
 私は自宅浪人をしていた頃に、その基本的な理論(理由というレベルかも知れないが)を実際に体験している。少し説明しよう。
 私は国公立理科系志望から好きな教科だけに集中したばかりに、私立文系になった事は以前にも記述した。好きな教科とは、世界史と現代国語、それと英語。英語はさほどでもなかったが、世界史と現代国語は、予備校の模試でも上位5位以内に入っていた。出来るから楽しい。楽しいからどんどん学ぶ。そして、ある時不思議な体験をした。模試の英語の問題で、どうしても解らない問題があった。解らないままだが白紙解答は出来無い。追い詰められた私は、得意の世界史の頭を使って英語の問題が解けないものだろうかと考えた。このコラムのをお読みの方には意味不明かも知れませんが、何故か答えが解るのである。ちょうど、何らかの分野で超一流になった人の哲学は、お互いに同じような境地に至るような感覚と言えば良いだろうか…?その時私は思った。
 ある分野において、一定量以上の知識を詰め込んで限界点を超えると、智恵という万能薬に変わると。ちょうど、0度の水に火を炊いて、99度までは大きな変化は無いけれど、100度を超えると沸騰して、液体が全く別の気体に変化し、入れ物に制約されていた運動が、空間を飛んで拡散するような物質の転換に似ている。世の中の超能力というものも、同じように、知識から智恵の転換の先に生まれる、実は当り前な現象だと考えている。ただ、超能力に変わるまでの炊き続ける事が、半端なものでは無いだけだという事だ。比叡山の千日回峰行もそういうものでは無いかと考えている。これだけの荒業は誰にでも出来るものでは無いだろうけれども、それをやり続けた人だけには、ある超越した能力が宿る秘法つまり、智恵の沸騰法を昔の人が考え出したのだと思っている。
 そこで私事のお話なのだが、私はこの求道の分野を広く設定し、炊き続けてみようという、想大な計画を立てた。人生哲学と強運という「人間の意識」という分野において、生きている限り炊き続けてみようと決めた。おそらく私の命がある間には沸騰しないだろうが、次の世代に託すると考えると話は変わる。このような分野で沸騰すると、悩める多くの人々に智恵の泉からその人の悩みに最適な解決法をひょいとつまんでお渡し出来るなんて事が可能だろう。その人の人生と同じ経験を仮にしていないとしても、解決する方法は授けられる。このような広く深く難解な分野に一生を費やして挑もうなぁんて、阿呆な者は殆ど居ないだろう。だからこそ面白いと思う。
 阿呆(アホ)の由来は、中国の皇帝が妃のために造った宮殿が、あまりに大きく、何処まで、そしていつまでで完成するのか皆目見当もつかなかった故事から、「何を考えているのか解らない」とか「桁外れな発想の為に常人では凡そ判別出来無い事」を言う。
 関西人は親しみとある種敬意を込めて(そう思っているのは私だけかも知れないが…。)「アホかおまえは!」とか「アホちゃうかぁ?!」と言う。関西とは、何と超一流な人の多い街なんだろう。実は悩める多くの人々の心を救う超能力とは、アホな事をして人々に笑って貰える能力なんじゃ無いか、なんて思ったりする。「笑う角には福来る」。


