2008年04月17日
葉隠
今日、四条烏丸の交差点の信号で停まっていた。何となく春の陽気なので窓を開けていた。窓越しに下を見るとスミレの花が咲いていた。こんなに人通りが多く、交通量の多い烏丸通の中央分離帯の僅かな隙間にスミレが咲いていた。淡い紫のスミレでは無く、とても濃い紫のスミレの花だった。私が気付かなければ、一体何人の人がこのスミレの美しさと逞しさに気付くのだろうか…としみじみ思った。
寒かった冬が過ぎ、待ちに待った春が訪れ、まだ肌寒い花冷えの桜が終わった後に、本当にポカポカと春めいた頃、外へ出掛けるとスミレを子供の頃からよく見かけていた。私にとっては春の訪れと共に優しい気持ちで見つめる可愛いい花だ。小さくとも清楚で可憐なとても私好みな花なのです。
そんなスミレが、排気ガスがいっぱいで、とても厳しい環境で力強く咲いている光景は、清楚でおしとやかな中に、強い芯を持っている日本女性のようで、実はとても驚かされた。こういう事が本当に強い事なんだと自分に言い聞かせた。
いろんな意味で今混沌として出口の見えない自分に、とても大切な事を教えてくれたように感じた。本当に強い事って何なのだろうかと改めて自問してみた。
日本には「葉隠(はがくれ)」という言葉がある。多くの葉の影に隠れて、誰一人その花を見つける事が出来無くても、又誰に褒められる事が無くとも、花としての自分の務めを精一杯に果たし、そして人知れず死んでゆくそういう陰徳の生き方を指している。
後に鍋島藩の藩士が武士の心得を説いた問答集の名前を「葉隠」と題し、日本の武士道精神のバイブルのようになった。これも、殿様や周囲が見ていようがいようまいが、武士たるものは忠勤に励まねばならないという事からこの題名となったのだろう。
確かに現代に言う花からイメージする花とはおよそ真逆な花の一生かも知れないけれども、そこに凛とした本当の人間精神の強さを垣間見る。人が何と言おうと、どのような評価を受けようと、私は私の与えられた人生を命の限りに精一杯生ききる。その覚悟が出来た人物に宿るもの、そしてその宿ったものから発せられる気というものは、人々に何かを気付かせる。
「黙々と精一杯に」「淡々と一所懸命に」
「恵まれなくとも自分らしく」「不平不満を言わずに生きる」
スミレ以下の私の脳裡にこんな言葉が浮んでは消えた。
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