2008年04月11日

井戸掘り人夫には温泉は掘れない

 私の浜松の友人が教えてくれた。浜松では、井戸は大体50m、温泉は大体500m位掘ると、その水脈に達するとの事。今の私の実家も井戸水を使っています。近所もかなりの家が井戸を持っています。子供の頃は手押しポンプで上下して井戸水を汲んでいました。近所には、つるべ井戸なんてのもまだありました。中を覗くと自分の顔が映るのです。
 昔の井戸は全て手堀り。井戸掘りの職人さんが井戸を掘り当てる訳です。何日もかけてまだ見ぬ水脈めがけて掘り続ける訳です。水脈を掘りあてた時の喜びは、とても今では想像もつかないような喜びだったのでしょうね。井戸を掘る職人さんにとって井戸を掘り当てる事、それが人生における最終的到達点であって、それ以上掘り進むなんて事は考えも及ばない事なのです。
 私達の思考というものも、この井戸掘りと同じじゃないかと思うのです。井戸を掘りあてる事イコール衣食住が足りる事と考えると判り易いのじゃないかと思います。衣食住が足りる人生を、より深めようという目的意識が無いと、人生はその深さで足りてしまう。
 その良い例を私は高校野球に見い出します。甲子園の高校野球を見ていると、甲子園に出場する事、それ自体が最終目標になっているように思えます。甲子園の土を踏むだけでも高校球児の夢と誇りな訳ですから、もうそこで勝利停止に陥っているチームをまま見受けます。例えば、9回裏、僅かに相手にリードされているだけなのに、一度も出場した事の無い控えの選手を正選手に替えて、次々に代打で出場機会を与えている光景を目にします。心情的には共感しますが、私は目標のすり替えが悲しくなります。勝負事は、最後の最後迄どうなるか分からないのです。9回裏で一度も甲子園の土を踏んでいない代打が次々に出てきたら、相手投手はどう思うでしょう。まず、心理的に優位に立ちます。そして、戦略的にも、万一9回裏で同点にされても、正選手に代打を送ったチーム10回以降の攻守は組み立てられません。
 ここで明らかな事は、「次のステージに勝ち進む意志無くして、次のステージは有り得ない」という事です。人間社会に起こる諸々の事柄も、全て還元してゆくと、シンプルな「意志の力」の強弱に至るのです。
 井戸掘り職人に温泉がある事を話しても、甲子園出場が目的の球児に全国制覇がある事も、それを実感として考える事は難しいのです。しかし、一方で、温泉を手に入れた人がいるのも、全国制覇した学校があるのも又事実なのです。


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