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2008年05月15日

男は強くなければ生きてゆけない。優しくなければ生きる資格がない

 昔は武士は成人になると名前が変わりました。魚でも大きくなるにつれて出世魚と呼ばれ、名前が変わる魚種がある。実は男という生き物について以前から思っている事がある。男は、生まれただけでは男になれない。生まれたままならただの雄。ヒモかマザコンで、生殖だけ果たしているような奴。ところがこの雄が、いろいろな冒険を通じて自分を磨き、男へと成長してゆく。まぁ大体、この辺りで普通は終わる。ところが、もう一歩成長すると、男から大人へと変わる。この大人の男となるとその数がぐっと少なくなる。
 レイモンド・チャンドラーという作家が、小説の中で主人公のフィリップ・マーローに語らせている台詞が秀逸だ。「男は強くなければ生きてゆけない。優しくなければ生きる資格がない」というものだ。素晴らしい。ブラボー。男はまず雄として、肉体的にも精神的にも強くなるべき時代がある。ちょうど高校野球の球児のように自分を痛めつけて強い男になってゆく。そして、強さというものを持つが故に、それを振り回すのでは無く、強さを後ろ盾に周りの人々に優しくする。ここで判るように、優しさは強さの裏返しのようなもので、我が儘を無理に聞いてあげたり、女々しい事を指すのでは無い。私はいつも思う。愛する人と2 人で歩いている時に暴漢に襲われ、ボコボコにされた後、彼女に「大丈夫か?」と優しくしても、それを優しいと感じるだろうか。やはり相手と戦って守る事が優しさだと思う。
 私は男の成長と運が実はとても相関関係があるのでは無いかと、最近感じている。運とは偶然に天から与えられたり、気まぐれに訪れるものでは無く、時間をかけて理屈通りに育ててゆくものだと考えている。いずれこれを集大成として強運学なる学問大系を創り上げたいと思っているのだけれど、その骨格を少し話してみよう。
 動物も植物も自然の摂理によって生かされているのなら、人間界で起こる様々な出来事も、それを包み司っているものは、やはり、大宇宙の摂理の範中だと考えられる。だとするなら、人間界における運、不運も、大宇宙の摂理で説明出来ると言えよう。
 植物は種が運ばれて来て、芽を出し、成長し、花を咲かせ、実を実らせる。そして次の世代の種をつくる。人間もおおよそ、その流れで考えられよう。とするなら、人間界に生ずる運も又然りと考えられる。まず、運のなる木の種としての自分が居る。これは誰でも同じ。しかしどれほどの運を持っていたとしても、殻を破って芽を出さなければならない。これを開運という。この殻を破って開運するためには、考え方と行動を必ずある決められたものへと変化させてゆかなければならない。これは企業秘密なのでここでは言えないのですが、私はこれを「開運の秘法」と名付けている。これは申し訳ないが、高額の受講料をいただかなければなりません。それほどの金額を払っても、その何倍や何十倍の実りを得るし、又それ位支払っても学ぼうという熱い気持ちがなければならない。少しお金の話になって興奮してしまった。女性と縁が無かった奴が久々に恋人が出来た時みたいに、お金に縁のなかった私がお金の話をして、つい興奮した。私は帝王に帝王学を教える師のように、本人は帝王では無い。私は皆さんに強運学を教える強運学の師であって、強運でもお金持ちでも無い。本題を戻そう。開運した後は、芽が天に向かって伸びてゆくように、運も天に向かって伸びてゆく。それを昇運と言う。
 しかし、大きな木になるためには、根を張っている土に栄養が無いと枯れてしまう。無事大きく成長した木には花が咲き、いずれ実がなる。その時期を私は強運と呼んでいる。強運になると、奇跡とかミラクルと呼ばれる事が頻繁に起こる。その人が人生における果実を得ている状態です。このようになると独りでは消化しきれない福で溢れ、ご近所におすそ分けしなければならなくなる。このようになってこそ、人は大人の男になったと言える。
 強運学の理論通りに日々を過ごせば、誰もが必ず運の強い人になる。例外なく、なる。これが理論というものです。
 「天は自ら助く者を助く」自分でしっかり勉強・努力(ただし老荘思想を、という事)しなければ、天はその人に運を与える事は無い。運とは、自らつくるものであるようであり、又天から与えられるものでもある。正に「空」なる世界の産物のようなものである。


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2008年05月14日

♪さぁ、みんなで目を閉じよう♪

 顔瞼下垂症(がんけんかすいしょう)という病気というのか症状というのか、皆さんご存知の方はおられますか?実はこの症状、最近確認されたのだそうです。
 若い頃は一晩ぐっすり眠れますよね。翌朝はスッキリとした気分。ところが年を取ると、夜中には何度も起き、眠りが浅く、疲れが取れない。この原因の1つに、実は瞼の皮膚のたるみにあるという事が判明したのです。瞼は自律神経のオンとオフのスイッチになっているのです。瞼を閉じるとある筋肉が引っ張られてスイッチが切れる。瞼を開けるとスイッチが入る。こういう役目をしている。ところが年を取ると、この瞼が伸びて筋肉も弱り、瞼を閉じた状態でも十分に引っ張り切れずに、目を閉じていても自律神経は起きているのと同じ状態になる。つまり、1日中完全に眠る事が出来無い体になってしまう。若い頃に比べると瞼の皮が伸びたなぁと感じた。目の上下の肉がぷっくりと盛り上がってきたら要注意。それから、伸縮する筋肉は弱いので、長年念入りに目の回りのメイク等をする女性は、この筋肉が弱りこの症状を発症しやすいらしい。
 まずは、鏡で自分の顔をよ~く見てください。たるんでいたらどうするのか。これが又実に簡単なのには驚いた。眉下切開法等で若返りもするし、年寄りでもぐっすり眠れるようになるらしい。西洋医学もたまにはいい事やるもんですね。それではここからが、今日の本題となります。
 目を閉じると、もう1つ変化が起こる。目を閉じると心の目が開く。目を閉じると、直感が働き出す。瞼は知覚と直感のオン/オフのスイッチだという事。特に脳の働きを、司る役目をしている。瞑想をしたり、座禅を組んだりする場合は必ず目を閉じる。私達人間は宇宙のバランスの中に包まれ、そのバランスと同調している状態が生きている状態、バランスを失うと死への階段を登り始める。陰と陽、月と太陽等バランスを失わない事が肝心だ、同じように、現代社会で癒しや瞑想、座禅等が求められるのは、知識や頭脳に傾き過ぎたものを、感覚や魂(ソウル)等を取り入れる事によって、バランスを取り戻そうという人間の本能のような欲求だと言えます。
 自分の人生に詰まったり、仕事での解決策や打開策に詰まったり、いい考えが浮ばないような時、より一層頭をかかえて考え込むのでは無く、又人に相談するのでは無く、瞼をしばし閉じて、自分の知覚を閉じ、直感を解放してみると、全く違う方向から解決の糸口が見つかるかも知れません。私達は目が見えなくなったら、聴覚や触覚の眠っていた可能性を引き出せるようになっている。一方で何かを失うと一方では、それと同等の新たなものを得るようになっている。これを私は「喪失取得の公理」と名付けました。これは逆も又真なりで、「取得喪失の公理」と呼んでいます。何かを失えば、違う新たな何かが得られ、何かを得ると一方で大切な何かを失う。
 だから一方だけに気を取られる、つまりバランスを失った状態になると必ず人は死へ向かう。これを経営学の世界では「成功の復讐」と呼ぶ。人は成功をすると、その成功に酔いしれ、時代が変化しているのに成功の記憶の中に生きてしまい、いつか時代遅れになって死んでゆく。
 江戸から明治に変わり新生した国として、日清戦争、日露戦争、第一世界大戦と日本は成功を収めたにも関わらず、次の時代が新たに情報戦と航空機の時代に移ってしまっているのに、過去の成功の記憶から抜け切れずに、時代遅れの化石のような戦艦大和を建造し、そしてバランスを失った末、戦争に敗れた。歴史を学ぶだけで無く、その学びを体や心に刻み込み自分のものにしてゆかないと、単なる歴史好きの語り部でしかない。歴史オタクはごまんと居るが、これを実生活や実社会において実力にまで自分のものに出来る人が何人居るだろうか?具体的な数字で考えてみたが、1%も居れば上出来じゃないかと思う。実社会では知識の量でも行動の量でも、評価はされない。結果においてのみ人は評価を受ける。経営の世界は厳しいものだ。


