2008年04月26日

父親の使命は生命保険だと思っている

 私が日々コラムを書いているのは、とても私的な理由がある。私の中には「父親生命保険論」という理論があって、誠に勝手な理論ではあるが、「父親は家族に危機が生じた時に全てを独りで引き受け、世の中の誰よりもその危機を乗り越える力を持っている。だから家に居る事は少なく、世の中に出てゆき、いつも自分を磨いている。だから、家族から父親が頼り甲斐があり、偉大に見える機会が少ない事が、実は最も家族として幸せだ」という事。
 家族が幸せであるという事は、父親が死ぬまで、いや、死んでも一体自分達の父は如何ような男であったのかを知る術が無い。生命保険は父の死がもたらす結果のように…。
 そこで、私は、少しずつ時間をかけて、我が子に遺書を書いておこうと考えた。子供が成長して、母の手を離れ、独り社会と向き合った時に、父として子供にしてやれる事、生きていれば幸いだが、私の命は決して長く無い可能性がある。この遺書が子供達にとっての唯一の父親になれる方法だと思った。
 又、私の会社を誰かがもし引き受けて経営をする事があったなら、松下幸之助先生のように創業者の心に触れる事が出来る。少しここで現在の松下について、私的な考えを1つ書いておこうと思う。

 松下幸之助先生がトップに居た時も、何度も大きな危機があった。日本軍の要請で松下造船株式会社と松下飛行機株式会社を設立し、協力をした。この事が国策会社とGHQに睨まれ、解体の圧力がかかった。常務以上の重役が旧軍零会社の役員として公職追放の指定を受けた。
 今日の触れたいのは、昭和4年の大恐慌の事です。松下は、昭和4年5月に新本店・工場も完成し、発展していた。ところがニューヨークの株価暴落に端を発した世界大恐慌が日本にも押し寄せ、日本経済も痛烈な打撃と深刻な混乱に陥った。工場閉鎖や首切りが一般化し、街には失業者があふれ、社会不安が高まった。松下も売り上げが止まり、倉庫が在庫で溢れた。重役は、従業員を半減して窮状打開を提案した。しかし、松下幸之助先生は誰1人解雇する事無く、この窮状を打開した。これで松下は人に温かいと世に知らしめ、社員の志気はいやがおうにも高まった。
 ところがバブルが崩壊し平成の大不況の中、現在の松下は、2001年に大規模なリストラを実行し、成果主義を導入した。あの松下の志を転換した。実はそこから先の出来事を予想していなかった。
 松下をはじめ日本の大企業からリストラされた熟練の技術者達は、成長著しいアジア諸国にその見事な腕を見込まれ再雇用されていったのです。
 今ではアジア諸国ではサムソンブランドが家電ではNo.1で、パナソニックはその後塵を拝している。平成不況は過ぎ去っても、日本の屋台骨のモノづくりはその大きな後遺症からは全く抜け切れずにいる。一体天国の松下幸之助先生はどのような思いで見ておられるのだろう。
 物理学に長けた頭の良い高学歴者の見える世界は、人理学に長けた苦労と智恵の松下幸之助先生には及ぶべくも無い。如何に正論は信念の前には脆いかを私は今の松下に一面を見る。
 最後に「父親生命保険論」には条件が2つある。1つは、自分が一家の経済的大黒柱だというしっかりとした責任感と向上心が必要である。しかし何よりもっと大切なものは女房が夫を信じてそれを許してくれる事だ。夫婦としての縁には2タイプあって、「内型」と「外型」がある。詳しくはまた説明の機会もあろうかと思いますが、外型の縁の夫婦である事が条件だ。よくこの事を知らずに夫が世の中へ飛び出してゆくと、大変な事になる事だけは注意書きとして今日はおしまいにします。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