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2008年05月13日

われら動物みな兄弟

 私は自然豊かな環境で育った。小さい頃は野山が遊び場で、趣味が昆虫採集と渓流釣りだったので、いつも近くの牛尾山に登っていた。小学校の適応遠足でも、中学の牛尾マラソンでも一番かそれに近い運動能力でした。ところが20歳で大病をしてからは、安静が療養の唯一という事で、殆ど運動をしない習慣に慣れてしまった。最近はめっきりその衰えを実感している。
 そんな時、NHKの「病の起原」という番組を見ていて考えさせられた。今、お年寄りの骨が弱くなって、平坦な道で転んだだけで足の骨が折れるという事例がとても増えているという。それは、外に出て日光に当たる時間が減ったため、カルシウムを骨に取り込むお手伝いをするビタミンDが欠乏し、骨がとても脆くなっているのだそうだ。人間はいつもある一定量の日光に当たっていないといけない、という事が最近判ったのだ。
 ちょっっと又話が変わるが、人類は元々アフリカに生まれたらしい。アフリカは赤道直下のため、太陽光線がとても強い。人類はその太陽の光を調節するために、肌の色を黒くしたらしい。その色素がメラニン色素という。太陽の光は人類に大切なものを与える一方で、紫外線という有害なものも届ける。そこでメラニンが、皮膚の奥深くまで届いて癌細胞を作るのを防いでいる。それから何万年もかけて、人類は北へ北へとその生息域を広げて行った。北へ行く程に太陽の光は弱くなる。そこで人類はメラニン色素を減らして黄色人種となって、必要な日光を取り込む事に成功した。それから更に北へ進出すると、殆ど太陽の光が差さないような場所まで来てしまった。そこでメラニン色素を無くして白色化(これをアルビノ種という)して、日光の出来るだけ多くを取り入れる事に成功した。そもそも肌の色とはこのような違いだけなのである。
 これ又余談になるが、イギリス人がオーストラリアに移住して200年ほどになるが、元々北欧の人種でメラニンが少ないのに、赤道に近い所に来たために、紫外線が奥深くまで到達してしまい、皮膚癌の患者が世界でも異常に多く発症するという、皮肉な現象に悩まされている。
 私は少し怖くなった。というのも、殆ど日光に当たっていない生活が長く続いていたからだ。
 気候も良くなった事もあり、久し振りに東海自然歩道を歩く事にした。
 藤の花の薄紫がとてもきれいだ。少し登ると小川があり、カエルが鳴いている。“アカガエル”だ。小川に近付いてみると、たくさんの卵が産みつけられている。雄が卵を守って鳴いているように見えた。小川の一部が1m位の円状になっている。粘土が露出して水溜まりになっている。これは“イノシシ”の「ぬた場」だ。“イノシシ”は寄生虫が体に付くため、時々この「ぬた場」で体をこすり付けて寄生虫を取るのだ。近くに“イノシシ”もいるのだろう。今度は緑色の金属色に光る小さな虫が飛んで来た。“メドリセンチコガネ”だ。緑色の金属光沢がとても美しいコガネ虫だ。特にこの牛尾山系の種は亜種で、とても美しい事でマニアには有名だ。こんなに綺麗な虫なのにセンチの名前が示すように、雪隠し(せっちん)の意味で、動物のウンコを食べて生きている昆虫なのだ。う~ん。何ともアンバランスな奴だ。実に久し振りに出会った。でもやっぱり私には可愛い。
 少し行くと、木々の擦れ合う音に混ざって、少し違和感のある「カサカサ」という音がする。耳を澄ましてその方向を探し、よく見ると、1mを少し超えるくらいの“シマヘビ”が林の奥へ進んでいた。先程の“アカガエル”等を補食しているのだろう。蛇を見るのもとても久し振りだ。この遊歩道には実に樫の木が多く生えている。以前はこの樫の木は、みんな切り出して炭として貴重な火力になっていた。この樫の木で作った炭が備長炭という最高級の炭となる。
 杉の木も雑木も樫の木も間伐を全くしていないので、日の光もあまり差し込まず、風の通りも良くないため、森林浴とは少し遠い山登りではある。道端に珍しく“ドウダンツツジ”が咲いていた。どちらかというと南方の樹種だったような記憶がある。
 そんな観察というか、昔の知識を楽しんでいるというか、子供の頃に戻って楽しい時間を過ごした。
 でも、たった1つだけ昔と違っていた事がある。息切れと足の疲れ。昔は飛び跳ねるように登り下りしていた山道を何度も立ち止まり休みながら、やっと少し進むような状態だった。それでも私にはとても気持ちの晴れる楽しいひとときだった。又出かけようと思う。


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2008年05月11日

蓮の華

 この間の5月1日、何でもいいから着いた時間に始まる映画を観ようと思って近所のパルコへ行った。毎月1日は「映画の日」なので1本1000円で鑑賞出来る。おまけに私は映画館の会員なので、ポイント加算までして貰えて、これは大変お得なのです。さて、行った時間がぴったりだったのは、もうすぐ上映が終わる『ライラの冒険』だった。まぁ、あのニコール・キッドマンのアップを大画面で観られるなら、それだけでいいやという感じで席に向かった。やっぱりニコールのアップは美しい。それだけでめっちゃ嬉しい私でした。
 そんな話はどうでも良くて、さて『ライラの冒険』の事。主人公のライラが、自分のお父さんの事を話すセリフに感動した。ライラは「お父さんは乱暴だけれど高潔な人よ。」と話した。実は自分に重ね合わせて聞いた。
 私は今どき稀なる乱暴な父であり、社長でもある。最近はこんな私も「消しゴムの独り言」を言うようになってきた。「最近めっきり丸くなってきたなぁ」…、実は先日桂三枝のお弟子さんだった夏川さんに教えて貰ったのだが…。
 又脱線したので本題に戻る。乱暴というのは決して褒められる事では無いのだけれど、高潔であるという事に対して、世間は評価をしなくなったなあと改めて思わされた。食品擬装は後を絶たず、あの吉兆において、食品擬装のみならず、先客の残りものを後客に出していたというヒドさだ。現代社会は一言で言うと「優しい」が時代を表す言葉のように思う。戦前までの日本を表す言葉は「高潔」だったんじゃないかとつくづく思った。
 「優しいけれど低俗(ずるい)な人」の時代、戦後。「乱暴(厳しい)けれど高潔(頑固)な人」の時代、戦前。現代は優しいという事だけが重視され、高潔であるという事に目が向けられていないんじゃないかな。慈愛ばかりが取り沙汰されて、厳愛の無い国ニッポン。
 私達日本人は仏教徒が殆どです。お釈迦様や仏像は蓮の華の上にお座りになっている。どうしてあの蓮の華の上なのかご存知ですか?蓮の華は最も尊い華で、その生き様そのものがお釈迦様の説く生き様と同じだからなのです。少し説明しましょう。蓮の華は腐って汚れて、しかも淀んだ水に体を浸し、根は悪臭を放つようなヘドロの中に根を張っている。それほど汚れた所に身を置きながらも、何1つ汚れの無い神々しいまでに美しい華を咲かせる。この汚れた水や泥が人間界に身を置いていても、自分はそれにまみれずに高潔に生きようとする事が尊いと教えている。
 何一つ汚れの無い、清らかな水の中で美しい華を咲かせる事が尊いとはおっしゃっておられない。そのように考えると、お釈迦様が一番大切にお考えになっていた事は、ただただ「高潔に生きなさい」という事だったと思う。
 高潔に生きている人には、たった1つだけ共通して言われる言葉がある。それは「あいつは信用できる」という言葉です。
 「お金を失ったと大騒ぎをするが、信用を失ったといって大騒ぎをする人は今、殆どいない」
 でも私はつくづく思う。信用のある人は実はとても運の強い人で、その人が信用を守るために失ったであろう多くの人やモノを差し引いても、実は遥かに得ているものは大きいと。信用の大切さを伝えてゆきたいとつくづく思う。
 私の子供達は、「うちのお父さんは乱暴で我が儘で怖いけど、高潔な人だった」と言ってくれるだろうか…。


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2008年05月10日

生霊(いきりょう)

 私の会社では、古物の買い取りも業としてやっています。まぁ正直言うと、古い物を捨てるのが嫌いな性格で、それが高じて古物商を始めたのです。おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなられた後のお家のゴミや古物を買ったり、捨てるお手伝いなんかをしたりする。この仕事、実はとても大変なのです。まず、埃がすごい。鼻の穴が真黒になる。それから、時には腐ったゴミやお仏壇等もある。実はこのお仏壇というのがやっかいで、何も知らない方は、お仏壇に入っている先祖の魂を他に移さず、そのまま処分を頼まれる方があったりする。それを私達が知らずに捨てたりしたら、子孫に災いが及ぶから要注意だ。
 これは以前に私が経験した本当の話だ。あるお家のお仏壇の処分を頼まれた。私はお仏壇を運んで来て、その中の仏具がまだ綺麗だったので、仏具に値段を付けて古物を売るための自分の店に並べていた。まだ仕事があったので、仏壇は捨てずに店とお家を往復していた。戻ってくると知り合いのおばちゃんが遊びに来られた。店の中を見てまわっている時、「社長!!」とおばちゃんが呼ぶ声がする、行ってみると、「この店何かピリピリする」と言われた。店内を廻ると仏具の前で止まって、「これがピリピリしてたんや」との事。「この仏壇は先祖の供養が出来ていないから、もう一度その家に持って行ってちゃんと供養させなさい」との事。
 言われるままにその家に行って尋ねると、何とおばちゃんの言う通り。これには正直驚いた。
 人様の道具には、使っていた人の愛着や執念が死んだ後も残っている。それは私もいつも感じる。ただ、私はそのご家族に代わって手を合わせながら、いつも成仏を願い仕事をさせて貰っている。
 死んだ人の思いや執念は私も少しは修養した身ですから、それ程障りが出る事は無い。しかし、私がもっともやられて、2週間ほど寝込むくらいの経験を一度だけした事がある。
 それは、ある管理会社からの依頼でした。何も家賃を払わずに居た借り主が追い出されて、鍵を替えたという部屋でした。3DKのそこそこ広い家に家財道具がそのまま。おはしはそのままで、鍋の中味もそのまま。カビが生えている。時間が止まっていた。何でも管理会社が突然来て、そのまま退去させたとの事。依頼は家財道具を持って帰って貰うかわりに、部屋の中をすっかりカラッぽにして欲しいとの事。さっと見渡した所、仕事として合いそうなのでお受けする事にした。
 そしてある日、仕事を始めるとしばらくして50過ぎの男女2人が血相を変えてやって来た。そしてそこにあるものは全て私達の物だと主張するのだ。そう、突然追い出された兄と妹だったのです。私は執着のある物は嫌なので、それではという事で「持って行って貰う物をどうぞ」と言うと、殆どの金目の物を持って行くと言う。私は困った。トラック2台とスタッフ8人用意した手前、管理会社からは一円も貰えないので、それらを持って行かれるとなるととても困る。かと言って執念の残った物を扱うのも困る。相手の方とお話をして一部道具を残して貰う事で納得していただいた。
 問題はその後だ。私が荷物をトラックに積んだところ辺りから気分が悪くなり、会社でトラックの荷台で荷物を降ろしていると、何か臭いがあるようで、生温かくて、息苦しくなってきた。それから原因が分からないゲップが次々と出て来て、しまいにはしんどくて気持ちも鉛のようになった。その後もずっとその状態が続き、しばらく寝込む事になってしまった。病気とは全く違う霊的な障りだと感じた。今までに無い厳しいものでした。
 私が分かった事は、生きている人間の執念や怨念の障りは、死んだ人間の怨念の比では無い、という事だった。
 如何に生きている人間の生霊が強い、又恐ろしいかをまざまざと教えられた。松下幸之助先生も「初一念」が大事であると常々おっしゃっておられたが、良きにつけ悪しきにつけ、私達人間の思いの力というものは、私達が思っているようなものとは比較にならない程、それはそれは凄まじい威力を持つという事を、しっかりと知っておかないといけない。
 私はわら人形に釘を打つ丑の刻参りで、本当に人は殺せると思っている。ただ、その悪想念で自分も死を覚悟しなければならないとも思う。


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2008年05月08日

子供の人生は母の思いの一滴から始まる

 又々タイガー・ウッズの登場でーす。最近は年度替わりだからか、テレビでも新番組というのをやっている。何気なくテレビを見ていた。たまにはテレビも良い事を教えてくれる事がある。「タイガー・ウッズの真の強さの秘密」というような内容だった。それは質問形式で投げかけられた。以前に、ゴルフの世界的なタイトル戦の時の事。3日間のプレーを終えて全く同じスコアでホールアウト。タイガ-ともう1人のプレーオフの決着だった時の事。プレーオフ3ホール目、タイガーがほんの少し残して1アップ。相手は1m位のパター。プロはまず外す事の無い距離。それを相手が入れたら、プレーオフは4ホール目に場所を替える。ここで普通なら万一でも良いから、「神様、何とか相手がパットをは外しますように」つい心で祈ってしまうだろう。ところが、タイガーは次のように祈るのだそうだ。「何とか入ってくれ」と。相手が最善のプレーをする事を望むのだそうだ。彼は勝敗よりも、相手が最高のプレ-をした上で、それに自分は勝ちたいという事だ。だから彼は相手の凡ミスでチャンピオンになりたくない。この心の持ち方がタイガー・ウッズをタイガー・ウッズたらしめている理由だという事だ。私は「成る程」と唸った。タイガーには以前から何かが違うと見込んでいたが、このメンタリティーが彼の強さの原点かと合点がいった。
 もう少し説明しよう。どうして相手のパターが入れと願うのか?もし外れろと願って、相手がそのパターを入れたら、ほんの僅かでもメンタルに影響するからだという事だ。目に見えない様なモチベ-ションのダウンが次のホールのティーショットに影響を与える場合がある。ゴルフとはそれ位メンタルなスポーツらしい。相手は入れているから平常心である事は言うまでも無い。
 囲碁の世界にも「取ろう取ろうが取られのもと」という格言がある。これはお子供を育てるお母様には是非知って貰いたいと思った。
 タイガー・ウッズはタイ人のお母さんとアメリカ人(黒人)のお父さんとの間に出来たハーフなのです。私も初めて知ったのですが、この精神をタイガーに教え込んだのはこのお父さんだったのです。何とタイガーの父は、アメリカ軍の多分海兵隊だったと思うのですが、その中の猛者達で編成されている特殊部隊グリーンベレーのしかも大佐だったというのだ。
 そして、相手の最善を願うこのタイガーの心理術は実はグリーンベレー式心理術と呼ばれるものらしい。世界一強い兵隊になるための心懸けとは。「常に相手の最高の戦いを祈りながら、尚かつその相手に勝つ心」という事になる。彼らは言う。「心の中に理想の自分を持つ事」そうする事で心にいつも願うと行動自体がそのようになる。そしていずれは自分の思っている最高の自分になってゆく。
 人生も勝利も好運も全ては、最高の自分の心の中に持つ、大河の一滴からしか始まらない。


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2008年05月07日

「東郷平八郎は運の強い男でごわす」

 学校では学ぶ。これ当り前。ならば、会社では?やっぱり会社でも学ぶ。だったら死ぬまで勉強だよ。って分かったような事を言う人がいる。これ間違い。実は学校での学びと会社での学びは全く違う。ちょっと考えてみて下さい。
 考えましたか?学校は机の上だけ。会社は実社会の実戦の場。この違い。「バーカ」こんなの誰でも出来る答えじゃないの。根本的というか、本質的な違いは2つ。まず1つ目。
 授業料は学ぶ側の学生(あるいは親)が支払うが、会社では、授業料(時間給)は教える側の会社が支払う。つまり費用負担の義務は学校と会社では180度異なる。この意味を考えた事がありますか?極論すると学校は1年間の授業料を貰ってしまえば、少なくとも自分達の側の利益は守られる。逆に言うと金さえ貰えば学生の成長は知った事じゃない。だから大学生の勉強はどこか権威的で正論に傾く。これはこれで良いとしても、会社では、社員の成長は即会社の存亡を左右する一大事で、甘い事は言われない。おまけに研修して成長する側が支払う訳では無いので、費用対効果は厳しく求められている。授業料を自分で負担する学校の勉強と同じように考えていたら痛い目に遭う、辛抱強くない社員は入社2~3ヶ月後に早くも落伍し始める。
 それから2つ目の違い。学校では、隣に座っている友人やクラスメートの成績は自分の成績には何ら影響を与えない。つまり、何人の友人に囲まれようともそれらの事は自分の成績には全く無関係である。全校でたった1人東大に合格しても、他の仲間がそれに近い学力である必要は無い。ところが、会社では年商十億の会社を1人で支えられる訳も無く、たった1人の社長が優秀でも、他の社員が怠けていたら、それはダメ会社の烙印を押される。その逆に、社長がボーッとしてても社員皆が優秀なら、その会社は優秀と評価される。会社では自分の能力向上より、仲間の能力を向上させられる能力のある人が素晴らしい。役所はどうもそうでは無いようだが、民間企業ではこのようになる。
 私の会社は幸いな事に社長が明後日の方向を向いていても、社員は今を見つめてしっかり仕事をするから会社は上手く行く。学校では他人に目を向けず、自分しか見えない若者を量産して社会に吐き出して来るから、会社はなかなか雇えない事を知って欲しい。
 突然ですが、日露戦争の大山巌(いわお)大将が私は好きだ。陸軍の乃木大将の真直ぐさも好きだが、この大山の懐の深さも大好きだ。
 彼は奉天大会戦に臨んだ時、作戦の一切を参謀総長の児玉源太郎に任せ自分は司令官室で寝ていた(寝ていたことになっている)。やがて鑑砲射撃が始まり、両軍の砲声が耳をつんざき始めた頃、もっそりと艦板に現れ、「児玉どん。どげんした。今日は朝から大砲の音がやかましか。いったい何ごとでごわすか?」とこの調子である。緊張のあまり肩に力が入って、いつもの力が出せない部下への気配りである。
 もう1つ、大山に逸話がある。日露戦争の日本海海戦を控え、彼は格下の東郷平八郎を連合艦隊司令長官に任命した。当時その任命に対し異論が数多くあった。
 御前会議の後、明治天皇も大山にどうして東郷を連合艦隊司令長官に任命したのか?とお尋ねになった。その問いに対して大山は「東郷平八郎という男、運の強い男でごわす」と答えた。それに対する天皇陛下もやはり偉い。「御意」たったこれだけ。
 これで日本は日露戦争に勝つ為の日本海海戦を手中にしたのだ。つまり、児玉源太郎といい、東郷平八郎といい、陛下から見た大山巌といい、誰を選び任命するのかが、殆ど将たる者の仕事であって、後は信頼して責任を取る覚悟を持つ事。そして常に泰然自若としている事。これだけ。
 実は大山は西郷隆盛の従弟で、西郷さんの顔の下半分は大山の顔と言われている。いずれも薩摩隼人で郷中教育を受けている。西南戦争で薩摩が負けなかったら、儒教的な長州の価値観だけが日本を覆うのでは無く、道家的な薩摩の価値観も残り、とてもバランスの良い国になっていただろう。
 晩年、大山は孫娘に「おじいちゃま、総司令官というのはどんな心がけで戦(いくさ)をするの?」と聞かれた時、「うん、知っちょっても知らんふりをする事だよ」と答えたと聞く。俺が俺がと知識や見識を振り回す現代の知識人・文化人という人種が束になっても、とても及ばない大きさと奥ゆかしさを感じる。
 「大きな人には大きく、小さな人には小さく」、薩摩郷中の教えです。


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2008年05月04日

「お母さんも老子の帝王学を学ぶのは良い事だと思う」

 現代の日本と云う国は西側諸国の一員、つまり資本主義の側の国に属している。これは大東亜戦争で日本がアメリカに負けたからに他ならない。もし、日本がアメリカに勝っていたなら、世界は儒教とキリスト教とマルクス主義の3軸構造になっていたかも知れない。この大東亜戦争を宗教戦争という視点から見るならば、儒教がキリスト教に敗れたとも見られる。儒教はもっぱら支配階級のもの、つまり武士が主として身に付けたもので、キリスト教のようにあまねく行き渡っていたものでは無い。
 昔の大名や将軍には、それぞれ「論語」の先生が付いていた。権力者は、能力の面で優れているだけで無く、道徳的にも優れていなければならないから、新井白石のような学者の側近が居た。論語は、人の上に立つ者に「トップたるものかくあるべし」と教えている。権力者のためのものだ。もう少し訳すなら、「権力者という恵まれた運命の者は、その運命に感謝して、神から授けられた力を民の為に用いよ」という事になる。一方、キリスト教は全く逆で、強い者達が自分勝手に好きにやるための教えだ。そのためには大勢の人々に諦めて貰う必要がある。
 西欧列強が植民地を支配する場合には、必ずと言って良い程、宣教師とキリスト教を先立って送り込む。そしてキリスト教を前もって布教すると共に、現地の情報を本国へ知らせる。恐ろしく政治的色彩を帯びている。教養の主たる内容は「お前達は生まれつき原罪を負っている。だから貧しい生活は仕方が無い。運が悪いせいでは無く、自分自身が悪いのだから我慢をしなければならない。金持ちは原罪を償った人達なのだから、羨む事無く現状に甘んじなさい。その代わり、死んだら天国へ導き救ってあげよう」というものだ。この教えは便利が良い。より多くの人々が納得してくれるのなら、より多くの人々から収奪出来る。
 儒教の国、日本はキリストの国、アメリカに敗れたけれども、全てが失われた訳では無い。今、日本という国は、とんでもない累進課税とセーフティネットにより、下手をすると働いている者よりも生活保護者の方が自由で豊かであったりする程に、マルクスが夢見た共産主義に最も近い国とも言える。
 多くの弱者のために強者は遠慮しなさいという儒教の精神は、しっかり税法には生きている。
 ところで、東洋には実はもう1つの大きな宗教がある。道教というものです。主に儒教が生まれるよりも遥か以前から原初的に民衆の間で信じられていたもので、天文学を起原として、それぞれ土着の風習などが加わり多様化した。それらを1つに大系化したような思想が、老子と荘子を中心とする老荘思想と呼ばれるものだ。
 この老荘思想こそが、現代の世界の行き詰まりを解決に向かわせる思想だと思っている。私はこの思想を「おかあさんの思想」と考えている。お父さんが高くそびえる山だとすると、お母さんは深い谷や海のようなものだと思う。何も言わず流れ来る土砂や雨を受け止め、海へ流し、そして又天に返す。正に母なる地球のような生き方だ。決して目立たず、決して出しゃばらず、しかし、全てを包み込む。不動産の営業をすると分かる。多くの家庭はお父さんと売買の話をする。お母さんは、その間、お茶とお茶菓子をさりげなく持って来て、又楚々と奥へ行かれる。しかし絶対に忘れてはならない。この存在感の無いようなお母さんに気に入られる事無く、営業を成功させる事はまず難しいと思っておいた方が良い。
 大体歴史上に名を残した偉人達というのを私はあまり信用していない。歴史家は殆ど男で、坂本龍馬だの高杉晋作だの、織田信長だの、豊臣秀吉だのって知ったような分析をしている。しかも歴史上の偉人達の90%以上も男達だ。「そんな馬鹿な」私は直感で思う。
 龍馬にしたって、晋作にしたって、お陵やおうのに尻をひっぱたかれて、「あんたなら大丈夫。さぁ行っておいで!!」なんて感じで送り出されたに決まっている。松下幸之助先生にしても、奥様のむめのさんがたいそう怖くて、それで熱心に仕事をしたり、東山の真々庵に籠って思索にふけったりという側面があると聞いた。もしむめのさんがそんな方で無かったら、今日の松下幸之助先生があったかどうかも分かりゃしない。歴史は女性によって創られて来たと言っても過言で無い。
 ただ、形の上で目に見えて出て来なかっただけだ。歴史家は信長だの松陰だの、龍馬だ晋作だと芸能人のように騒ぐのでは無く、本当の歴史を見た上で現代に歴史を活かす智恵を持たないと、単なる表面的な歴史遊びに終始するだろう。
 形は別として、実質上の大きな力を持っているのは、実はお母さんなのだ。このお母さんが賢いかどうかで決まる。政治の世界でも、老荘思想を持った名補佐役が横に居るかどうかで決まる。歴史上では豊臣秀吉と弟秀長、昭和では本田宗一郎と藤澤武夫のような関係だ。
 ところが昔も今も老荘思想をしっかりと教えられる者も教える場所も皆無に近い。かろうじて、京都という都ではこの老荘的文化と教えが残っているようだ。私はビジネスの場で、このようなとんでもない方が、草履に紙袋でやって来たりするのを実際に見て来た。
 日本で個人の納税額一番の斉藤ひとりさんにもそのような匂いを感じる。
 お母さんは体質的にも考え方的にも、とても老荘に向いていると思う。実は私は外見は強面なのだが、性格は全くお母さんなのだ。性格診断テストを受けた時、外見と結果があまりに予想外だったので、私だけが再検査された位だ。私は老荘思想が日本を、そしてひいては世界を救うものあと思っている。その思いから、今年からお母さんの学習塾というものを始める。「お母さんも老子の帝王学を学ぶのは良い事だと思う」。


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2008年05月02日

ブレンデッド・ウィスキー「響」

 ここ何年か、私岩田は行き詰まっておりました。これは自分自身の心境という面から自分を見た時、かなりの閉鎖感に包まれていました。これを高い所から見下ろしたとするなら、熟成の時だと見えるのかも知れない。例えば蝶という生物が卵から幼虫になり蛹になる過程で、その殻の中で一度ドロドロに溶けてしまうらしい。素晴らしいウィスキーも長年樽の中で熟成するし、美しい蝶も蛹の中でやはり熟成する。人間にも脱皮や熟成の時期があるのだろう。
 しかし、今年の春と共に、今までのモヤモヤがかなり晴れ、蛹の殻にひびが入って少し割れてきたような実感がする。
 私は1つの事に打ち込む事が好きなんだけれども、どっぷりと入り込む事はとても苦手だ。ビジネスや経営は大好きだ。一生経営には打ち込むだろう。しかし、1つの事業にどっぷりとなるのは嫌いだ。ある程度自分で学んだと思うと、違う事業の海を泳いでみたくなる。
 そんな人生を繰り返して今年で50年。「一体俺は単なる中途半端なだけな奴なんじゃないだろうか?」…職業を聞かれても「経営者」としか答えられない。「プロフェッショナルとはとても呼べないのでは無いだろうか?」と悩んでいた。しかし、つい先日、自分で自分が凄いんじゃないかと感じる事があった。
 一般的な話をすると、ウィスキーにはシングルモルトとブレンドという2種類がある。シングルモルトの「山崎」と、ブレンドの「響」という2種類が日本産では有名だ。どちらも旨い高級ウィスキーだ。「山崎」はご存知大山崎の工場で樽詰めされて、12年ばかり熟成させたウィスキーだ。一方「響」は、同じような熟成した世界のシングルモルトをブレンダーと呼ばれる職人がブレンドし、そして「響」の味を生み出す。
 私は今まで、シングルモルト的なプロフェッショナルをプロフェッショナルと考えていたが、ある意味それは京都で育ったからかもしれない。ところが、今回感じた事は、自分がビジネスの場において、「響き」のブレンダーのような仕事をしたのがきっかけで、これはこれで立派なプロフェッショナルでは無いかと思ったのだ。
 薄っぺらな自分がブレンドをしたような酒は、酒の通を唸らせる事は出来無いだろう。同じようにビジネスの場でブレンドをしたら、それを世間はブローカーと呼んで、どちらかと言えば善いイメージでは評価しない。
 ところが誰もが成し得ないような、ビジネスを超えたソウル(魂)のレベルで、思いもかけないような人々との出会いやビジネスをブレンドする事で、全く驚くような何か(それはビジネスを含む)を生み出せるとしたら、それは私にしか出来無いプロとしての仕事だと誇れると思った。自分を磨いた50年、まわりの友も磨いた人達。そんな1人1人素晴らしいシングルモルトな人々を絶妙のブレンドで、1人では生み出せなかった「響」のような何かを生み出す。これが私の 50歳からの天職と腑に落ちた。
 明日は晴れ晴れとした気持ちで、近くの山に登ってみようかと思う。


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2008年05月01日

やっぱり地球は悲鳴をあげる

 今日、衆議院でガソリンの暫定税率の延長が再議決された。全く同じような事を思い出さずにはいられない。それは、消費税を3%から5%に上げた時の事である。バブル崩壊の苦しみの中から、少しだけ光明が見えはじめたその矢先、自分達の国家予算の数字が合わないというだけで、国民にその支払いを押し付けた。それを機に消費マインドが冷え込み、3%であった時の税収さえも下回る不況へ押し戻した。机の上とアゴだけで生きている連中の考えそうな事だ。
 話は少し変わるが、元々参議院は憲法で良識の府として、じっくりと政策を吟味する目的で作られた。ところが自民党一党独裁が長く続き、参議院が御用組合のような状態が長く続いてた。それが今回のねじれ現象で、憲法が元来望んでいた良識の府的な動きが取れ始めた。それによって長年のお手盛り体質が少しずつ暴かれてきた。民主党が衆議院でも多数を取ると、少し話は変わってくるが、今はある意味良い状況かも知れない。
 今回も景気の減速が始まる予兆のある今この時に、このガソリンの値上げは国民経済に与えた影響は大きかった。これによって全体景気が回復すれば、国家財政的には減収ばかりでは無い。消費税の税収分は差し引いて考えられるはずだ。
 ところが道路特定財源という道路のみに特化した目的税で、道路族にとっては、これを死守する事が自分達の利権を温存する唯一の選択肢なのだ。
 いずれにしても誰もが近視眼的な意見が目立つが、現時点における我が国の景気という大局的な部分に与える影響は、ガソリン1リッター30円では済まない。
 多くの自営業者が社員と一丸になって本当に血の滲むような努力で社会を維持しているという、底辺のギリギリの経済的心理状況を無視した今回の再議決の持つ意味はとても大きい。経営者のやる気は政治家には計算出来無い。
 これで壊れる社会がかなり増えるだろう。いや、国家に見捨てられ殺されると言っても過言では無い。結局、その社会の整理と職を失う人々の為に別の国庫からお金を失う。病院の専門医のように、自分の専門の病気だけを診て、看者という人間そのものを診るという事が忘れられたように、自分達政治家や官僚の利権に終始して、国家の大局は見捨てられてゆく。
 ちょうど、先進国のエゴで温暖化が進み、地球が悲鳴をあげているのに、自国の繁栄のみを追い求めている愚かしい現代社会の縮図のように…。


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